4.日米和親条約(複製)
大統領国書を手交した後、日本を離れたペリーは、1854年2月11日(嘉永7年1月14日)、軍艦7隻を率いて神奈川沖に現れ、和親条約の締結を強く求め、3月31日(安政元年3月3日)、(大学頭)等との間に調印することに成功した。本条約の主要点は、下田・箱館の2港の開港、薪水、食料などの必需品供給、下田への領事駐在の承認、遭難船の救助、片務的な最恵国待遇等であった。
展示史料は、日本側の調印書が幕末期に火災により焼失したため、アメリカ国立公文書館(The National Archives) が所蔵する米国側調印書より複製を作成したもの。 |
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