3.琉米条約
ペリーは、1852年11月24日(嘉永5年10月13日)にアメリカを出発し、喜望峰、シンガポール、香港等を経て翌年5月26日(嘉永6年4月19日)那覇に到着した。当時の琉球(現在の沖縄)は、薩摩藩島津氏の統治下に置かれていたが、他方中国(清朝)との朝貢関係も維持するという「両属」の体制にあった。その琉球政府高官にペリーは修好の希望を伝え、琉球を根拠地として日本周辺の調査を行い、その後浦賀に向かった。日米和親条約調印後、ペリーは琉球に戻り、1854年7月11日(嘉永7年6月17日)琉米条約を琉球国中山府「総理大臣尚宏勲」および「布政大夫馬良才」との間に調印した。本条約の主要点は、水、食料、燃料(薪)の補給、遭難船の救助、外国人墓地の保護等であった。
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