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外務省員の声

北米総領事便り


在アンカレジ日本国総領事 辻本吉則

2000年4月

アラスカの犬橇(いぬぞり)レース

辻本領事  世界的な異常気象の故か、アラスカはこの冬降雪が少なく、アイディタロッドが開かれるかどうか、心配しました。しかし、例年通り3月初旬に実施され、心配が杞憂(きゆう)に終わったのは幸でした。アイディタロッドは正式には「アイディタロッド・トレイル犬橇レース」と呼ばれます。犬橇はかつてアラスカの冬の交通手段でしたが、航空機や雪上車の登場で廃れてしまいました。それがレクリエーションやスポーツの形で復活してきたのです。犬橇レースには、スピードを競う短距離レースと耐久力も要求される長距離レースがあります。

 アイディタロッドは、アラスカの長距離犬橇レースとして最も有名で、有名な理由は歴史に由来します。1925年、アラスカ西北部の金鉱の町、ノームがジフテリアの蔓延に脅かされていた時、血清30万単位が、このアイディタロッド・トレイルを使って犬橇で運ばれ、全米の注目を集めたのです。連邦議会は1976年これを米国の歴史的トレイルに指定しました。アイディタロッド・トレイルはアンカレジから西北に向かい、アラスカ山脈を越え、ユーコン河にそって走り、ノートン湾の浮氷郡を横切ってノームに至ります。その距離は約1800キロメートルに及びます。アイディタロッドでは、一人のマッシャー(犬橇使い、あるいは犬橇選手)が、それぞれの判断で7頭ないし20頭のハスキー犬で1チームを編成することができます。

マッシャーが雪の上に敷いたワラの上で休息するハスキー犬たち  去る3月4日アンカレジのダウンタウンで第28回アイディタロッド犬橇レースが始まりました。数千人の歓声の中、にこやかに出走する過去最多の参加81チーム。このうち何組が完走できるのか、好天が続くよう祈る人も見られます。翌々日このレースを空から観戦するため、4人乗りのセスナで追跡しました。10数頭のハスキー犬がひく犬橇が、ところどころに針葉樹の森を浮かべ、白一色の大小の起状を繰り返しながら、どこまでも続く広がりの中にいます。初めは大海原にこぼれた黒ゴマのように頼りなく見えましたが、時間が経つに従って黒ゴマは周りの雄大な景色の中に融け込み、その風景に無くてはならないもののように見え始めたのが不思議です。結局好天に恵まれ、昨年の優勝者、モンタナから来たダグ・スウィングレーが3月14日、9日と58分の新記録でノームのゴールに到着、2年連続優勝を飾りました。明年こそ9日の壁が破られるかも知れません。

 アイディタロッドのマッシャーの中で有名なのは、1986年から3年連続した女性マッシャー、スーザン・ブッチャーで、その連勝記録保持者に優るとも劣らない人気があるのが、1985年女性として初めて優勝を成し遂げたリビー・リドゥルスです。この年は希にみる悪天候に見舞われました。途中で放棄したり、トレイルのところどころに設けられているチェック・ポイントで立ち往生するマッシャーが続出しましたが、リドゥルスは、時速100キロの強風に荒れ狂う大吹雪の中へ、唯一人敢然と出て行ったといわれます。これぞ真のマッシャーの心意気と今も讃えられています。男性では5回の最多優勝記録を誇るミネソタ出身のマッシャー、リック・スウェンソンの言葉が印象的です。彼は言っています。「天候があまりに酷い時はレースを中止すべきだという声があるが、それではアイディタロッドでなくなる。天候はアイディタロッドの一部であり、アイディタロッドが特別なのは、それがアラスカのありのままの自然の中で行なわれるからだ。」

 未開の自然に対する愛着がアラスカの人々の真髄であり、犬橇レース以上にそのようなアラスカ人の心の琴線に触れるものはないのかも知れません。

雪に覆われた山麓の針葉樹の側を走る犬ぞり   アイディタロッド・トレイル犬ぞりレースのスタート


星野道夫写真展

 星野道夫さんは18年間アラスカに住み、アラスカの隅々まで旅行し、アラスカの野生動物と自然と、そこに生きる人々の姿を撮影し続けました。星野さんは、「自然を直接体験することの代わりになり得るものはありません。」と書いていますが、われわれにとって星野さんの写真は、アラスカの自然に接する貴重な窓であるといえます。われわれは、4年前の星野さんの痛ましい早世を悼むとともに、その写真展を日本だけでなく、写真の生まれ故郷であるアラスカでも開きたいと思い立ちました。幸い、多くの方々のご支援を得て、この5月中旬から10月中旬までアンカレジ博物館で開催の運びとなっています。アラスカの旅から生まれた星野さんの写真は、自然と人生に対する賛歌であり、アラスカの自然に対する限りない愛着の点で、リック・スウェンソンの言葉と相通じるものがあると思われます。

アラスカ永久基金

 今年正月早々公邸の郵便受に、アラスカ歳入庁作成の「2000年永久基金配当申請の手引き」という小冊子が入っていました。私には受給資格が無いのを知らずに配達したのでしょう。表紙をめくると、「目次」の次に「日程」が載っています。主なものとして、3月31日:申請締切日、10月4日:銀行口座振込日、同17日:小切手郵送日とあります。昨年10月、この配当金を目当てにセールス合戦が繰り広げられ、いつもは静かなアンカレジの商店街が賑わいました。今年も同じ光景が見られるのでしょう。

 アラスカ永久基金は、州の経済、財政の柱である石油が枯渇する時に備えて、毎年石油収入の一定割合を積み立てている信託基金です。1976年州憲法によって設立されました。永久基金の元本は債券、株式、不動産等に投資され、利益を生んでいます。その運用益の一部も元本に繰り入れられています。その結果、永久基金は次第に急速に増え、この10年間に倍増しました。1999年度末(同年6月30日)現在、総額264億ドル(うち元本190億ドル、運用益貯蓄口座残高26億ドル等)で、GSP(州民総生産)を上回る規模に成長しています。また、運用益は同年度25億ドルでした。これは、価格下落と生産量減少のため低水準だった石油収入の2倍です。今や州にとって永久基金は最大の資産、最大の収入源といえます。

 永久基金は将来の世代のためのもので、その元本は、州民投票による承認が無い限り、定められた貯蓄・投資以外の目的には使えません。運用益については、インフレによる元本の目減りを補完した後は、州議会が使途、金額を決めることができます。州議会は、永久基金の恩恵を現在の世代にも分配するため、運用益の一部を配当として、赤ん坊からお年寄りまで、1年以上アラスカに住んでいる人すべてに配ることを決めました。運用益の増大に伴って一人当たり配当金額も、1997年1300ドル、98年1540ドル、99年1770ドルと増えています。99年の配当金総額は10億ドルを超えました。

 昨年10月のアンカレジ・デイリー・ニュースは、配当金で日本製のアニメ・コミック・ヴィデオを何本も買う少女、バットマンの時計、シャツ等のバットマン・グッズの山を抱えた主婦、ソニーの36インチ・テレビとステレオ・システムの組み合わせを注文する若夫婦等買い物客の声や、10月は商売人のとって稼ぎ時、死活的に重要な月だという車ディーラーの話を伝え、配当金を過去のツケの精算に使う人も少なくないとして、質屋の繁盛ぶりを紹介するなど、町の様子を報じ、「アラスカもアメリカの一部に他ならず、アメリカとは消費を意味することを確認した。」と結んでいます。ともあれ、アラスカの人々にとって永久基金は心強く、大切な存在です。

 石油価格低落による財政赤字への対処が1999年前半の焦眉の課題でした。知事と議会は9月、「歳入欠損補填のため永久基金運用益の一部を使用する。」との提案を州民投票にかけましたが、84%という圧倒的反対票で否決されました。その後石油価格が高騰し、赤字対策の切迫感は薄らいでいます。しかし、石油への過剰依存という財政構造はそのままですし、全米一のプルドーベイ油田をはじめノース・スロープ地域の油田は衰退しつつあり、その一日当たりの産油量は、ピーク時の200万バレルから今では100万バレルへ半減しています。従って、永久基金運用益による配当金を削減して、財政赤字是正ないし均衡予算達成のための財源に回すかどうか、早晩アラスカ州民が決断を迫られる日が来るでしょう。

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