外務省員の声

文化外交最前線
―第23号―

2005年8月2日
近藤誠一

はじめに

梅雨蝶の 森を抜けゆく 白さかな       (黛まどか)

今月のテーマ:やまとごころ-1

<文化外交懇談会の提言>

 本シリーズ「その10」でご紹介した、小泉総理の下の「文化外交の推進に関する懇談会」の提言が、7月11日に総理官邸で小泉総理に直接手渡されました。

 冒頭の黛まどかさんの俳句は、懇談会の委員としていろいろな御提言を頂いた後、この報告書のために作って下さったものです。また表紙は、同じく委員をお願いした美術家の宮島達男さんのディレクションの下で、ご友人のデザイナー藤原光寿氏に創作していただいたものです。これまでの提言の中で、内容とともに装丁も最も文化的価値のあるものであることは疑いありません。

<発信、受容、共生>

 この提言は、文化外交にとって重要な3つの理念と、その実現のための行動指針を、20ページ程に凝縮して提示しています。3理念とは、発信、受容、共生です。

 「発信」としては、物心両面における豊かな生活を創りあげるための日本の生き方を、「21世紀型クール」という社会モデルとして世界に提示していくことを唱えています。そこでの鍵は日本語の普及と、「入り口」としての現代文化(ポップ・カルチャー)です。
 「受容」という概念は、外国文化の単なる一方的受入れではなく、文化の自由な交流を可能にする公共空間をつくることで、留学生の積極的受入れ、アーチスト・イン・レジデンスや地域研究の拠点づくりなどのプログラムを推進することです。これは日本の文化交流政策としてはかなり新しい、歓迎すべき発想です。
 「共生」の概念は、文明間対話の場を設定することなどによって、日本の和の精神を広め、世界の多様な文化の間の架け橋となることで、21世紀の世界の平和に貢献していこうというものです。

<白、緑、紫>

 今月の資料として同封したレポートをご覧頂ければお分かりのように、デザインは日本文化の粋を示しています。表紙には、自然を表わす花鳥風月や虫、ひとと共生するロボット、謙虚な日本精神を代表する柔道、クールなアニメを連想させる吹き出しなどが埋め込まれています。そして黛さんの俳句は、その説明にあるように、うつろう国日本の象徴としての白をまとった蝶を読んでいます。そして3色刷りという予算上の制約の中で、藤原さんが選んだ色は、神聖な色である白、自然と安心の色である緑、そして古代から高貴とされてきた色である紫です。お気づきのように、前号の「日本の色」として言及した色ばかりです。もうひとつ色を加えることができたとしたら、藤原さんはどの色を選ばれたでしょうか。私は茶か、少しの赤だと思います。

<時空を超えて>

 これからの文化外交、その基調をなす文化交流を進めるに当たって重要なことは、人類や地球を全体として見ることです。長い歴史と、地理的広がりを全体として包み込むように把握しつつ、その部分である自分をしっかりと見つめることです。「世界文明フォーラム」でヌセイベ学長が言ったように、ひとは独立した存在ではなく、全人類、そして地球という全体の一部であることを忘れてはなりません。最近のミシガン大学の研究によれば、日本人や東洋人は、西欧人に比べて、景色を見るとき、その全体を見、把握するのが得意だそうです。西欧人は目の前の特定の対象に注目するのだそうです。DNAのなせる業か、長い文化、社会の発展の結果なのかは分かりませんが、我々が自信を持って良い分野です。

 そして同時にフォーラムでセン教授が言ったように、個人は文明や、国家や、宗教という「箱」から自由になり、お互いに個人としてネットワークとしてつながり、お互いにinteractすることで初めて正義が実現し、人間らしく生きていけるのです。

 他方個人は個人として自由であるべきですが、ネットワークの科学によれば、同じ地域の住民や、同じ職場・学校に友人、趣味や志を同じくする友人と緊密な関係すなわちクラスターをつくることは、世界とつながる上で障害になるどころか、むしろ必要ですらあります。クラスターは地域文化、伝統芸能、方言などの地場となり、ひとに帰属感と安らぎを与えます。そしてそこでできる独自の価値観、世界観、自然観は、それらが長距離リンクで世界とつながることで、普遍的なるものを発見・吸収して成長します。同時にこのリンクを通じて個別性を発揮し、普遍的なるものの形成・発展に寄与もするのです。クラスターに閉じこもり、防御的になると、その文化はやがて滅びるか、博物館行きになるでしょう。

<漱石とグールド>

 これらの「つながり」は、クラスター内であれ、長距離リンクであれ、具体的成果を狙って、あるいは効果を計算してできるものではありません。それを決めるのは、JETの同窓会が大切にしようと言った縁(えにし)です。個人は、淡々と、自らの信念に従ってひとと会い、会話し、交信すれば良いのです。

 長距離リンクの代表例が、夏目漱石とカナダのピアニスト、グレン・グールドです。35歳のグールドが汽車で旅行しているときに、偶々知り合ったある文学の教授から送られた『草枕』の英訳が、遠く離れた二人を、細いけれど極めてインパクトのあるリンクでつないだのです。二人のもつクラスター同士もつながれたのです。

 Interactすべき相手は、同時代のひとに限りません。プラトンや紫式部のような過去の賢人、芸術家とも対話できるはずです。13世紀の宋の無準というひとりの禅僧と、京都の東福寺の聖一国師との間にできた師弟のリンクは、禅宗を日本に広げ、それが750年後に、ある中国の文人を通して、現代の中国に戻っていくのです(「その3」参照)。昨年秋に行われた鎌倉国際茶文化祭では、中国、台湾、韓国の60人以上の茶道家が、それぞれの流儀で、日本の茶道家と交流するのを眼前にしました。日本の家元は、中国における茶道復活のため、浙江省の樹人大学で教鞭をとっているそうです。時間と空間を越えたもうひとつのリンクです。

<共鳴しあうもの>

 計算せずにつながるだけで、何故リンクができるのでしょうか。それはひとの心の奥底には、他人と響きあうものを求める力があるからと思わざるを得ません。青い色を見てひとが等しく夢と不安を感じることや、ユングが集合的無意識と呼んだものと関連があるのかも知れません。理性や理屈、計算を離れ、無我の境地になると、ひとは共鳴し易くなります。色や音は、極めて情緒的な情報です。

 狂言の『宗論』で、言い争っていた二人の僧侶が、念仏を一心腐乱に唱え始め、遂には踊り出してしまったとき、仏に仕える身という共通点を感じたのも同様です。理屈ではなく、踊り狂うことで、理性、利害という障害が除去されたのです。インドネシアのプサントレン(イスラーム寄宿塾)の先生が、日本にこそイスラームの教えが宿っていると感じたのは、日本人による説明ではなく、日本の自然と文化に身を置き、茶を楽しみ、日本人と肩のこらない接触をしたからです。小林秀雄は、「現代人は意識出来るものに頼りすぎている・・・意識にのぼるものだけが知恵だと思い込んでいる・・・本能と呼ばれている本質的な知識を、動物の世界に追い込んで、平気でいる」と述べています(『「本居宣長」をめぐって』江藤淳との対談)。
 芸術やスポーツ交流の意義がここにあります。二者の対話では、コミュニケーションに占める言葉の割合は、わずか35%だそうです(マジョリー・F・ヴァ-ガス『非言語コミュニケーション』)。理性の作る「箱」からひとを解放してくれるのは芸術の創造性です。神は、バベルの塔を建てた人間の賢しらを罰するため、言語をばらばらにしましたが、言語によらずに共鳴し合う能力は、奪わなかったのです。

 6月、日韓友情年の記念公演である、平田オリザさんの劇「その河をこえて、五月」を観ました。劇中、お花見中の日韓の若者が作り出す、ふとした沈黙、間が印象的でした。何の言葉も発しない「沈黙」がもつメッセージ性は、韓国人やフランス人にも理解されているとのことです。

<やまとごころ>

 それでは、われわれが世界とつながりながら、世界に伝える価値観、懇談会の報告書で「21世紀型クール」と評価されているものの奥にあるものは何でしょうか。

 日本人の精神的価値観を表わす言葉として、まず頭に浮かぶのは、「やまと心」であり、そこで必ず引用されるのが、桜を愛した本居宣長の次の歌です。

 敷島の やまとごころを 人とはば、朝日ににほふ 山ざくら花

 もうひとつは、彼が源氏物語から取り出した、日本人の美の理念としての「もののあはれ」です。これらの言葉は、いさぎよく国粋主義的、情緒的で女々しいなどの否定的ニュアンスをもって語られることが多いようです。しかしこれらの解釈は必ずしも宣長の意味するところではなかったように思えます。

<小林秀雄と本居宣長>

 小林秀雄は、「やまと魂」と「やまと心」は、それぞれ源氏物語、後拾遺和歌集に初めて出てくるが、いずれも学んで得た技芸や智識である「才(ざえ)」に対し、これを働かせる知恵、「心ばへ」、人柄とかに重点をおいた言葉として当時使われていたし、宣長の認識もそうであると述べています(『本居宣長』)

 また、「もののあはれ」について宣長が言いたかったことは、「「物のあはれとは何か」ではなく、「者のあはれを知るとは何か」であった」と述べています。彼は続けて、ひとには万事について感動するという、知識や分別を超えた基本的な人間経験があることを宣長は理解し、それを「高次な経験に豊かに育成する道」として考えていたのが、「物のあはれを知る」という「道」であると述べています。

<認知・認識論としてのもののあはれ>

 斉藤希史教授も、宣長の目的は、「もののあはれ」という日本的情趣の特質を解明するのではなく、そういう情趣を感じることが如何なる精神活動かを考えた上で、対象のもつ情趣的本質にふさわしい感情が発露されることが、「もののあはれを知る」ことであると説くことにあると述べています。二人が歌を詠み交わすことによって共感し合うこともそれに含まれます。物語においては、「もののあはれを知る」主人公に、読者は感情移入をすることになるのです(『日本を意識する』)。

 さらに同助教授は、「自我・意志・理性を人間の主体的精神とし、その「力」により自立し、他者を凌賀・支配してでも生き抜く「強さ」に価値を置くのか、そうではなく、感受・情緒・共感の精神により、他者と親和的に一体感を共有し「共生」することに価値を見いだすのかという命題は、人間の生き方の問題として「日本」に限らぬ普遍性を有している」が、宣長は「全面的に後者」と述べています。

<“やまとごころ”はクール>

 こうした解釈に立てば、「やまとごころ」も「もののあはれ」も、西欧「近代」に代表される知識や合理性の「体系」に閉じこめられず、身近な生活の中に自然に感じられる美しさ、調和、感動、安らぎなどを大切にする思想で、懇談会の提言が掲げる「21世紀型クール」や「共生」に通じる概念だといえます。

 しかし、こうした価値観を日本民族や国家と結び付けてはなりません。これらは日本の地で発達した価値観ですが、世界で多くの人が共有しています。ドナルド・キーン先生ばかりではありません。かつてジャポニズムに惹かれた芸術家も、世界のアニメ・マンガ世代も、「やまとごころ」クラスターの仲間です。他方日本人でもこの感覚を評価しない個人が沢山います。「やまとごころ」クラスターに参加するか否かは、民族、宗教、文明に拘わらず、個人の自由に任されるべきなのです。

<女童心と性差>

 宣長が批判される背景のひとつが、いわゆる「女童心」です。『あしわけをぶね』で「さて人情と云うものは、はかなく児女子のやうなるかたなるもの也。・・・もとのありていの人情と云うものは、至極まっすぐにはかなくつたなくしどけなきもの也」と述べていることなどがその理由です。「もののあはれ」を、「哲理の世界及び道徳の世界のほかに、独立せる一つの世界を賦与したことは、・・・非常な卓見」であると評価した和辻哲郎も、それが示す「女々しきはかなさ」は、平安王朝文芸特有の「意思弱きもの、煮え切らぬ感情の横溢」であって、「女の心に咲いた」、「男性的なるものの欠如」したものと批判します(『日本精神史研究』)。
 しかし「その17」で言及したように、ひとには物事をシステム化し、力で支配しようとする傾向と、共感、共生を求める傾向の両者があり、平均すれば前者は男性に多く、後者は女性に多いのは事実ですが、それらは生命の維持にとって等しく必要な要素です。強いものが勝つことで種の生存可能性が高まりますが、一人勝ちではなく、共生が成り立っているからこそ、生命系は存続しているのです。

 「やまとごころ」や「もののあはれ」が、西欧の思想と比較して、理性より感性を重んじるものであることは事実ですが、それを自慢することも、恥じることも誤りだと思います。「もののあはれ」は女々しく、潔く散る武士の心構えは男らしいというのも、思い込みのような気がします。生存のために冷静・合理的なシステムづくりを得意とする男脳は、家族を置いて情緒的に死ぬことは、非合理として避けるでしょう。日本男児の好きな「浪花節」もあまりに情緒的として嫌われるでしょう。

La France

 フランス人は自分の国を、誇りをもって女性形で表わします。前号でご紹介したOECDのデータでは、女性は読解力において男性より圧倒的に優れ、数学では男子が優れ、科学では有意な差は認められませんでした。

<多様性による環境適合>

 そもそも自然界に雌雄があることの意味は、あらゆる環境の変化に対応できるための、子孫の多様性の確保です。46本の染色体をもつ人間の場合、減数分裂の際に起こる組み換えの結果、配偶子がもらう23の染色体の組み合わせは70兆通りを超えるそうです。それぞれ70兆以上の組み合わせからできる精子と卵子がつくる受精卵は、70兆X70兆以上の種類が可能になるのです(桑村哲生『性転換する魚たち』)。地球上の人口60億と比べるまでもなく、これは実に大きい数字です。この結果固体として、あるいはグループとして膨大な多様性が生まれます。

 この多様性が環境変化への抵抗力となっているのです。個々の固体に環境への適応力をもたせるのではなく、グループ全体が多様な個をもつことで、全体の生存が確保されるのです。男性的か女性的かの度合も、多様性の多くのスペクトラムのひとつで、生物学的にオスかメスかに拘らず固体によって多様です。魚の中には、状況の変化に応じて種の生存を確保するため、性転換するものまであるそうです。個が集まったグループ(人間の民族など)もまた同様の多様性をもちます。したがって世界の流れが、一方向、例えば合理性に傾きすぎていると思えば、バランスを回復するために、感性を重んじるグループがその特徴を生かそうとするのは自然の摂理とも言えることです。冒頭の「提言」は正しい方向を向いています。

今月の資料

 「『文化交流の平和国家』日本の創造を」全文を同封します。

今月の引用

 「明治以来の日本は、殆んど超人的な努力を以て、死物狂ひに西欧文明を勉強した。だがその勉強も努力も、おそらく自発的動機から出たものではない。それはペルリの黒船に脅かされ、西洋の武器と科学によって、危ふく白人から侵害されようとした日本人が、東洋の一孤島を守る為に、止むなく自衛上からしたことだった。・・・それ故に日本人は、未来もし西洋文明を自家に所得し、軍備や産業のすべてに亙って白人の諸強国と対抗し得るやうになった時には、忽然としてその西洋崇拝の迷夢から醒め、自家の民族的自覚にかへるであろうと、ヘルンの小泉八雲が今から三十年も前に預言している。そしてこの詩人の預言が、昭和の日本に於て、漸く現実されて来たのである」(萩原朔太郎『日本への回帰』1937年 筑摩書房)

 しかし萩原は全面的に日本主義者、日本人優越論に転向した訳ではありません。
 陶山 「日本的なものを前面に出してそれを全体主義とすることはできないか」
 萩原 「日本的なものを、指導的なものと云ふことは出来ないと思ひます」
 (「時局と青年を語る懇談会」 雑誌『いのち』1937年6月)

今月の数字

 韓国の若い人との交流を進めるため、日本政府は2004年3月1日より、修学旅行生に対し、ビザを免除することにしました。この結果今年2月末までの1年間に訪日した韓国の修学旅行生の数(付き添いの教職員等を除く)は、22,000人を超えました。ひとつの政策が大きな文化交流の効果をもち得ることを示しています。

<過去の韓国修学旅行生の訪日数(国際観光振興会JNTO調べ。データの関係で完全な比較はできない>

  2001年  608人
  2002年  3,140人
  2003年  5,436人

今月のクイズ

 アフリカ53カ国の国旗で最も多く使われている色は何でしょうか?
(正解は次号)

 前回のクイズ(アジア47カ国の国旗に最も多く使われている色)の答は、白です。詳細は、白:39カ国、赤:36カ国、緑:20カ国、青:16カ国、黄:15カ国、黒:11カ国、茶:4カ国です。ヨーロッパと比べて緑が多いのが特徴でしょうか。


後記

 このニュース・レターは、小職が仕事を通じて感じたことを、個人の資格と責任で書いたものであり、外務省の公式見解ではありません。ご意見やコメントは以下のいずれかにお寄せください。

郵便:100-8919 千代田区霞ヶ関2-2-1 外務省
Fax:03-5501-8343
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