外務省員の声

文化外交最前線
―第18号―

2005年7月29日
近藤誠一

はじめに

でも嫉妬深い人はそれでは満足しないでしょう、
理由があるから嫉妬するのではなく、嫉妬深いから
嫉妬するんですもの。嫉妬というものは
みずからはらんでみずから生まれる化け物です。

(シェークスピア 『オセロー』第3幕第4場 小田島雄志訳)

今月のテーマ:世界文明フォーラム-その3:部分と全体

<部分と全体>

 世界文明フォーラム2005でのもうひとつ印象に残った議論は、エルサレムのアル・コドウス大学ヌセイベ学長の「調和としての正義」に関する議論です。彼は人間はそれぞれが個々の独立した主体ではなく、あくまで全体の部分であると考えるべきであると言いました。イスラエルとパレスチナの紛争を例にとりつつ、2つの独立した主体がそれぞれ「権利」を主張し、特定の領土の所有を争えば、一方の成功は他方の反撃を生みます。どうすれば2つの主体の間の公平fairnessが確立できるかという問題は、解決できません。

 しかし両者がいずれもより大きな全体の構成部分であると自覚すれば、その間に調和を保つことが、全体にとってプラスであり、それは結果として個々の部分のプラスになるのです。如何なる個人も集団も、人類という全体(ひとつの主体)の構成部分であることを認識し、調和harmonyを目指すことで、全体にとっても構成部分にとっても最善の結果が得られる、すなわち「正義」が成立するのです。

 これは日本人にとっては比較的受け入れ易い議論ですが、ヌセイベ学長が、1991年マドリッド和平会議パレスチナ代表団運営委員を務め、イスラエルの和平推進派と強固な関係を有するだけに、この発言には大変重いものがあります。

 しかしいくらインターネットが発達したといっても、個人という部分と、世界の60億人という全体はどうつながるのでしょうか。どうすれば調和を望む個人の行動は、全体に広がるのでしょうか。

<スモール・ワールド>

 この問題の鍵である社会のネットワーク構造に関する興味深い研究があります。ハンガリーの数学者エルデシュは、1959年、多数の点があるとき、それらを全体が事実上完全につながっているネットワークにするには、相対的に少数のランダムなリンクがあれば充分なことを証明したそうです。しかもネットワークが大きくなるにつれて、必要なリンクの比率は小さくなるというのです。

 たとえば、50の町をつなぐ道路は、理論的には全部で1225本必要です(1つの町が他の49の町と直接つながる道路数は49で、50の町すべてがお互いにつながるための道路数は49 x 50 / 2 だからです)。しかし98本の道路をランダムに(不規則に)つくれば、すべての町が効果的につながる(勿論他の町を経由してです)のだそうです。つまり8%だけで済むのです。この点の数が300になると、約2%弱のリンクで全体がつながります。それでは60億の点、すなわち世界の人口をつなぐには、いくつのリンクが必要でしょうか?理論的にはひとりひとりが24人を知っていれば良いのだそうです。世界中のどの2人も、自分の知人24人から順次つてをたどっていけば、世界中のひととつながれるのです。しかも信じられないことに、わずか6段階(知人の知人の・・・)で。

<ネットワークの科学>

 ワッツとストロガッツは、1998年の『ネイチャー』への短い論文でこれをさらに発展させ、こうしたネットワークには、一定のルールがあることを見出しました。個々の構成要素は、規則的に、強い絆で結ばれた、高度にクラスター化した状態をもちつつ、そこには多数のリンクをもつか、または他のクラスターと長距離で、ランダムで、弱い絆でつながっているハブをもつことです。こうした構造により、すべての要素は全体の中の他の要素とわずかの隔たり(6次程度)でつながるのです。

 これは脳の構造(ニューロンのつながり)、生態系、インターネット、ワールド・ワイド・ウエブ、河川の支流のでき方のすべてに当てはまるのだそうです。誰も命令をしないのに、何百万匹もの蛍が短時間の間に光の同期的点滅をするようになることや、コオロギの鳴き声が同様の同期性をもつことなども、こうしたネットワークでの情報伝達で説明できるのだそうです。

 つまり人であろうと、モノであろうと、相互作用をする多数の構成要素から成るネットワークは、ひとつの「系」を構成し、個々の要素の動きとは全く無関係に重要なパターンと規則性をもつのです。

<いよいよ進む複雑系理論>

 このネットワークの科学は、「システムは個々の要素と、それら要素間の相互作用に基づいて、初めて完全に理解できるし、組織全体のパターンは個々の要素に原因を帰すことはできない」といういわゆる複雑系理論に属するものです。この種の議論はかなり昔から徐々に発達してきたようですが、ワッツとストロガッツの数学的発見によって新たな展開をみせつつあるようです(以上はすべてマーク・ブキャナン『複雑な世界、単純な法則』およびスティーヴン・ストロガッツ『SYNC』より)。これは物事にはすべて1:1の明確な因果関係があるとするこれまでの要素還元主義の限界を超えようとするものです。シェークスピアも、人間の嫉妬には明確な因果関係などないと言っているのでしょう。

<クラスターと鄙び>

 こうした理論が今後どのように発展し、これまでの要素還元主義に基づく政策に取って替わられるようになるのかは全く予測できません。しかし、個人がidentityを保ちつつ、芸術を舞台にして世界と自由につながり、世界の正義実現に貢献していこうという問題を考えるに際して、多くの勇気づけられる示唆を与えてくれます。

 まず、ネットワークが機能するには、緊密で規則性のあるクラスターが必要であるということです。ひとが地域において伝統文化、芸能、祭り、方言などを共有し、心を許しあえる「鄙び」に安らぎとidentityの基盤を見出すのは極めて自然であり、グローバル化に反することではないことが示唆されています。また国やコミュニティーや企業の経済競争力は、その構成員の間の「信頼」という社会資本が重要であるとのフクヤマの議論も、これと調和するものです(『「信」なくば立たず』)。

<必要なのはハブを育てること>

 同時に、ネットワークが全体と「つながる」には、それほど気の遠くなるような数のリンクは必要ないということです。多数のリンクをもつハブや、ランダムな長距離のリンクが存在すれば、個は全体とつながるのです。つまり、誰もが世界中のひとと直接つながっていなくとも、地域に「顔の広い」ひとがいたり、国際交流基金の情報センターのような多数と結ばれたハブがあったり、また姉妹都市交流がどこか遠くの市とつながれているお陰で、日本人は誰でも6段階の人づてによって世界中の市民すなわち全体とつながるということです。その意味で、「世界文明フォーラム」に参加した14人の外国パネリストは、それぞれがその地域、分野で極めて大きなハブであり、またそこに27カ国、2機関から来た若者が加わったことは、日本の有識者との間に、そして相互に新たな長距離リンクがつくられたことを意味し、人類の隔たりの短縮化に大いに貢献したのではないでしょうか。
 今回のフォーラムで具体的な結論や文書によるアクション・プランが出なかったとしても、ハブ同士のinteractionがそれぞれのハブのつながりにフィードバックされ、新たなつながりの増加となって、人類全体に、測ることはできないけれど、何らかの重要な影響を与えた可能性があると思います。インターネットの拡大によるランダムなリンクの増加とともに、キーとなるハブを長距離でつなげるという意味で、今回のようなフォーラムの意義は大きいと確信します。そして前号で言及した芸術の意義も、文明や国境や民族という「箱」を越えて、長距離なリンクを自由につくるという観点から捉えなおすこともできましょう。「世界アーチストサミット」に期待しています。

 文化外交とは、政府が共産主義国家のように文化の中身に介入することではなく、国内の文化の担い手の間や、世界の担い手とのこうしたネットワークづくり、彼ら同士のinteractionの環境づくりによって、個人という「部分」が「箱」に閉じ込められることなく、全体(地域や国や世界)と結びつき、自国と世界の文化が発展していくことを目指すものです。それにより、人類共通の正義に一歩近づくことができるのです。

今月の資料

 11月の「世界アーチストサミット」の企画書(PDF)PDFを同封します。

今月の引用

 「健全な資本主義経済とは、その基盤となる社会に、事業や企業やネットワークなどが自主的に組織を整えるのに十分な社会資本が存在している経済のことである。」(フランシス・フクヤマ『「信」なくば発たず』三笠書房)

今月の数字

 本文で引用したブキャナンの『複雑な世界、単純な法則』では、イングランドのシルウッド・パークという97ヘクタールの地区で、154種の生物からなる複雑な食物網を調査した結果が紹介されています。そこでは任意の2種の生物の間の隔たりを調べたそうです。具体的には、その2種類の生物を何らかの因果の連鎖でつなぐためには、種と種を結ぶリンクを何本たどる必要があるか、食物網の一部に生じた攪乱が引き金となって、隔たった他の部分まで影響が及ぶには、何本のリンクをたどる必要があるかということです。ではそこで鳥類と甲虫、あるいはクモと細菌の間で、どんな2種をとってもその「隔たり次数」はわずか2から3だそうです。

今月のクイズ

 元素がその特性を失わない範囲で到達しうる最小の微粒子は原子です。宇宙全体にある物質をすべて均して原子が一様に分布する海にすると、空間1立方メートル当たり、原子1個あるかないかだそうです。それでは、今日地球上の最も性能の良い実験室で達成できる真空には、1立方メートル当たりどれだけの原子が含まれているでしょうか。また普通の空気にある原子の数はどれくらいでしょうか。
(正解は次号)

 前号のクイズ(ノーベル賞に与えられる賞金)の答えは、(4)1億2000万円です。


後記

 このニュース・レターは、近藤・前広報文化交流部長が仕事を通じて感じたことを、個人の資格と責任で書いたものであり、外務省の公式見解ではありません。ご意見やコメントは以下のいずれかにお寄せください。

郵便:100-8919 千代田区霞ヶ関2-2-1 外務省広報文化交流部総合計画課
Fax:03-5501-8126
E-mail:seiichi.kondo@mofa.go.jp

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