外務省員の声

文化外交最前線
―第16号―

2005年7月25日
近藤誠一

はじめに

賢者はただ真実のみを語るが
真実なら何でも語れるわけではない。

ウズベキスタンの思想家の「名言集」(黒田長男訳)より

今月のテーマ:世界文明フォーラム-その1:「文明」という言葉のもつ意味

<世界文明フォーラム2005>

 7月21-22日、「世界文明フォーラム2005」が開かれました。小泉総理に歓迎の挨拶をして頂きました。世界の各界を代表する一流の有識者が、21世紀の人類文明のあり方を2日間にわたって論じました。またグローバル・ユース・エクスチェンジ(GYE)という外務省の招聘プログラムで来日中の、世界27カ国(日本の大学院生2名を含む)、UNDP,UNHCRという国際機関から各1名、計30人の若者も参加しました。

 フォーラムの内容を要約することは不可能です。20人を超えるパネリストや、400人の聴衆の印象もそれぞれ異なるでしょう。豊かで無限の広がりをもつ議論の中から、各自が自分の問題意識に響いたことを中心に記憶し、自分の議論を発展させたはずだからです。ここでは私が自分の問題意識からみて印象に残った点をいくつかご紹介します(各パネリストの短いペーパーや、セッション毎の論点をまとめた文書がいずれNIRA(総合研究開発機構)のホームページ 他のサイトヘに掲載される予定です)。

<人類を「文明」で分けることの愚かさ>

 最も印象的だったのは、全体議長を務めたアマルティア・セン教授の議論です。ハンチントン教授の著作や、9.11事件以来、「文明の衝突」や、「文明間の対話」が頻繁に口の端に上りますが、そもそも人間を「文明」という切り口だけで分類することは間違いであり、グローバルな正義実現にとって危険であるという議論です。
 人間ひとりひとりは、複数のグループに属し、それぞれにidentityを感じています。あるひとは、女性で、フランス国籍をもつが、シンガポール出身で、インド人を祖先にもち、英語を話し、イスラーム教徒で、歴史学者で、環境保護の活動家で・・・などそれぞれのグループに属し、その中でinteractしているのです。
 このうちどれかひとつのみ取り上げて、「このひとは・・・だ」と決めつけることは間違いだと言うのです。現在は宗教を基礎とした「文明」という切り口ですべての人類を分類してしまう傾向が強まっています。

 ハンチントン教授はインドをヒンドウー文明と分類しましたが、インドには1億4,500万人のイスラーム教徒がおり、インドネシア、パキスタンに継ぐイスラーム人口をもっています。首相はイスラーム教徒、大統領はシーク教徒、与党党首はキリスト教徒なのです。

<個人のidentityは本人の自由意志で>

 しかも個人が属する複数のグループの教義の間には、時として矛盾や競合が生じます。上述のひとにとって、歴史学会と、環境保護の集会とがかちあうかも知れません。重要なことは、個人がどのグループに属するかを自分で自由に選べることと、その間に競合がある場合、そのどれに自分は最も忠実かを自分で選択できることです。たまたまイスラーム教徒であるというだけで、他のすべての信条や属性を無視されて、外部からイスラーム教徒というひとつの「箱」に閉じ込められ、政治的・社会的に色をつけられるのは、個人の自由を損ね、正義に反するものです。ナチ政権下のドイツにいたある人が、たまたまユダヤ人であるというだけで、そのひとがもつ他のすべての信条や帰属グループのことを全く無視されて命を奪われたのと同じです。

<「対話」もおかしい>

 セン教授はさらに言います。文明間の「対話」という考えもおかしいと。そこには、文明は放っておくと衝突するものだから、それを避けるために対話をするという発想がある、つまり既にそこで人類を「文明」という箱に入れているからです。教授は「世界を異なる文明の連邦と捉えてはいけない」と警告しています。このフォーラムを「文明間対話」とせず、また3つのセッションでも文明や宗教を直接のテーマにしなかったことは賢明だった訳です。

<「文明」のもつ意味>

 人間を文明だけで区分してはいけないというセン教授の指摘は、次々と知的興味を生みます。まず、何故「文明」によって人類を一義的に分類する傾向が強まっているのでしょうか?恐らく宗教と結びついた「文明」は、その服装、宗教行事、食べもの、習慣など、違いが目に付き易いことが挙げられるでしょう。しかしそこにはもう少し深い意味合いがありそうです。

<国際法の発展が示す文明の歩み>

 フォーラムで提示された国際法の観点からの分析は、「文明」という言葉の歴史的背景を考えさせてくれました。近代国際法は16-17世紀に欧州で作られましたが、最初は「キリスト教国家間の法」という性格をもち、それが「文明国家間の法」となり、今の国際法に至るのです。グロチウスは、法規範を宗教から分離し、近代国際法の基礎を築いたことで「国際法の父」と呼ばれています。たしかにそれゆえにローマにおいては、彼の有名な『戦争と平和の法』(1625年)は旧教徒に対して禁書とされました。しかしそれでもなお彼の自然法の概念の奥にあるものは、キリスト教であったと言わざるを得ません。彼が「神意法」や「人意法」と区別する「自然法」は、人間の「知性」、「本性」を淵源とするとされますが、そこでいう人間とはキリスト教徒のことでした。神は「我々の存在及び我々のもつすべての拠り所」であるからです(『戦争と平和の法』一又正雄訳)。

 この状態は、ヨーロッパ列強がキリスト教圏外へと進出するにつれて変化しました。1856年クリミア戦争の処理のためのパリ平和条約にトルコが参加した時、国際法は初めて非キリスト教国をそのメンバーにしたのです。ただしトルコの文明は「西欧諸国の文明のレベルに達していないので」、いわゆるCapitulations(非キリスト教徒がキリスト教徒に特権を許す協定)が残りました(L.Oppenheim, International Law,第8版)。日本など他の一部の非キリスト教国も「半」文明国と認めて不平等条約を結び、「非文明国」については、彼らを「文明化」するために植民地支配を行うことで世界支配を進めたのです。

 こうした分類は、当時は正面から受け入れられていたようです。

 「今、世界の文明を論ずるに、欧羅巴諸国並に亜米利加の合衆国を以て最上の文明国と為し、土耳古、支那、日本等、亜細亜の諸国を以て半開の国と称し、阿弗利加及び墺太利亜等を目して野蛮の国といい、この名称を以て世界の通論となし、西洋諸国の人民、独り自から文明を誇るのみならず、彼の半開野蛮の人民も、自からこの名称の誣いざるに服し、自から半開野蛮の名に安んじて、敢て自国の有様を誇り西洋諸国の右に出ると思う者なし。」(福沢諭吉『文明論の概略』巻の1第二章 岩波文庫より)。

<国際連盟規約>

 国際連盟においても、自立し得ない旧植民地を先進国が委任統治することは、「文明ノ神聖ナル使命ナルコト」とされました(国際連盟規約第22条)。ここでの「文明」とは明らかにヨーロッパ文明のことでした。植民地支配も、国際連盟下での委任統治も、「ヨーロッパ文明の名において」行われたのです。

<複数文明の承認>

 国連憲章では文明という言葉が消えました。ただ国際司法裁判所規程には、「裁判官全体のうちに世界の主要文明形態及び主要法系が代表されるべきものであることに留意しなければならない」(9条)という条文があり、国連は国際機関として初めて複数の文明を認めたことになります。「宗教や文明のレベルという議論の余地あるテスト自体は、国家を認める条件ではなくなった」のです(Oppenheim前掲書)。しかし、と彼は続けます。国際社会に認められていない国との「関係やその扱いが、キリスト教倫理の原則によって律せられるのは明白である」と。

<西欧文明による成果の独占>

 ここにセン教授が述べた西欧文明への皮肉がつながります。人類がこれまで蓄積してきた科学技術の成果がすべて「西欧文明」として西欧の独占物とされ、その優越性の象徴として提示されてきたことです。現在コンピューターの演算手続きを指示する規則として使われるアルゴリズムという算法は、9世紀のAl-Khwarismiというアラビアの数学者が考え出しました。十進法はインドで生まれ、アラブ人によってヨーロッパに伝えられました。紙の製法が発明されたのも中国です。

<文明による世界の分断>

 文明が依然として世界の分断につながっているのは、服装や習慣などの違いが目に見え易いからだけでなく、「文明」という言葉に潜む、こうした長く複雑な歴史が、教育や民族の集団的記憶を通じて、ひとびとの脳裏に焼きついていて、他のグルーピングよりも強い力をもつからではないでしょうか。

 テロリストたちは、こうした歴史をもつ「文明」のステレオタイプを悪用しているのです。自爆テロを、「イスラームの名において」行うことで、イスラームに属さぬひとびとは、イスラームとはそういう宗教なのだと思い込み、無実のイスラーム教徒たちを「他者」にしてしまいます。たまたまイスラーム教徒である個人は、人権擁護派であっても、児童の権利に熱心でも、みな選択の余地無く、外部から一律に危険なイスラーム主義者という「箱」に入れられてしまうのです。

 穏健派のイスラーム教徒に、過激派をなだめるようにと働きかけることも、イスラームという宗教・文明か、それ以外の文明かで人類を分割し、すべてのイスラーム教徒を「他者」扱いすることにつながり兼ねません。自分をカテゴリカリーに「他者」使いする相手に反発を感じないひとはいません。テロリストの術中にはまってしまうのです。西欧もまた、不注意にもイスラームを「他者」扱いすることで、反西欧文明運動づくりに貢献しているのだとセンは述べています。

今月の資料

 「世界文明フォーラム2005」の最終日程(PDF)PDFと、フォーラムに提出された、若者(GYEプログラム参加者)からの提言を同封します。

今月の引用

 「中心的問題は、ひとことで言えば、自由である。われわれのアイデンティティーを{文明という()}牢獄に閉じ込めることは、社会として賢いことではない。それは知的敗北である。」(アマルティア・セン "Civilizational Imprisonments," The New Republic, June 10, 2002
{ }内は筆者による補足)

今月の数字

 セン教授がノーベル賞をとったのは1998年ですが、2004年までの受賞者の数は、全部門合計で54カ国(国際機関を含む)、816人です。

今月のクイズ

A: ノーベル賞は、6部門で与えられますが、それは次のうちどれでしょうか?

(1)数学 (2)物理学 (3)化学 (4)歴史学 (5)人類学 (6)政治学 (7)社会学 (8)医学・生理学 (9)生物学 (10)文学 (11)平和 (12)経済学 (13)環境 (14)人権

B: 日本人の過去の受賞者の数は何人でしょうか?

(正解は次号)

 前号のクイズ(万葉集の東歌の語法を現在まで方言として伝えている島)の答えは、(3)八丈島です。

<補足>

 前号(第15号)の第2ページ、第三段落<和訓、宛字>の最後にある(石川前掲書)とは、第14号で引用した石川九楊『日本語の手ざわり』のことです)


後記

 このニュース・レターは、近藤・前広報文化交流部長が仕事を通じて感じたことを、個人の資格と責任で書いたものであり、外務省の公式見解ではありません。ご意見やコメントは以下のいずれかにお寄せください。

郵便:100-8919 千代田区霞ヶ関2-2-1 外務省広報文化交流部総合計画課
Fax:03-5501-8126
E-mail:seiichi.kondo@mofa.go.jp

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