外務省員の声

文化外交最前線
―第15号―

2005年7月21日
近藤誠一

はじめに

ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく

石川啄木(『講談社文芸文庫』)

今月のテーマ:ことばの世界-その2

<英語も方言化?>

 世界を制覇したかに見える英語にも問題があるようです。前号で言及したニューズウイーク誌によれは、英語が世界語になったが故に、地方々々の訛りができているようです。英語と米語の違いはもちろん、「カスタマイズされた方言」がどんどん増えているようです。今も、バベルの塔への神の怒りは収まっていないようです。

 英語の本家たるイギリス英語も、日本の標準語同様、「みやび」として「あこがれ」の対象になると同時に、「疲れ」「飽き」を生むのでしょう。冒頭の啄木の歌にあるように、ひとには住んでいる地域独特の言葉が必要なのです。私もOECDの事務次長の頃は、会議でたまに日本語訛りの英語を聞くと、ほっとしたものでした。

one, two, tree

 しかし方言英語は、それが圧倒的多数によって話されるがゆえに、堂々とまかり通り、航空管制官などの世界で使われているそうです(例えばthの発音が訛り、three が treeになってしまう)。その方が理解され易いのだそうです。その結果本来のキングズ・イングリッシュなどの正統英語をまくしたてると、かえって売り込みに失敗することもあるそうです。普遍的な言語になるにつれ、結局は地域化され、真性さを失うというパラドックスです。もちろん英語のもつ論理性、効率性という、普遍性の核はしっかりと維持されるでしょうが。
 また地域化を通して、方言のもつ独特の意味合いが標準語に逆流することもあります。最近日本でよく聞く「チョー」が、中国の若者の間で使われているそうです。「会議中」の「中」も、本来の中国語の使い方ではないが、便利なので中国で使われているそうです。元は中国語ですから、これも方言の逆流の一種かもしれません。

<スペリング・ビー>

 アメリカには1925年以来「スペリング・ビー」という、英単語のつづりを当てる全国大会があるそうです。アジア系や、ヒスパニック系の子供たちが、クイズを通して正しい英語を学ぶとすれば、社会の絆を強めることに役立つでしょう。ただしこのクイズが、標準とされる英語の定着に役立つのか、逆にいろいろな人種の感性が英語を一層豊かにする役割を演じるようになるのか、興味深いところです。

<翻訳の効用>

 「英語か美しい日本語か」の問題を考えるに当たり、日本の近代化の過程を振り返ってみることが必要です。明治以来の西欧文明の吸収で重要な役割を果たしたのは、英語教育ではなく、翻訳です。日本人がそれまで馴染みのなかった概念を吸収し、消化するに当たっては、それを日本の言葉に翻訳したのです。最近コーポレート・ガバナンスを「企業統治」と訳す時のように、当時のひとも新しい概念を造語で紹介されて戸惑ったでしょう。しかし、この翻訳と長い期間にわたる消化の過程こそが、日本人をして西欧の概念を自分の血や肉とするために決定的役割を演じたのです。

<和訓、宛字>

 奈良・平安時代の日本語の成り立ちにも、翻訳は重要な役割を果たしました。我々の祖先は中国から導入した漢字をそのまま使うだけではなく、古代倭語をそれに当てはめました。例えば、「冬」の字は、中国音のdongと発音していましたが、ある時からそれまでの古代倭語の中から、「ふゆ」という語を選びこれに当てはめました。これがいわゆる「和訓」です。
 さらに古代倭語を表記するため、漢字の音を利用する「宛字」(例えば「はな」は「波奈」)を考えました。この万葉仮名がどんどんくずされて平仮名になりました。これでひとびとは漢字・漢語では満たされなかった思いを字で表現できるようになったのです。他方漢字の一部を使って作った片仮名は、漢文の「読み下し」に使われました。言い換えれば、片仮名は、「漢語を和語脈へ、漢文を和文脈へと再構築するための「補助記号」(辞)として生まれた」(石川前掲書)のです。

 こうして漢語は徹底的に和風に料理され、消化されたのです。欧米の言葉(主として英語)は、文字こそ取り入れませんでしたが、その概念を、持ち合わせている漢字や片仮名で表しました。Communismを表すため「共産主義」という造語をつくり、それが中国に輸出されました。片仮名でコミュニズムと書くことで、欧米の原語の意味から離れぬようにすることもできます。以上を考えれば、日本語はその時々のグローバル言語たる中国語と英語を、見事に「翻訳」したのです。「翻訳文化は異文化の日本化」(加藤周一 朝日新聞2月12日「夕陽妄語」)なのです。

<「僕」か「私」か>

 しかしそれだけに翻訳には大変な困難が伴います。村上春樹や芥川竜之介を訳しているJay Rubinハーバード教授は、『羅生門』の「下人」を英訳するのに苦労したと言っていました。翻訳には不断の緊張と悩みがあるでしょう。主観も入るでしょうし、誤訳もあり得ます。英語のIを「僕」と訳すか、「俺」とするか、「私」なのか、あるいは主語を省いてしまうのかは、さぞかし翻訳者の頭痛の種かと思いますが、あまり理屈でこだわる必要はないようです(村上春樹、柴田元幸『翻訳夜話』)。

 他方外国人がその国の言葉に訳す場合は、「僕」も「私」もすべてIで良いので楽かも知れませんが、恐らく翻訳を重ねるほど、さもなければ気づかなかったであろうIの意味の深さ、多様性を感じるのではないでしょうか。JETプログラムの同窓会が先日日本で開かれましたが、その参加者のひとりが、日本で学んだ縁(えにし)という言葉のもつ深い意味あいが気に入り、それをconnectionという英語を使いつつ、今回の同窓会のキーワードにしたそうです。connectionという言葉は、その意味合いを広め始めたのです。

<感性の翻訳>

 「地方」独特の感性は、方言や翻訳作業などの言葉を通さなくても伝わります。パリにいた頃、中国大使館文化センターで、中国人歌手のメゾソピラノが歌う「カルメン」を聞きました。同じ原文たるフランス語で歌った「ハバネラ」でしたが、東洋人と西欧人とでは醸し出すものが違うことを肌で感じました。日本語や中国語で歌うカルメンも、その芸術性が高ければ、依然として「カルメン」です。こうした東洋人による新しい、多様な「カルメン」が、その作品の普遍性を高めるということを、西欧人は次第に気づいていくでしょう(拙著『パリ マルメゾンの森から』)。

<失われゆく言語>

 ただし、日本や中国のように大きくはない文化圏の言語、とくに少数民族の言葉は、絶滅の危機に瀕していると言われます。グローバル化の波にのって、情報や商品と一体となって流入する英語が、そうした言語を滅ぼしているため、英語は「殺し屋の言語」と言われる所以です(D.ネトル、S.ロメイン『消えゆく言語たち』、T.クローバー『イシ』)。

 同じように、日本で次第に失われつつあると言われる敬語のもつ重要性に国民が気づき始めたようです。一見厄介な敬語の奥にある合理性や、人間関係における価値が見直されているのでしょう。

 やまと言葉であれ、敬語であれ、ニュアンスのある日本語の語彙が失われてしまう前にその危機に気づき、クイズなどの工夫で若者に残そうとできるのは幸せなことです。「美しい日本語」のクイズに参加した中高生に心から敬意を表します。

<翻訳による相互作用>

 このように普遍語と地域語は、長期的には前者の方言化、両者間の翻訳を通して相互作用が行われ、それぞれが発展していきます。前者の効率性、合理性、伝達能力はもちろんのこと、後者のもつ地域性、人間性、文化性も同様に重要です。普遍的な共通語と、3、000に及ぶ言語が共存し、そこに絶え間ない翻訳作業が行われることこそが重要であり、そうした環境を整えることが国やユネスコなどの国際機関の役割でしょう。それは必ずしも商業ベースに乗らないからです。

 翻訳は時間がかかり、血のにじむような努力が要求されるからこそ、そこに2つの言語の間の、真剣なinteractionが生まれ、相手の文化を自分の中に消化し、咀嚼できるのです。「美しい日本語」ブームを大切にすると共に、外国語への質の高い翻訳を進めるべきです。

<外交における言語>

 外交活動のうち、安全保障や貿易の交渉は、国益をかけた真剣勝負です。ハード・パワーと裏腹の論理、言葉による厳しい駆け引きが要求されます。交渉相手との人間的信頼関係確立のために、非言語手段による交渉当事者同士の人間としての共感や信頼関係は重要ですが、それが結論を大きく変えることはありません。共通の交渉語たる英語力は必須です。しかしソフト・パワーを使って長期的に日本の価値観を広める文化外交では、日本語やその概念を外国語に翻訳したり、文化、芸術活動によって、言語を使わずに、感性に対して「日本」をアピールしていくような、様々な工夫が必要になるのです。そしてそこでは、日本からの一方的発進だけではなく、日本自身が普遍性を高めるために、異なる文化を受容する懐の深さをもつことも重要なのです。

今月の資料

 文化庁平成16年「国語に関する世論調査」 他のサイトヘの敬語関連部分を同封します。
国民の8割が、敬語の使い方の間違いが増えていると考え、今後は「敬語は伝統的な美しい日本語として、豊かな表現が大切にされるべきだ」と答えたものが、平成9年度の46.9%から53.6%に増加しました。「敬語は簡単で分かりやすいものであるべき」と答えたのは、16-19歳の男性と、20-39歳の女性だけです。

今月の引用

 古代社会では「言」と「事」が未分化であったのが、文字をもつ時代へと移行するに伴い、言葉が心のあらわれとして意識されるようになったことを示す、仮名文字による散文の開祖ともいうべき、紀貫之の仮名序の冒頭です。
 「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出だせるなり(「古今和歌集」仮名序 『新潮日本古典集成』による)。

今月の数字

 米国の大学に在籍する留学生の総数(2003年度)は、572、509人(日本における留学生は117,302人)ですが、アジアからの学生では、インドが79,736人(全米留学生中の13.9%)で最も多く、次いで中国61,765人(10.8%)、韓国52,484人(9.2%)、日本40,835人(7.1%)です(Open Doors 2004)

今月のクイズ

 万葉集の第14巻の東歌に、

筑波嶺(つくばね)に 雪かも降らる いなをかも 愛(かな)しき子ろが 布にの乾(ほ)さるかも

(3351 『新潮日本古典集成』)

という歌がありますが、こうした東歌の語法を現在まで、方言として伝えている島があります。そこでは「雨が降った」を「雨ン降ララー」と言います。それは次のどこでしょうか(金田一春彦『日本語』岩波新書より)。

(1)国後島  (2)佐渡島  (3)八丈島  (4)江ノ島  (5)淡路島  (6)屋久島
(正解は次号)

 前回のクイズ(出世魚の名前の若い順と、成魚の名前)の答えは以下の通りです。
(1) モジャコ(ワカシ)― イナダ ― ワラサ ― ブリ
(なお関西では、モジャコ ― ワカナ ― ツバス ― ハマチ ― メジロ ― ブリです)
(2) セイゴ ― フッコ ― スズキ


後記

 このニュース・レターは、近藤・前広報文化交流部長が仕事を通じて感じたことを、個人の資格と責任で書いたものであり、外務省の公式見解ではありません。ご意見やコメントは以下のいずれかにお寄せください。

郵便:100-8919 千代田区霞ヶ関2-2-1 外務省広報文化交流部総合計画課
Fax:03-5501-8126
E-mail:seiichi.kondo@mofa.go.jp

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