外務省員の声

文化外交最前線
―第14号―

2005年7月19日
近藤誠一

はじめに

有明の つれなくみえし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし

(「古今和歌集」625『新潮日本古典集成』)

今月のテーマ:ことばの世界-その1

<古今和歌集成立から1,100年>

 今年は古今和歌集成立1,100年です。先日あるTVで、中高生対象に「美しい日本語」の知識を競うクイズ番組を見ました。決勝の問題が、夜が明け始めて、空がうっすらと明るくなってきたときのことを何と言うかでした。答は「東雲(しののめ)」でしたが、そこで夜明けの状態を表す言葉として、他に暁(あかつき)、曙(あけぼの)、朝(あした)があること、それらはすべて意味が違うことを教わりました。

 「暁」は、明るくなる直前のことを指す由です。『広辞苑』(第4版)も、夜を3つに分けた第3番目で、宵、夜中に続くとしています。ただし現代はやや明るくなってからの状態を指します。「曙」はもう少し明るくなった状態を指すそうです。『時代別国語大辞典上代編』では、上代では夜が「ゆうべ」「よい」「よなか」「あかとき」「あした」と5つに分かれていたそうです。アカトキ(暁、五更)は平安時代ごろからアカツキと変化したこと、午前3時から5時ころを指すことが分かりました。冒頭の古今集の歌は、夜明け直前の月を見ていると、かつて思いを寄せる相手につれなくふられた時の夜明けが、思い出させられることを歌っています。

 「東雲」は「夜明けの薄明かり、夜明けそのもの」(『広辞苑』)ですが、元々は「人にはしのび」(人に逢わない意)などに続く序詞であり、明け方の意味はなかったそうです。明け方を指す意味で使われた歌は古今集にあります。初句に使われたのは以下の2つです。

東雲の ほがらほがらと 明けゆけば おのがきぬぎぬ なるぞ悲しき
しののめの 別れを惜しみ われぞまづ 鳥よりさきに 泣きはじめつる

(古今集637、640『新潮日本古典集成』)

 「曙」はもちろん枕草子の冒頭(春は、あけぼの・・・)が有名です。朝は夜が終わってからしばらくの間で、今でも「あした 浜辺を さまよえば・・・」という「浜辺の歌」にその意味が残っています。これら4つの言葉のニュアンスの違いを知って、季節や自然、心を表す日本語の美しさ、豊富さを垣間見た気がしました。

 念のため英語を調べてみました。上記4つの日本語に対応するものとしては、dawn, daybreak, the cockcrow, morning twilight, morn, 詩に使われるものとしてauroraなどの単語があります(研究者『新和英大辞典』)が、日本語のようにきめ細かく時間の変化を追ったものではないように思います。ただし日本語でもニュアンスは時代と共に少しずつ変わっているようです。上述のクイズ番組で回答者の一方が、「東雲」の代わりに「曙」と答えて「間違い」とされ、優勝を逃しましたが、後に専門家が協議して、これも正解としたのはこうした理由からです。

<「美しい日本語」運動>

 最近美しい日本語を取り戻そうという運動がにわかに高まっているように思います。例えば「東京新聞フォーラム」の漢字文化シンポジウムは、今年その3回目として「美しい日本語」をテーマにしました(6月27日東京新聞)。若い人もこれに呼応しています。シンガー・ソングライターの森山直太郎さんは、英語やリズム重視の最近の音楽界の中で、日本語と優しい旋律を重視しているそうです(6月23日読売新聞)。『日本語』に関する様々な著作が書店を賑わしています。政治も「文字・活字文化振興法」制定(2005年7月22日)という形で呼応しています。

 遣唐使の中止を契機に、和様文化の見直しが始まり、初めて漢詩ではなく、和歌の勅撰集たる古今和歌集ができたように、グローバル化への努力がひとつの文化的限界に達しつつあると感じるひとが増えている現在、日本語への回帰が起こっているのかも知れません。これは本シリーズ「その12」(みやびとひなび)で扱った、地方への回帰に通じます。では日本語には特別な「癒し」効果があるのでしょうか。
 それは、日本語のもつ語彙の豊富さと、自然の美との結びつきの深さ、そして訓読みのもつ安らぎではないでしょうか。

<出世魚と雪>

 明け方でも4つの異なる言葉があるように、日本語の語彙は多様です。自然の移ろいや動植物、ひとの心などについて特にそうです。出世魚と言われるように、生物学的に同じ種類の魚でも、その生育段階によって違った名前を与えられるものがあります。植物でも、例えば葦(あし)は、はじめて生えたばかりのものは、葭(か)、まだ秀でぬものは蘆(ろ)、長成したものを葦(い)と呼びます(『本草綱目』)。
 エスキモー語には「雪」について数十の表現があり、またアラブ語には駱駝について多くの名前があるそうです。日本語の語彙の豊富さはとくに季節と密接に結びついていると言えそうです。蝶には多くの種類があり、かつその土地々々で様々な呼び名があるでしょうが、俳人黛まどかさんによれば、俳句ではそれだけでなく、飛んでいる季節によって、初蝶、梅雨蝶、夏蝶、凍蝶の4種類があるそうです。

<音読みと訓読み>

 9-10世紀の日本語形成過程で、漢字・漢語系の男性的なニュアンスと、やまとことば系の女性的なニュアンスの両者が日本語の要素なったことも、日本語の豊かさの一因でしょう。同じ雪でも、「セツ」と読むときと、「ゆき」とでは違います。「豪雪」は音読みして始めてその豪快さが出ますし、「ゆきうさぎ」の可愛さ、もろさは、訓読みでしか表せません(石川九楊『日本語の手ざわり』)。

 「人間の脳は、生存可能性を増やす環境に、より心地よさを感じるようにできている」(黒川伊保子『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』)のだとすれば、逆にいろいろな語彙をもち、それに愛着をこめることは、物事への対応をきめ細かくし、心を洗練されたものにし、多様な生活を可能にするでしょう。そうした言葉をかみ締めることで、心に襞が蘇り、「癒し」につながるのかも知れません。文字・活字文化振興法も、「豊かな人間性の涵養」の重要性を指摘しています。また感情表現が豊富なことは、その感情処理、ひいては人間関係の処理にも影響を与えます。感情のすべてが「チョー・うれしい」と「チョー・ムカツク」のいずれかだけだったら、そのひとの行動は粗野で、円滑な社会生活に支障をきたすでしょう。

<方言の流行>

 日本では最近方言が流行り始めたそうです。都内の女子高校生にとっては、方言には標準語にない独特の語感が新鮮に移り、仲間意識を強めるのに一役買っているというのです。名古屋弁と大阪弁をつなげるなどの造語もあり、「内輪語」のひとつとして使われているそうです。この流行の背景には、「共通語は普通すぎて面白くない」、「標準語より言い方がやわらかくなるから」とか、「ほのぼの感が漂う」、自分を遜ることになり、謙譲語の役割も果たすといった理由もあるそうです(6月25日日経新聞、7月7日毎日新聞)。

 ここで別役実さんが、「大阪弁はワープロに入らない」と書いておられるのを思い出しました(『星座』2004年24号)。標準語やインターネットは効率的で便利ですが、あまりに標準化、定型化されてしまい、ニュアンスが分かる内輪すなわち「鄙び」がなつかしくなるのでしょう。

<普遍語としての英語>

 しかし他方で英語の重要性は増す一方です。最近のブリティッシュ・カウンシルの推定では、ここ10年のうちに、世界で英語を学ぶひとの数は、英語圏以外で20億人に達する見込みだそうです。これに英語圏の人口10億人を加えると、実に世界の人口の半分が英語を話すことになります。現に中国では英語熱が盛んで、大都市では小学校3年から教えているそうです。仏語圏のカンボジア、元英領のインドやシンガポールも同様です。その動機は、経済、自立、ビジネス、世界の教育の「ハブ」になるなど様々なようです(朝日新聞の6月の連載)。

 ニューズ・ウイーク誌(4月6日号)によれば、世界の電子データの80%は英語であり、科学者の66%が英語で文献を読んでいるとのことです。フランス政府は英語の普及に消極的ですが、フランス人自身は最近英語をよく話すようになりました。グローバル化の中で、迅速かつ正確にコミュニケートするための、普遍的で効率的な手段としての英語の価値は不動のものになったと言えましょう。

<アジアの価値を語る時も英語で>

 先日、日・ASEANグローバル・フォーラムという会議で、日本とASEANの出席者が、「アジアの共通価値」を論じましたが、そこでの共通語は英語でした。

 ではグローバル化を生き抜く競争力をつけるための英語と、心に安らぎを与えてくれる美しい日本語と、どちらがより重要なのでしょうか。

今月の資料(PDF)PDF

 アジア主要国でのTOEFL得点比較と、米国大学におけるアジア言語履修登録者数です。日本人の英語下手は有名です。他方米国では日本語への関心はそれほど衰えていません(勿論2003年以降中国語熱が高まっているのは事実)です。

今月の引用

 「全地は同じ発音、同じ言葉であった。・・・彼らはまた言った。「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。・・・これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。」『創世記』第11章)

今月の数字

今月のクイズ

 次の名前は、ある出世魚の若いときの名前です。これを若い順に並べて下さい。またこの魚の成魚の名前は何でしょうか(正解は次号)。

(1) イナダ、モジャコ(ワカシ)、ワラサ
(2) フッコ、セイゴ

 前回のクイズ(フランスにおいて、中央と地方の計8組織に対する信頼度の高い順)の答えは以下の通りです。
1位:軍隊  2位:警察  3位:市長  4位:地方議会  5位:県議会  6位:国  7位:上院議員  8位:閣僚  9位:下院議員


後記

 このニュース・レターは、近藤・前広報文化交流部長が仕事を通じて感じたことを、個人の資格と責任で書いたものであり、外務省の公式見解ではありません。ご意見やコメントは以下のいずれかにお寄せください。

郵便:100-8919 千代田区霞ヶ関2-2-1 外務省広報文化交流部総合計画課
Fax:03-5501-8126
E-mail:seiichi.kondo@mofa.go.jp

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