外務省 English リンクページ よくある質問集 検索 サイトマップ
外務省案内 渡航関連情報 各国・地域情勢 外交政策 ODA
会談・訪問 報道・広報 キッズ外務省 資料・公開情報 各種手続き
トップページ 報道・広報 外務省員の声
外務省員の声

文化外交最前線
―第9号―

2004年10月10日
近藤誠一  
はじめに

 国際大会に出場するイラク選手を日本は支援しましたが、日本で強化訓練をした柔道選手がアラブ大会(9-10月、アルジェリア)で銅メダルをとりました。ボールや靴などを提供したサッカー・チームはアテネ・オリンピックで準決勝まで進みました。また外務省はサマーワ市のオリンピック・スタジアム修復のため、4千万円強の文化無償援助を行うことにしました。スポーツ外交が成果を挙げています。

今月のテーマ:近代の超克?

<和音楽の復権>

 明治以降日本の音楽教育は西洋音楽中心でした。それは世界一流の演奏家や作曲家を次々に生み出しました。しかし最近になって、日本音楽は日本人の心に独特な価値をもっているものとしてその地位を復活させつつあるようです。平成10年の文部省中学校学習指導要領の改訂において、「和楽器については、3学年間を通じて1種類以上の楽器を用いること」が盛りこまれ、また西洋音楽を念頭においた「旋律と和声とのかかわり」という記述が、邦楽を意識して、「音色、リズム、旋律、和声を含む音と音とのかかわり合い」に改められたことはその象徴です。「曲種に応じた発声により、言葉の表現に気を付けて歌う」との表現もあります。

 さらに「世界の諸民族の音楽における楽器の音色や奏法と歌唱表現の特徴から音楽の多様性を感じ取って聴く」とも書かれています。西欧の近代音楽が、150年を経てやっと消化され、相対化された(民俗音楽のひとつと認識された)ということかも知れません。西洋音楽の普及と和音楽の復活、両者の共存という現象は哲学、思想、政治、経済など他の分野の状況を理解する際の参考になりそうです。

<音楽における普遍性>

 音楽の世界では明らかに8度(1オクターブ)、完全5度(ドとソ)、完全4度(ドとファ)、長3度(ドとミ)は世界のどの民族でも受け入れられ、それぞれの体系の基礎になっているようです。またソ、ラ、ド、レ、ミ、の5音階は、日本のみならずアイルランドなど各国のわらべ歌に共通しており(たとえば「蛍の光」)、さらにはこの音階には治療的意味があると主張するひともいるようです。

 作曲家池辺晋一郎氏は、天才モーツアルトは「常に自然体」で、ドミソの旋律、和音をよく使っていると述べておられます(『モーツアルトの音符たち』音楽之友社)。例えば有名な<セレナード>ト長調K525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は、ド、ソ、ド、ソ、ド、ソ、ド、ミ、ソと始まります。モーツアルトの音楽の普遍的人気の秘訣のひとつはここにもあるのでしょうか。こうしてみるとドミソの和音や旋律、5音階は音楽における普遍的価値と言えそうです。

<普遍性の上に加わる多様性>

 こうした普遍的価値の上に、個々の民族が有する特殊性が積み上げられて、独特の文化をつくるということなのでしょう。西洋音楽はこうした普遍的なものを12平均律と記譜法という合理的システムに統合し、それに和音やベルカント唱法のような独自の文化を積み上げた上で、全体を数学的に体系化したのです。その体系の見事さゆえに本来特殊西洋的なものも含めた全体が、意図したか否かは別として、普遍性の衣を被って世界に広まったのではないでしょうか。

 中村浩介著『西洋の音、日本の耳』によれば、明治の文豪の多くがワーグナーに魅せられました。石川啄木の全著作中にはその名が30回も出てくる由です。浜辺で泣きながら蟹とたわむれたその後で「タンホイザー」を聴きに行くというのもぴんときませんが、ワーグナーの理論体系にすっかり圧倒されたということでしょう。

 確かにピアノやオルガンのような鍵盤楽器は、調律さえしておけば叩くだけで、五線譜上にある1オクターブの12すべての半音が出せるし、交響曲も日本音楽もそれなりに演奏できるという便利さがあります。リストはベートーベンのすべての交響曲をピアノ曲に編曲しました。田山花袋の『田舎教師』には、主人公林清三が舞台となった寒村の小学校で「一人でよくオルガンを弾いた」ことなど、当時オルガンが広く普及していたことを示しています。また清三は筝の『六段』までオルガンで弾いたのです(『田舎教師』新潮文庫)。逆に日本の楽器で西洋の曲を演奏することはできません。和音楽は合理性の追求による普遍性の拡大、体系化ではなく、独自性、特殊性、多様性、自然体の重視の方向に進んだのです。

<西欧の自己改善能力>

 西欧の強さは合理的体系のみではありません。常に自己批判を忘れず、それを通してそのシステムを、試行錯誤を繰り返しながら改善しようと努力するところにもあります。例えばマックス・ウエーバーは、ピアノによって訓練される北欧の歌手は、リュートなどの純正律によって訓練されるイタリアなどの歌手に比べて、精緻な聴覚が得られないこと(12平均律の限界)を認めています(『音楽社会学』)。

<サンドスケープ論>

 前号で、日本人にとっては虫の声も、自然の音も音楽ですが、西洋人にとってはひとが意識的に作曲したもの以外は音楽ではないと述べました。しかしシェーンベルグの無調音楽、楽音以外の音を使う具象音楽、電子音楽などは、偶然的な要素を音楽に入れます。マリ・シェーファーは言葉や音楽以外の音(環境音)に積極的な存在理由を認め、それをランドスケープならぬサウンドスケープとして体系化しました。さらに現代作曲家ジョン・ケージは環境音それ自体が音楽でありうることを主張した由です(大橋力『音と文明』岩波書店)。

 指揮者のバレンボイムはエドワード・サイードとの対談において、ワーグナーは古典派の音楽においても、各旋律に固有の内容を表現するために、形式を破綻させぬ範囲で「感知できないほどの速度の変化」を主張したとのべています。例えば交響曲では、第2主題は第1主題よりも「わずかに減速させる」のです。音楽をメトロノームのように機械的に解釈することを嫌ったということです(バレンボイム/サイード『音楽と社会』みすず書房)。

 日本音楽で尊重された多様性と柔軟性は、西洋音楽家もそれなりに取り入れているのです。自ら気づいた欠点や、他からの批判を自ら打ち立てた体系の中に取り込むことで、西欧は自らの普遍性を高め、その基本的価値体系を守り抜くのです。 このことは議会制民主主義、資本主義システム、自由貿易制度など他の西欧文明分野についても言えそうです。明瞭で、透明で、効率的なシステムは、少しぐらい非人間的でも、その汎用性と絶えざる自己修正ゆえに世界に広がりました。

<文化交流による普遍性の強化>

 グローバル化で文化の画一化の懸念が叫ばれ、非西欧のひとたちのアイデンティティーの危機が叫ばれていますが、音楽での「ドミソ」のような人類普遍的なもの、いわばcommon denominator(共通項)とでも言えるものと、ベルカント唱法のような個別文化的付加価値を識別することで、ある程度整理できるかも知れません。そして文化交流は、異なる文化を知り、感化しあうことで、この共通項のレベルを上げていく機会を与えるものと位置づけることができるのではないでしょうか。

<近代の超克>

 しかし政治思想や経済理論、宗教などの分野では、このcommon denominatorはあまりに小さく、人類を統合する文明に発展しそうにありません。そのレベルをダイナミックに上げていき、共通文明に近づく方法はないものでしょうか。以下は昭和17年7月、京都学派の哲学者などで行われた座談会の記録です。

津村秀夫  西洋音楽の技術で日本の心を表現しようとする際の苦しみや矛盾といふものは・・・実は日本の映画を作る一流の人々にも通じると思ふ。・・・矢張り、西洋楽器といふ器に日本の心を盛らうとする時の苦しみのやうなものが出て来るのぢゃないかと、僕は今考へています。
中村光夫  諸井さん、西洋音楽は日本人に本当に板につきますか?
諸井三郎  それア現在の儘の西洋音楽が板につくといふことはない―とお答えしたい。然し完全に新しい音楽様式を創造し得ることができるならば、それは板につくと思ってをります。(竹内好『近代の超克』富山房百科文庫)
この「完全に新しい音楽様式」で思い起こされるのが次の清水芳太郎の言葉です。

 「寒帯文明が世界を支配したけれども、決して寒帯民族そのものも真の幸福が得られなかった。・・・本当を言うと、熱帯文明の方が宗教的、芸術的であって、人間の目的生活にそうものである。・・・この二つのものは・・・一つにならなければならないものである。インド人や支那人は、実に深遠な精神文化を生み出した民族であるが今日、寒帯民族のもつ機械文明を模倣し成長せしめることに成功していない。・・・どうも日本民族をおいて、他にこの二大文明の融合によって第三文明を創造しうる能力をもったものが、外にないと思われる。つまり、寒帯文明を手段として、東洋の精神文化を生かしうる社会の創造である。西洋の機械文明が、東洋の精神文明の手段となるときに、初めて西洋物質文化に意味を生じ、東洋精神文化も、初めて真の発達を遂げうるのである」(石原莞爾『最終戦争論』に引用されたもの)。

<平和的共存を目指して>

 しかし「世界がこの次の決戦戦争で一つになる」との石原の予想ははずれました。連合軍の価値観で世界がひとつになった訳ではありません。これからも、「戦争」であれ「テロ」であれ、暴力によって世界が一つになることはないでしょう。誰もが強制ではなく納得ずくで、共通性を高め、その認識を深めていくこと、すなわち前述のcommon denominatorのレベルを上げていく努力によってのみ、世界は「共通の土台に立つ多様性の集合」になるのだと思います。諸井の言う「完全に新しい音楽様式」や清水の言う「第三文明」が達成できるほど人類は単一とは思いません。

 しかし「東」から見れば、合理的体系で自らの普遍性と優越性を主張する「西」は傲慢で、感性を尊ぶ「東」を理解せず、学ぶ意思がないと映ります。バレンボイムが「彼(ワーグナー)が犯した誤りの一部は、やや過剰なゲルマン気質によって、音楽の感情の領域にあるものを系統化しようとしたことにあるのだろう」と述べていることは、示唆に富むものです(バレンボイム/サイード『音楽と社会』)。

 また加藤周一はアンドレ・マルローに対し、「普遍的な概念を把握し、理解するには知性に訴えなければならない。だが、・・・知性だけでは「感性の国」日本に近づくことはできない」と述べています(M・テマン『アンドレ・マルローの日本』)。

 他方「西」から見れば、「東」は植民地化された感情的な恨みや劣等感から、進歩に遅れた責任を「東」に転嫁し、西洋が行ってきた自己批判を誇張して、西欧近代主義を真っ向から否定する精神主義的優越論を掲げて、為すべき「改革」から逃げていると映ります(例えばIan Buruma & Avishai Margalit, Occidentalism, The Penguin Press, 2004)。真の実のある対話と協力は容易ではありません。

 しかし諦めてはなりません。今こそ真剣で粘り強い努力が必要です。世界一流のクラシック音楽家を輩出しつつ、和音楽を復活させた日本は、その「場」をつくることに貢献できるはずです。その理由を理屈で説明できなくとも構いません。音楽評論家の吉田秀和氏でさえ、「西洋の音楽と私たちのそれと、この二つのものの底にある根本的な違いはどこから生まれたのか?どうして私たちは、その両方を楽しむことができるのか?何回戻ってきて、想いをいたしても、つきない興味をそそる問題である」と述べておられるのですから(『千年の文化 百年の文明』海竜社)。

今月の資料

 天台声明の譜の一例を同封します。

天台声明の譜の一例


今月の引用
「二元性を基底にもつ西洋思想には、もとより長所もあれば短所もある。個個特殊の具体的事物を一般化し、概念化し、抽象化する、これが長所である。これを日常生活の上に利用すると、すなわち工業化すると、大量生産となる。大量生産はすべてを普遍化し、平均にする。・・・しかし、この長所によって、その短所が補足せられるかは疑問である。すべて普遍化し、標準化するということは、個個の特性を滅却し、創造性を統制する意味になる」(鈴木大拙『東洋的な見方』岩波文庫p11-12)
今月の数字

 西洋音楽は絶対音高を用いますが、これは20世紀になってからのことで、その高さはイ(ラの音)が440ヘルツだそうです。但しオーケストラはこのイをやや高めに定める習慣がある由です。またイギリス人エリスが明治年間に日本の雅楽の十二律でイに当たる音を測定した結果は、437ヘルツであったそうです(国立劇場芸能鑑賞講座『日本の音楽』p.71)。

今月のクイズ

: 尺八の孔の数はいくつでしょうか?

前回のクイズ(日本の琵琶の弦の最も一般的な数)の正解は、(4)4本です。ただし5本のものもあります。

お詫びと訂正

 第7号において、第6号のクイズの回答として、世界遺産に登録されているお城は「姫路城」と書きましたが、二条城も「古都京都の文化財」として一括登録された17の社寺等の中に含まれていましたので、正解は「姫路城と二条城」と訂正させていただきます。外務省HPをご覧の方からご指摘を頂きました。有難うございました。

後記

このニュース・レターは、広報文化交流部長が仕事を通じて感じたことを、個人の資格と責任で書いたものであり、外務省の公式見解ではありません。ご意見やコメントは以下のいずれかにお寄せください。

郵便:100-8919 千代田区霞ヶ関2-2-1 外務省広報文化交流部総合計画課
Fax:03-5501-8126
E-mail:seiichi.kondo@mofa.go.jp


目次


外務省案内 渡航関連情報 各国・地域情勢 外交政策 ODA
会談・訪問 報道・広報 キッズ外務省 資料・公開情報 各種手続き
外務省