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外務省員の声

文化外交最前線
―第8号―

2004年9月17日
近藤誠一  
はじめに

 いとど鳴く
 そのかたはらの石に据し
 なき笑ひしてひとり物言ふ        石川啄木『一握の砂』より


今月のテーマ:音の世界―その2

<琵琶ではなぜ五線譜を使わないか?>

 前号では、12平均律と五線譜という合理性を採用したことが、西洋音楽の普遍性の源泉と思われること、しかし非西欧で近代の導入に最も成功した日本に、その伝統音楽が残り、しかもそれが未だに五線譜を用いていないのは何故かという疑問が湧きました。西洋音楽の合理性は完璧なようで、どこか無理があるようです。12平均律は、数学的には完璧ですが、実は自然に反するのです。

<純正律とピュタゴラス音律>

 1オクターブとは、音の振動数の比が1:2のふたつの音程です(音律では音の相互関係が重要なので、振動数の絶対値ではなく、振動数の比が用いられます)。振動比が単純な整数比であればあるほど、人間の耳には協和音として響きます。最も響きの良いのは同音で、振動比1:1、その次が1:2のオクターブという訳です。そして幸いこの1オクターブは次に響きの良い2つの協和音、つまり振動比2:3である完全5度(ドとソ)と振動比3:4である完全4度(ソと上のド)に分割されます(3/2 x 4/3 = 2/1)。同様にn/n+1(n+1分のn)、すなわちいわゆる過分数を振動比の基礎としてミやラなど他の音程もつくり出せます。このようにしてできる音律を純正律といいます。しかしこの方法では、ドとレの振動比(8:9)が、レとミの比(9:10)より大きくなってしまうという問題が起こります。

 もうひとつの1オクターブの分割方法は、ピュタゴラスによるものです。彼は完全5度(ドとソで振動比2:3)を重ねていくことで、他の音階をつくりました。
完全5度を2回積むとレになります(ドからソ、ソから1オクターブ上のレ)。それを1オクターブ下げれば(つまり振動比を半分にすれば)出発音ドのすぐ上のレがつくれます。こうして得られたレは純正律のレと同じです(ドに対し8:9)。
 しかしこの作業では、1オクターブをきれいには割り切れません。完全5度を何回積み上げても、元のドの音の振動数の整数倍にはならいからです。数学的に言えば、あるドのnオクターブ上である2/1のn乗の音程と、同じドの完全5度の音をm回上に積んだ音である3/2のm乗の音程とが同じとなるような、整数のnやmは存在しないのです。したがって本来異名同音となる音(例えばシの#とド)が、微妙にずれてしまいます。またこうして得られたミの音が、ドに対して81/64という不協和音になってしまいます。本来5/4の協和音であるはずなのにです。

<12平均律は妥協の産物>

 こうした不都合から逃れるためにつくったのが、12等分平均律です。すべての音程を機械的に2の12乗根である半音に分けたことで、音同士の振動比は実はすべて純正音程から少しずつずれてしまいますが、幸いその「ずれ」は人間の耳には判断できない程度のもので済みます(下記「今月の数字」参照)。これにより転調、移調が円滑にでき、ひどい不協和音や異名同音のズレが防げたのです。つまり数学的で合理的な音楽体系をつくるため、耳にとって自然なものから若干離れたのです。

<合理性そのもののもつ不自然さ>

 しかし日本音楽が、西洋音楽の「普遍性」に圧倒されながらもそれに吸収されず、現在まで生き続けてきたのは、西洋の合理性が完璧なものでないからというよりは、逆にそれが限りなく合理的であり過ぎるところにあるように思います。それは音程、音の長さ、拍子のみでなく、音の素材や発声法などにも言えるようです。例えば半音の幅は、雅楽、義太夫などでは平均律より広く、逆に地唄などでは狭い由です。しかもこれは明確な基準があるというよりは、流派や個人の個性による相違であり、その違い自身が一種の技巧や芸術表現であったり、「味わい」をもたせるものとして受け入れられているようです。日本音楽には各種の半音が混在しているのです。

 西洋音楽では、五線譜で示される音は常に同じ絶対音高を示します。ピアノはそれに基づいて調律されます。しかし声明や謡には、迫力を出すため、音の相互の関係は維持しつつ絶対音程がゆっくり上がる「漸次上昇」があります。三味線は絶対音高ではなく、人間の声に合わせて調弦します。演奏の便のため(弾きやすくするため)曲の途中で調弦を変えます。西洋の弦楽器も演奏の便のため調弦を変えますが、絶対音高を維持しないと器楽奏ができないため、同時に移調しなればなりません(例えばモーツアルトの協奏交響曲K364は変ホ長調ですが、ヴィオラだけは弾きやすくするため半音高く調弦し、楽譜はニ長調で書かれています)。曲の途中で調弦を変えることは、シューマンの「ピアノ四重奏曲」第3楽章のチェロなどを除き、滅多にないそうです(竹内道敬『日本音楽の基礎概念』p76)。

<ムラ息やヒシギ>

 日本の歌や三味線においては、同じ音を出すに当たり、全く均一の振動数ではなく、「うなり」のような装飾が大切にされます。和音でなく旋律が主体なのでそれが可能であるし、必要でもあるのでしょう。

 また日本音楽では拍も特殊です。民謡の「追分」のようにほとんど拍がなかったり、長さに長短があることが多いようです。西洋音楽からみれば「リズム音痴」でも、日本ではひとつの表現法なのです。さらに拍子についても、かなり柔軟です。『あんたがたどこさ』というまりつきのわらべ歌は、男の私でも覚えていますが、五線譜によって小節毎に拍子を書くと、「あんたがた」2/4拍子-「どこさ」2/4拍子-「ひごさ」2/4拍子-「ひごどこさ」3/4拍子-「くまもとさ」3/4拍子-「くまもと」2/4拍子-「どこさ」2/4拍子-「せんばさ、せ」2/4拍子-「んばやまには」3/4拍子-「きつねが」2/4拍子-「おってさ」2/4拍子、などと不規則な混在となります。

<寸法とアシライ>

 邦舞と音楽の関係にある「寸法」というのも面白い概念で、音楽の拍子の1拍と舞踊の動きが必ずしも1対1に決まっておらず、歌詞のあるところから、別のあるところまでどういう動きをするかという「寸法」が決まっているだけで、その枠の中では自由に動ける由です。能の謡と能管(笛)の「アシライ」も同様で、決まったところで始まり、一緒に終わりさえすれば途中の音の垂直の関係はほとんど問題にされません。また俗に言う「間」も五線譜には書けそうにありません。宴会などで最後の「締め」で行う三三七拍子も、とくに1回目と2回目の間の「オウ」というつなぎの「間」の取り方が西洋音楽のみで育ったひとには難しいそうです。先日ミュージカル『太平洋序曲』でブロードウエー初の日本人演出家となる宮本亜門さんの壮行会が、コシノ・ジュンコ邸で開かれましたが、最後の「締め」に当たって三三七拍子を避けたのも、その場に何人かの外国人がいたからでした。

<音色>

 日本音楽が西洋の規則を最も大きく超えているのが、音色ではないかと思います。西洋では歌はかならず「ベルカント唱法」に統一されていますが、日本人は義太夫と清元、謡ではすべて異なる発声法をします。楽器でも同じです。4月3日に小泉首相ご出席の下、横浜で行われた日米修好条約150周年記念式典で、アメリカ人が尺八をいわゆる「ムラ息」を使って見事に演奏しましたが、彼がそれを五線譜から習ったとは思えません。能管の「ヒシギ」や三味線の「サワリ」などの非楽音も同様、日本音楽にはなくてはならない非合理性なのです。

<日本などにもあった12平均律>

 実は平均律は古代中国や日本でも発見されていました。南北朝の何承天が、また1596年には明の朱載イクが、そして元禄時代の1692年には中野元圭という和算家が12平均律を算定した由ですが、いずれの国でも実用化されませんでした。

 日本音楽が発展させてきた音のすべての要素(音階、リズム、音色など)は、そのあまりの多様性と繊細さゆえに、そのすべてを包含する日本音楽の理論体系を形成することは極めて困難でした。壮大な統一的理論を打ち立てたり、12平均律や五線譜という合理性に押し込めるために、自然の素材からできた楽器の出すさまざまな音色や、人間の自然な感情からくる表現法を失うのは忍びないというのが日本人の感性かも知れません。自然や感性を「数字で割り切る」ことには抵抗があるのでしょう。五線譜に翻訳した途端に「義太夫らしさ」や「わらべうたらしさ」が無くなってしまいます。実はインドネシア人やイラン人など、非西洋のほとんどすべての民族もそうなのです。

 それが分かりにくい、教えにくい、記譜しにくい、したがって普遍性や競争力が弱い音楽とみられる主因です。渡唐僧のひとりであった慈覚大師が帰朝の船中で、声明の節を忘れて困っていると、阿弥陀如来が来臨して節を教えたという伝説はこれを物語っています。声明には独特の譜が発達しましたが、それは五線譜とは程遠いものです(以上日本音楽については、主として小泉文夫『日本の音』(平凡社ライブラリー)と国立劇場芸能鑑賞講座『日本の音楽』によりました)。

<自然音は音楽か?>

 また西洋人にとって音楽とは、人間がつくった芸術であり、自然の音とは区別されるのが当然と考えられているのに対し、日本人にとっては、尺八のムラ息や三味線のサワリのすぐ延長上に虫の音、風の音などの自然界の音があり、十分に「音楽」になるのではないでしょうか。

 西洋音楽を愛し、自らヴァイオリンを弾いた藤村も、最後は三味線に戻った由です。そして藤村はしばしばその詩に「音」を入れましたが、その多くが「人工」ではなく「自然」の音であったことは、前号の冒頭に掲げた詩「明星」からも明らかです。啄木も多くの小動物や虫の声を短歌にしました。本号冒頭の「いとど」は土間などの暗いところに住むカマドウマのことで、この虫は芭蕉の句にも登場します。人間のなせる業の限界に対する謙虚さと、自然との調和、多様性を重んじる日本人の文化がここにも現れているのではないでしょうか。

今月の資料

 完全5度(ドとソ)や、完全4度(ドとファまたはソとド)の和音がひとの耳に心地よいのは、普遍的な事実であるとの科学的研究の結果が、しばらく前のNewsweekに載っていました。(2000年7月24日号。同資料は、著作権の関係で、ウェブ上には大変恐縮ながら掲載しておりません。ご関心のある方は、Newsweek英文サイトにてご覧になることができます。)

今月の引用

 ウエーバーが西欧近代合理主義を礼賛するのは、科学、政治、経済、芸術などあらゆる分野で人類が集積した知識を組織化し、それを合理的な体系にまとめあげることにおいて、西欧が他よりも優れていることに起因します。西洋音楽もまさに合理性の観点から賛美していますが、それはその音楽体系の基本に8度,5度,4度の和音のもつ普遍性を据えているところにあったと言えましょう。
「原始的な調性の発達にとって、和声的に最も純粋な音程――8度、5度、4度――が他の音間隔よりも一段と際立った位置を与えられた。それは一般に主として次のような事情のためだったのであろう。つまりこれらの音程は「明瞭さ」がいっそう大きいので、ひとたび「認知」されると、音楽的に記憶し易いものとして、隣接する多数の音間隔の中からとくに著しく際立ったという事情である。一般に虚構の体験よりも現実の体験の方が、また混乱した思想よりも正しい思想の方が記憶に留め易いものであるが、合理的で「正しい」音程と「誤った」音程についても、実際かなりの程度まで同じようなことがいえるのである。――少なくともこの点までは、音楽的な合理性と論理的な合理性のアナロジーを考えることができよう。」(マックス・ウエーバー『音楽社会学』創文社P90-91)
今月の数字

 イギリス人のエリスというひとが創案したセントという単位(平均律の半音を100とするもの)を用いると、いろいろな音律の違いが数量的に分かるので、ここに書いておきます(『平凡社世界大百科事典』より)。
 
ピュタゴラス音律 0 204 408 498 702 906 1110 1200
純正律 0 204 386 498 702 884 1088 1200
12平均律 0 200 400 500 700 900 1100 1200
今月のクイズ

: 日本の琵琶の弦の数は原則(最も一般的な数は)何本でしょうか?

(1)1本、(2)2本、(3)3本、(4)4本、(5)5本、(6)7本

前回のクイズ(宇宙ロケット発射の際に水蒸気を噴射する目的)の答は、(1)発射に伴う音の振動が発射台を破壊するのを防ぐため、です。

後記

このニュース・レターは、広報文化交流部長が仕事を通じて感じたことを、個人の資格と責任で書いたものであり、外務省の公式見解ではありません。ご意見やコメントは以下のいずれかにお寄せください。

郵便:100-8919 千代田区霞ヶ関2-2-1 外務省広報文化交流部総合計画課
Fax:03-5501-8126
E-mail:seiichi.kondo@mofa.go.jp


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