わかる!国際情勢 トップページへ

Vol.80 2011年12月9日
バルト三国と日本

2011年はエストニア,ラトビア,リトアニアのバルト三国と日本が,「新たな外交関係」を結んでから20周年にあたります。小さいけれどもそれぞれ独自の光彩を放つ3つの国。様々な面で日本との縁も深い各国のプロフィールを中心に,バルト三国と日本との関係について紹介します。

「バルト三国」とは?

「バルト三国」とはバルト海沿岸に並ぶエストニアラトビアリトアニアの3つの国の総称です。3か国とも首都の旧市街区域が世界遺産に指定されており,国をあげての歌と踊りの祭典が開催されるなどの共通点もありますが,宗教,言語,通貨などの面で相違点も少なくありません。近代以前はそれぞれ独自の歴史を歩んでいましたが,18世紀には次々と帝政ロシアの支配下となりました。ロシア革命後の1918年に各国そろって独立を果たしますが,1940年に今度はソ連に併合されてしまいます。それから半世紀後に東欧革命が勃発。1991年に再びバルト三国は独立を果たしました。そのニュースは世界を駆けめぐり,ソ連崩壊の重要な契機となりました。現在は3か国とも北大西洋条約機構(NATO)欧州連合(EU)へ加盟し,ロシアとも隣国として政治・経済両面で深い結びつきを持っています。

バルト三国
 
 

エストニア(1)~小さくても豊かな国

タリン旧市街の風景 エストニアはバルト三国中もっとも北側に位置している国で,北部はフィンランド湾に面しています。首都タリンは,エストニア語でデーン人(デンマークに居住していたノルマン人の一派)の町という意味で,13世紀初頭に築かれました。現在のエストニアは,バルト三国中もっとも経済状況が良好で, 2011年1月に旧ソ連の国として初めてユーロを導入しました。日本では大相撲の把瑠都関の出身国として知られているエストニアですが,母国でもその活躍が盛んに報道されています。2007年,長野県佐久市とエストニアのSaku市が同じ名称であることの縁から友好都市協定に調印,佐久市に日本エストニア親善協会が設立されました。また近年,日本の自動車メーカーによる電気自動車導入の取組も進行しています。

 

エストニア(2)~IT先進国として経済発展

日本・エストニアの新たな外交関係開設20周年記念行事「着物についての講演」(2011年9月16日) ソ連からの独立以来,エストニアは積極的に政治,経済面での諸改革を推進し,迅速に民主化・市場経済化を果たしました。製造業や農業,運輸などが主要産業ですが,近年は特にIT産業が大きく成長しており,インターネット電話サービスであるSkypeもエストニアで開発されました。また,IT技術の進展が顕著であり, インターネット投票を採用。15歳以上の全国民・永住者に本人確認やオンライン認証,電子署名が可能な国民IDカードが配布されています。また,2005年に実施された地方選挙以降,2007年世界初のインターネットを利用した電子投票による議会選挙を実施したり,政府の閣議がペーパーレスで行われるなど,「eストニア」とも称されるIT先進国ぶりを発揮しています。

 

ラトビア(1)~工業地域から物流の拠点へ

冬のリガ市役所前広場 エストニアの南に位置するのがラトビアです。首都リガは人口約71万人を擁するバルト三国最大の都市で,中世にハンザ同盟の港湾都市として発展し,以来バルト海における重要な港湾としての地位を維持してきています。帝政ロシア時代には,サンクトペテルブルグに次ぐ第2の工業都市でもあり,ソ連時代も工業地域として発展しました。1991年の独立後は,一部製薬業が競争力を保っている他,ロシア,旧ソ連の国々,EUを結ぶ重要な物流拠点として存在感を増しています。1999年にバルト三国として初めて世界貿易機関(WTO)に加盟。自由貿易港リガとヴェンツピルス,さらに2つの都市に特別経済区を整備するなど,国家として「トランジット産業」を意欲的に推進しています。また,リガ国際空港も航空貨物処理能力が高い空港として知られています。

 
 

ラトビア(2)~日本との意外な接点と交流

日本・ラトビアの新たな外交関係開設20周年記念行事「八王子車人形リガ公演」(2011年10月19日) かつて日露戦争時にバルチック艦隊が日本への遠征のために集結したのが,当時帝政ロシア領だったラトビア西部にあるリエパーヤ軍港でした。現在,その港には帝政ロシア海軍司令部跡などの史跡が残っており,人気の観光スポットになっています。また,現代のラトビアの人々は日本の文化に高い関心を抱いています。例えば,日本食(寿司など),日本文学(村上春樹,村上龍など),の人気が高く,さらに柔道や剣道といった武道を愛好する人も少なくありません。日本語教育も盛んな国で,ラトビアにおける日本語弁論大会は2011年で10回目を迎えました。現在,神戸市とリガ市,北海道東川町とルーイエナ町が姉妹都市関係を結んでおり,両都市間で活発な人的交流が展開されています。また,加藤登紀子さんが歌ってヒットした「百万本のバラ」の原曲がラトビアの元文化大臣によって作曲(歌詞は異なる)されたことは,日本人に意外と知られていない事実かもしれません。

 

リトアニア(1)~ビザがつなぐ日本との縁(えにし)

ビリニュス旧市街中心部にそびえる大聖堂 13世紀以降リトアニア大公国として発展し,15世紀にはバルト海から黒海におよぶ広大な国土を有していたリトアニア。現在は北海道の約80パーセントほどの国土面積に,約320万人が住んでいます。バルト三国唯一のカトリック国(国民の約80%)でもありますが,戦前は欧州におけるユダヤ人居住の中心地の一つで「北のエルサレム」と呼ばれていたこともあります(現在,ユダヤ人は総人口の約0.1%)。日本は1939年にカウナスに領事館を開設しており,第二次世界大戦時,ナチスドイツに追われたユダヤ系避難民に日本通過査証(ビザ)を発給し,多くの生命を救った杉原千畝副領事はその日本領事館に勤務していました。現在,カウナスの旧領事館は「杉原記念館」となっています。また,ビリニュス市内には「スギハラ通り」と命名された通りがあり,2001年の杉原千畝生誕100周年時には同市内ネリス河沿いに記念碑が建立され,桜の苗木の植樹が行われました。なお,現在岩手県久慈市とクライペダ市が姉妹都市関係を結んでいます。

【コラム】100年以上前に「日本論」を著したリトアニアの若者

日露戦争でロシアを負かした小国日本は帝政ロシアの支配下で独立への悲願を抱くリトアニアの若者を大いに勇気づけたと言われています。後に1918年のリトアニア独立宣言の署名者の一人となったステポーナス・カイリース(1879~1964)もその一人でした。日本に強い関心を抱いたカイリースは「日本論」という小冊子をリトアニア語によって著しました。この「日本論」は「日本の今昔」「日本人の生活」「日本の憲法」の3部からなる労作で,訪日経験のないカイリースが,ロシア・サンクトペテルブルグで入手した資料を基に執筆したといわれています。この「日本論」の原本は現在もビリニュスの国立科学アカデミー図書館に保管されています。

 
 

リトアニア(2)~EUや国際社会で積極的に行動

日・リトアニアの新たな外交関係開設20周年記念行事「東日本大震災復興写真展」(2011年10月12日) 1990年3月11日,リトアニアはバルト三国中いち早くソ連からの独立宣言を議会で採択しました。これに対してソ連は経済制裁を行い,1991年1月13日にはソ連の軍によって首都ビリニュスのテレビ塔が攻撃され,市民14名が犠牲となった「血の日曜日事件」が発生しました。この事件を最初に世界に向けて発信したのは日本人の報道記者で,後にこの時の記者2名にリトアニア政府から「1月13日記念勲章」が授与されています。現在のリトアニアは,ベラルーシ等近隣諸国の民主化支援へのイニシアティブを発揮するほか,様々な分野の国際貢献に積極的に関与しており,近年は日本の文民が参加したアフガニスタンのチャグチャラン地方復興チーム(PRT)にも100名以上の軍隊を派遣しました。2011年には欧州安全保障協力機構(OSCE)の議長国を務めるなど,欧州そして国際社会で独自の存在感を発揮しています。

 

日本とバルト三国~さらなる関係深化に向けて

日本とバルト三国の外交関係史 日本とバルト三国の友好関係は,日本が1921年に当時のエストニア,ラトビアを,及び1922年に当時のリトアニアを国家承認したことから始まります。1991年9月のソ連からの独立直後,日本は政府ミッションを派遣し,各国の独立に対する支持を表明。そして2011年はバルト三国と日本が新たな外交を開設してから20周年にあたり,各国と日本で様々な記念イベントが開催されました。この20年の間,日本と各国は政治,経済,人的交流の面で関係を深め,2007年には天皇皇后両陛下がエストニア,ラトビア,リトアニアを訪問し,いずれの国でもあたたかい歓迎を受けました。2008年からは外務省主催の「日・バルトセミナー」が毎年開催されており,日本と各国の有識者が活発に意見交換を行って,日本とバルト三国のさらなる関係深化の可能性を探っています(第4回本セミナーは「メディアを通じたバルト三国と日本」をテーマとし,2011年12月に開催) 。東日本大震災時には,日本国民に対してあたたかい支援と励ましを送ってくれたエストニア,ラトビア,リトアニア。日本はこれらの支援を真に受け止め,これからも様々なかたちでバルト三国との絆を深めていきます。

 
メルマガ登録希望の方はこちらからお申込みください。
ご意見ご感想もお待ちしています。 (外務省国内広報課)
このページのトップへ戻る
目次へ戻る