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Vol.76 2011年8月24日
インドネシアという国

2011年のASEAN議長国であるインドネシアは,第二次世界大戦後の独立以来,政治・経済から文化に至るまで日本と密接な関係を築いてきた東南アジアきっての大国です。東日本大震災後には,過去に地震や津波を経験した同じ被災国として,政府を始め,様々な人々が日本の復興支援のために立ち上がっています。2011年6月にはユドヨノ大統領夫妻が来日し,被災地を訪問されました。今回は親日国として知られるインドネシアの概要と日本との関係について解説します。

赤道付近に東西に広がる世界有数の島嶼国家

インドネシアインドネシア共和国は,赤道付近にある約18,000もの島々から成る世界有数の島嶼国家です。国土総面積は約189万平方km(日本の約5倍),東西の距離は米国の東西両岸とほぼ同じ約5,000kmに及びます。約2億3,800万人(2010年政府推計)の人口は,中国インド米国に次いで世界第4位。そのうち88.6パーセントがイスラム教を信仰しており,世界最多のイスラム教徒を有する国でもあります。一方で,憲法では信教の自由が保障されていますので,キリスト教,ヒンズー教,仏教などを信仰する国民もいます。また,国語はインドネシア語ですが,地方によって文化が多様で地方ごとに異なった言語が使われています。こうした多種多様な文化,言語,宗教が混在しているインドネシアの国是は,「BHINNEKA TUNGGAL IKA(多様性の中の統一)」。まさに多様性こそがインドネシアという国の活力と魅力の源泉といえます。

 
文化,民族,自然など多様性に満ちたインドネシア
 

インドネシアの個性と多様性を形成した様々な宗教と文化

世界遺産「ボロブドゥール寺院」インドネシアの多様性は,長い歴史の中で様々な民族や国からの影響を受けて培われてきました。紀元前に,現在のインドネシアを形成する島々にヒンズー教文化や仏教文化が伝来。8世紀に,ジャワ島中部に興った仏教国シャイレンドラ王朝は,ボロブドゥール寺院等の有名な仏跡を残しています。イスラム教とイスラム文化が渡来したのは13世紀頃のことでした。その後,多くの地域ではイスラム化が進み,現在の多様な宗教が共生する国家が形成されました。

 

鎖国時代も続いた日本とインドネシアの交易関係

インドネシア略史

大航海時代の1596年,オランダの商船隊がジャワ島西部に来航しました。1602年にオランダはジャワ島に東インド会社を設立し,日本とも交易を始めました。そして江戸幕府のカトリック禁教・鎖国政策後も,オランダはプロテスタント国であったため,日本は長崎・出島を窓口とした交易を行っていました。その頃,南米アンデス原産のジャガイモが,ジャカルタ経由で日本に伝わったと言われています。

 
 

第2次世界大戦後に成立した「インドネシア共和国」

1799年の東インド会社解散後もオランダはインドネシアを直接統治し(オランダ領東インド),第2次世界大戦で日本軍が侵攻するまでオランダ支配が続きました。1945年,日本が無条件降伏した直後である8月17日にスカルノ(後に初代大統領に就任)が独立を宣言しましたが,旧宗主国のオランダが独立を認めず,独立戦争が勃発しました。その後1949年12月27日にオランダがようやく独立を承認し,インドネシア共和国として正式に独立を果たしました。1958年,日本とインドネシアは平和条約と賠償協定を締結し,外交関係を樹立しました。初代スカルノ大統領の後を継いだスハルト大統領の政権は30年に及びましたが,1998年のアジア通貨危機を契機に,改革運動が拡大し,同政権は崩壊。インドネシアは2004年に大統領直接選挙制度を導入するなど民主化の道を歩み始めました。

 

国際社会での存在感の高まり

首都ジャカルタ市街インドネシアはもともとASEANの中心国の1つ(ASEAN本部は首都ジャカルタに置かれている。)でしたが,民主化後,東南アジア及び国際社会での存在感がますます増大しています。その理由の一つは順調な経済成長です。インドネシア経済は輸出依存度がGDPの約3割と低く,また輸出の3割が景気の変動を受けにくい資源であることから,経済危機による影響が限定的なためと考えられています。世界金融・経済危機の影響を受けた2009年も4.5%,2010年には6.1%,2011年第1四半期には6.5パーセントと好調な経済成長を果たし,株価も安定。近年は失業率も低下して,雇用も持ち直しています。外交面では,ASEANを中心とした地域外交を重視する一方で,主要国や国連との外交強化を図る「全方位外交」を展開。近年はアジア太平洋における民主主義の普及を目的とするバリ民主主義フォーラムの主催や,タイ・カンボジア国境紛争の調停,気候変動などの地域・グローバルな課題にも取り組み,ASEANのリーダーとしての役割を積極的に果たしています。日本との関係では,2006年のユドヨノ大統領訪日時に「両国間の戦略的パートナーシップを謳った共同声明」を発出し,さらに緊密な関係構築を図っています。

 

経済分野を中心とした官民両面で密接な日インドネシア関係

1945年のインドネシア独立以来,日本とインドネシアは特に経済分野(貿易,投資等)において緊密な関係を結んできました。現在もインドネシアにとって日本は最大の輸出国であり,輸入や投資に関しても主要相手国です。2008年には,日インドネシア経済連携協定(EPA)が発効しました。また,日本は過去50年以上にもわたり,インドネシアの社会や経済の発展を実現するため,ODAなどを通じた経済協力を行ってきたことも,両国の友好関係に大いに寄与しています。インドネシアでは,こうした長年の友好関係の中で親日感情が培われてきました。 現代の若い世代もアニメやJ-POPなど日本のポップカルチャーへの関心が非常に高く,日本へ留学するインドネシア人学生数やインドネシアにおける日本語学習者は近年大幅に増加しています。

 
 

日本のエネルギー確保上の「生命線」

日本のエネルギー資源とインドネシア

インドネシアは日本にとって重要なエネルギー供給国(液化天然ガス,石炭,石油など)です。日本がインドネシアから輸入する液化天然ガス及び石炭は,日本が各国から輸入する全体の2割弱と高い割合を占めています。石油の輸入量は全体の2%とそれほど多くありませんが,インドネシア海域は中東諸国や豪州などから日本へ運ばれる天然資源の輸送ルートであり,日本に中東諸国から輸入される石油は全体の約9割を占めていますが,その多くがマラッカ海峡を通過しています。インドネシア海域は日本のエネルギー確保上の「生命線」であり,この地域の平和と安定は日本にとって,極めて重要な意味を持っています。

 

大地震被災国としての連帯と協力

バンダ・アチェの中学校で行われた追悼行事の様子2004年末のスマトラ沖地震により甚大な被害を被ったインドネシアに対して,日本は物資の供与,無償資金協力,医療チーム派遣,自衛隊派遣,復興支援など,迅速かつ幅広い支援活動を展開しました。当時大きな被害を被った被災地アチェ州の人々は,そうした日本の支援に対して深い感謝の気持ちを抱いています。東日本大震災の発生に際して,インドネシアでは政府のみならずインドネシア国民から日本に対するお見舞いが寄せられました。例えば,東日本大震災直後の3月18日,州都バンダ・アチェで追悼行事「アチェから日本のために」が開催され,日本復興への祈りが捧げられました。被災地を訪問するユドヨノ大統領(右側)6月には,日本に滞在するインドネシア留学生やスマトラ沖地震被災者らが宮城県石巻市を訪問し,避難所の清掃や料理の提供など支援活動を行いました。また, 6月16日に来日したユドヨノ大統領は,18日に遠洋漁業を通してインドネシアと縁の深い同県気仙沼市を訪れ,アチェの子どもたちから日本の子どもたちへの励ましのメッセージを伝え,民族楽器等を手渡しました。また,前述のEPAに基づき来日しているインドネシア人の看護師及び介護福祉士(候補者を含む。)たちが災害ボランティアチームとして被災地で活動するなど,インドネシアの人々は真心を持って日本の復興を応援しています。同じ地震・津波被災国としても強く連帯する日本とインドネシアは,今後もアジア地域のリーダーとして,政治,経済,文化,防災などあらゆる面での協力関係を進展させていきます。

 
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