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Vol.72 2011年5月20日
東日本大震災においてクローズアップされた日米の絆

2011年3月11日,突如として発生した「東日本大震災」。この前代未聞の大惨事に,日本は甚大な被害に見舞われました。そのような状況の中,世界各国からお見舞いと連帯のメッセージが寄せられ,支援の手が差し伸べられました。その支援活動の規模と内容において突出していたのが米国です。この事実はおよそ60年にわたって培われてきた強固な日米同盟を基盤とした両国の信頼関係の証しと言えるでしょう。そこで今回は,震災への支援の中で,あらためてクローズアップされた日米両国の強い絆について紹介します。

東日本大震災発生!迅速に動いた日米両政府の連携

震災後1週間の日米間の連携・強力(3月11日~17日) 3月11日14時46分頃,三陸沖でマグニチュード9.0の大地震が発生。早くもその1時間半後,ルース駐日米国大使は日本政府に対して「在日米軍を含め米国としてお役に立てることがあれば協力したい」とのメッセージを伝えました。その後,松本外務大臣はルース大使に在日米軍による支援と国際開発庁(USAID)レスキューチーム(救助犬含む)派遣などを正式要請。地震当日の深夜(日付は翌12日)には,菅総理と電話会談を行ったオバマ大統領が犠牲者に対する深い哀悼の意とともに「日本に対して可能なあらゆる支援を行う用意がある」と表明しました。続いて12日朝に松本外務大臣とクリントン国務長官が電話会談を行うなど,震災当日から翌日にかけて今後の日米連携を見据えた緊密な意見交換が行われました。そして米軍は直ちに被災地支援作戦を開始。13日には,米国空母「ロナルド・レーガン」が宮城県沖にて自衛隊と共同して救難・支援活動を開始。同13日,米国国際開発庁(USAID)のレスキューチームも三沢飛行場に到着し,その後,大船渡市と釜石市等の被災地で活動を展開しました。また,米国エネルギー省(DOE)や米国原子力規制委員会 (NRC)などの原子力専門家も発災後早期に来日し,福島第一原発事故の対応にあたりました。

 

いち早く被災地を訪れ,被災者に語りかけたルース駐日米国大使

石巻市を訪問したルース駐日大使ジョン・V・ルース駐日米国大使(2009年8月着任)は,震災直後から,日本政府と日本国民に対して強い支援のメッセージを送り続けてきました。3月23日にはロバート・ウィラード米国太平洋軍司令官とともに津波被災地である宮城県石巻市を慰問。避難所の渡波(わたのは)小学校で以下のようなスピーチを行い,約1,200人の被災者から大きな喝采を浴びました。

「自然は貴重な生命,資産を破壊することはできても,人々の精神までをも破壊することはできません。私は今日ここで人間性の最高のかたちを目にしました。米国国民の思いと祈りは皆さまと共にあります。私たちはここに皆さまの力になるためにいます。今日も明日も,そして何カ月,何年もの将来にわたり,日本で役に立ちたいと思っております。ここにいらっしゃる皆さまはこの悲惨な災害から必ず復興すると信じてやみません」

 

政府から民間まで,米国で一気に高まった日本支援の輪

在米国日本大使館で記帳するオバマ大統領
米国の子供たちから寄せられた多くの手紙

3月17日,オバマ大統領はホワイトハウスで東日本大震災に関する声明を出し,その中で「この大きな悲しみの中で,日本の人々は一人ではない。彼らがもう一度自分の足で立ち上がるに当たり,太平洋を越えて,米国から差し出された支援の手を見つけるだろう。我々には半世紀以上前に結ばれ,共通の利益及び民主主義的価値観により強化された同盟がある」「日本の人々が持つ強さ及び精神から,自分は日本が復興し,再生すると確信している」「我々は,日本の人々がこの危機を封じ込め,困難から回復し,偉大な国家を再建するに当たり,彼らを支えていく」と日本との連帯を力強く表明しました。また,オバマ大統領,バイデン副大統領,クリントン国務長官を始め,多くの米国政府高官が日本大使館を訪れ,犠牲者の方々のための弔問記帳を行いました。こうした政府首脳ばかりでなく,地震直後より米国上院・下院,さらに州・市議会などでも,日本への支援を打ち出した決議案が採択されました。 また,米国各地で多くのチャリティーイベント・コンサートが開催され,民間団体や著名アーティスト,幼稚園児を含めた一般の米国市民から多くの励ましのメッセージが届けられました。なお,東日本大震災に対する米国赤十字(英語サイト)への義援金は,震災後1か月間でおよそ1億5,800万ドルにも達しました。(同義援金は,5月9日現在,2億1,650万ドル以上に到達)

 
 

米軍2万人規模の「トモダチ作戦(Operation Tomodachi)」を展開

米軍への感謝のメッセージ「ARIGATO」震災発生当時,西太平洋に展開していた空母「ロナルド・レーガン」をはじめ,米軍は各地での予定を切り上げて,迅速に被災地支援作戦をスタートさせました。海軍,海兵隊,空軍,陸軍が連携したこの支援作戦は「トモダチ作戦(Operation Tomodachi)」と命名され,最大時では将兵約2万人,艦船約20隻,航空機約160機が投入されました。被災地支援や行方不明者の捜索などで,米軍と自衛隊が協力してスムーズな日米共同対応が展開されました。米軍の献身的な働きぶりを目にした多くの被災者は深く感謝し,米軍の人々も被災地での日本人の規律や克己心に対する尊敬の念を抱くなど,被災地では作戦名の「トモダチ」にふさわしい,国を超えた心の交流も生まれました。

宮城県女川町で地上に書かれたメッセージ「THANK YOU USA」
 
 

「トモダチ作戦」1~空母「ロナルド・レーガン」等の展開

米物資輸送に活躍した米軍ヘリコプター 気仙沼・大島でがれき撤去作業をする海兵隊

3月13日より三陸沖に展開した米国海軍空母「ロナルド・レーガン」を含む艦船が支援活動に参加。非常食約3万食を米軍のヘリコプターで海上自衛隊の艦船に輸送し,宮城県内の避難所に自衛隊のヘリコプターが届けるリレー輸送といった人道支援物資の輸送提供活動や三陸沖などでの捜索・救助活動等を行いました。また,沖縄駐留の海兵隊員を載せた強襲揚陸艦「エセックス」は,震災発生以来孤立していた気仙沼市の離島・大島に救援物資を輸送。給電車・給水車などの生活インフラや簡易シャワーを提供し,がれきの撤去に海兵隊員が協力するなど人道支援活動を展開し,長期間孤立し,不安な生活を送っていた被災住民から大いに感謝されました。

 

「トモダチ作戦」2~空港や鉄道などの復旧活動

仙台空港での復旧作業にあたる米軍兵士米軍は,震災当日に仙台空港などに着陸できなくなった民間航空機や各国救助チームを横田,三沢両飛行場に受け入れています。また,空軍は輸送機による物資輸送のほか,海兵隊や陸軍とともに激しく被災した仙台空港の復旧作業にも従事し,民間航空の早期再開に大きく貢献しました。仙台空港の復旧で大型重機などを使って空港敷地内にあった損壊車両を撤去するなど大活躍した陸軍は, 4月下旬からJR仙石線のがれき撤去作業にも従事しました。
この活動は,「魂を込めて」鉄道の復旧をめざそうとの思いから「ソウル・トレイン作戦」と命名されました。

 
 

「トモダチ作戦」3~福島第一原発への対応

淡水を輸送するバージ船日本と同じく数多くの原子力発電所を持ち,かつてスリーマイル島発電所事故の経験を有する米国は,同盟国日本の原発事故を深刻に受け止め,様々な支援の手を差し伸べています。米軍は,防護服,消防車,ポンプ,大型放水ポンプ,ホウ素などを提供。また,原子炉を冷やすための淡水約190万リットルを輸送・提供したのは,米海軍のバージ(はしけ)船2隻でした。

 

困難を乗り越え,さらに強固になる日米の絆

クリントン国務長官来日の際の日米外相会談 4月17日に来日したクリントン国務長官は,「自分は,連帯と希望という米国民のメッセージを携えて訪日した」,「改めて揺るぎない支援を約束したい」と述べ,両大臣は復興に向けた官民を含めた形での日米パートナーシップを発表し,引き続き日米が緊密に協力・連携してこの困難な事態に対処していくことで一致しました。
今回の震災は,日本にとり未曾有の大震災であり,その被害は甚大でした。復興への道のりは険しいものがありますが,この困難な事態は,日米両国の絆がいかに強いものであるかをあらためて示す機会となりました。そして今,多くの日本国民が,東日本大震災に対する米国の力強く,温かい支援に深い感謝の念を抱いています。今後日米両国は,今回の震災後の対応で一層緊密化した日米同盟を,21世紀にふさわしい形で更に深化・発展させていきます。

 
 
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