わかる!国際情勢 トップページへ

Vol.55 2010年3月19日
トルコという国

2010年は、日本とトルコの友好120周年にあたります。岡田外務大臣は1月、トルコを訪れ、「2010年トルコにおける日本年」のオープニングを祝いました。世紀を超えた友好国トルコとはどのような国なのか、最近の情勢などとともに見ていきます。

トルコは東西文明の十字路

トルコの民族衣装

(写真提供:トルコ共和国大使館)地理的に三方を黒海、エーゲ海、地中海に囲まれたトルコ共和国は、古くから「東西文明の十字路」として栄え、ヒッタイト帝国、古代ギリシャ・ローマ、ビザンチン帝国、セルジューク朝、オスマン帝国などが興亡した場所です。国土は日本の約2倍(約78万平方km)、人口は7,206万人(2005年、国家統計庁推計)で、中東地域を代表する大国です。ヨーロッパ、アジア、中東、アフリカに近接している地理的特性から、トルコ人は、目や髪の色など実に多様性に富んでいます。また、トルコは世界有数の農業国でもあり、ヘーゼルナッツ、いちじく、あんず、さくらんぼの生産量は世界一を誇っています。また、小麦、砂糖、いも、豆類など、多くの農水産物は世界的にも有数の生産量を誇っています。

トルコ共和国

(写真提供:トルコ共和国大使館)
 
 

キリスト教の遺産と調和する社会

現在のトルコでは、国民のほとんどがイスラム教徒ですが、歴史的には初期キリスト教布教の地でもあり、国内にはキリスト教ゆかりの神聖な場所も数多く残されています。ユニークな形をした世界遺産「カッパドキア」は、初期キリスト教の教会や住居などとして使われていました。ほかにも、旧約聖書に登場する「ノアの箱船」が漂着したとの伝説で有名な「アララット山」、聖母マリアが晩年を過ごしたと伝わる修道院跡などがあります。イスタンブールにある世界遺産「アヤ・ソフィア」は、もともと東ローマ帝国時代にキリスト教の大聖堂として建築されましたが、後世になってイスラム教の尖塔が増築されてモスクとなりました。このようにトルコはイスラム教徒の国となった後でも、キリスト教の遺産と共存、調和する社会を築いており、ここにトルコ人の寛容さが表れています。

キリスト教の岩くつ教会や住居がある世界遺産「カッパドキア」

(写真提供:トルコ共和国大使館) 東ローマ帝国時代にキリスト教の大聖堂として建設され、後にイスラム教のモスクとなった世界遺産「アヤ・ソフィア」

(写真提供:トルコ共和国大使館)
 

トルコの未来を決めた「トルコ革命」

トルコ略史トルコが今に続く近代国家として誕生したのは1923年のことですが、これは第1次世界大戦の敗戦後、連合国による分割占領に抵抗した末、ローザンヌ条約によりトルコ共和国が成立したものです。この時、後に初代大統領に就任した建国の父ケマル・アタテュルクの「トルコ革命」によって、トルコはほかのイスラム世界とは一線を画す独自の国家路線を歩み始めます。アタテュルクは、宗教と政治を分離しなければトルコの発展はないと考え、国家の根幹となる原理として政教分離(世俗主義)を断行。憲法からイスラム教を国教とする条文を削除し、トルコ語にはアラビア文字に替わって、アルファベットを当てました(ラテン・アルファベットで表せないものは独自に作成)。また、一夫多妻制を禁止し、1934年には女性の参政権を実現させました。日本の「明治維新」にもどこか通じるこうした改革は、古くからヨーロッパの一部としての歴史も受け継ぐトルコだからこそ、可能だったと考えられています。

 
 

信仰心と近代化の狭間で

アラビア文字で飾られたアヤ・ソフィアの内部

(写真提供:トルコ共和国大使館)トルコが積極的に西欧の価値観や文化を受け入れる一方で、トルコ国内では、信仰心と国家の発展との狭間で、社会的なかっとうがあるのも事実です。なぜなら、イスラム社会では通常、コーランの教えに従い、食生活から文化・習慣まで厳しい戒律の下で暮らしますが、政教分離のトルコでは、例えば、ムスリム女性は夫以外の男性に肌を見せないようにするため、スカーフで頭や顔を覆わなければなりませんが、トルコでは大学など公の場でこれを着用することは禁止されています。ビールなどの飲酒もイスラム教徒には禁じられていますが、トルコでは比較的自由に売買することができます。

 

交渉が続くトルコのEU加盟問題

エフェス古代都市のケルスス図書館

(写真提供:トルコ共和国大使館)このようなトルコが今、最も国際社会の注目を集めているのが、EU(欧州連合)への加盟をめぐる問題です。トルコは、イスラム社会で唯一、NATO(北大西洋条約機構)に加盟(1952年)している国であり、欧米諸国との同盟関係をとても重視しています。このため、早くからヨーロッパの地域統合に強い関心を示し、1987年にEC加盟申請、2005年からはEUへの加盟交渉が開始されています。しかし、具体的な加盟の見通しはたっていないのが現状です。また、トルコ国内でも、EU加盟に対して慎重な意見が増えてきているとの見方もあり、まだまだ議論が続きそうです。

 
 

経済成長とエネルギー回廊戦略

BRICsに次ぐトルコの経済規模

(2008年、予測値含む)さらに、トルコは近年、成長著しいBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)に続く新興経済国(NEXT11など)として熱い注目を集めています。一時は、トルコ・リラの暴落による金融危機に見舞われましたが、国際通貨基金(IMF)の支援のもとで危機を克服し、今はG20(金融世界経済に関する首脳会合)のメンバーとしても存在感を増してきています。そのトルコ経済の新たな原動力となっているのが、石油と天然ガスの「エネルギー輸送」です。トルコの国内にこれらのエネルギー資源は少ないのですが、カスピ海沿岸地域を見渡せば、石油・天然ガスの一大供給地があります。それらを中継するパイプラインを国内に敷くことで、トルコは、東西南北を結ぶ巨大な「エネルギー回廊」としての役割を担うことができると考えています。

エネルギー回廊としてのトルコ
 

トルコの多角的な平和外交

欧州とアジアをつなぐトルコ最大の都市・イスタンブール

(写真提供:トルコ共和国大使館)国際社会においても、トルコは自国の特異性を活かした重要な役割を担っています。近年では、近隣諸国との「ゼロ・プロブレム外交」を掲げ、対立関係にあったアルメニアとの国交樹立(2009年)、ギリシャやシリアとの関係改善、最大の貿易相手国ロシアとのエネルギー安全保障面を中心とした関係強化、トルコ系民族の多い中央アジア・コーカサス地域との交流などを加速度的に進めてきています。また、古くから異民族・異教徒に寛容でユダヤ人を受け入れてきた経緯もあり、中東和平の実現のため国際社会と協力しているほか、テロとの闘いが続くアフガニスタンやイラクにも積極的な支援を展開し、近年ではトルコ国際協力機関(TIKA)がアフリカなどへの開発支援を行っています。隣国イラン の核開発疑惑の解決に向けても外交的な取組を行っています。

 
 

日本とトルコは友好120周年

このようなトルコと日本の間には、120年にもおよぶ友好の歴史があります。そのエピソードは、1887年、日本の皇族がオスマン帝国皇帝に謁見し、その答礼として、1889年、650名の使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号を日本へ派遣したことから始まります。使節団は1890年、横浜に到着後、明治天皇に謁見して、同年9月にトルコへの帰路へと着きましたが、折しも日本は台風の季節。和歌山県沖で、強風と高波に襲われ、沈没してしまいました。この時、使節団587人が死亡する大惨事となった一方で、近くの村人たちが総出で救出にあたり、69人の命が救われました。また、これとは逆に、イラン・イラク戦争が続いていた1985年、イラクの空爆を目前にイランの首都テヘランに取り残されていた日本人約250人が、トルコ航空機によって奇跡的に救出されるという出来事もありました(詳しくは2010年トルコにおける日本年参照)。この2つの出来事は多くの人の心を打ち、今でもトルコと日本の友好のきずなとして語り継がれています。

 

トルコと日本はもっと近い存在へ

夕日に映えるボスポラス海峡

(写真提供:トルコ共和国大使館)日本とトルコは1万1,000キロを隔てたアジア大陸の東と西の端に位置していますが、両国間の友好をいしずえに、日本からは自動車産業を中心に多くの民間企業がトルコへ進出し、欧州市場向けの生産拠点としています。アジアとヨーロッパをつなぐボスポラス海峡では、地球環境にも配慮した「ボスポラス海峡横断地下鉄整備計画」が、日本の国際協力で進行しています。トルコを訪れる日本人は、2007年に約17万人にも達し、日本人のトルコに対する関心の高さがうかがえます。日・トルコ友好120周年の節目である2010年、トルコと日本はお互いにもっと近い存在になれるよう、交流のすそ野を広げ、友好を未来につないでいきます。

 
メルマガ登録希望の方はこちらからお申込みください。
ご意見ご感想もお待ちしています。 (外務省国内広報課)
このページのトップへ戻る
目次へ戻る