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Vol.49 2009年11月20日
躍進する南アフリカ~途上国のリーダーとして

サッカーの世界選手権「FIFAワールドカップ」が2010年、アフリカ大陸では初めて南アフリカで開催されます。20世紀後半に国際的非難を浴びたアパルトヘイト(人種隔離政策)を克服し、アフリカだけでなく途上国のリーダーとしても躍進する南アフリカはどのような国なのでしょうか。

アフリカ大陸初!サッカーFIFAワールドカップ開催

南アフリカ代表チームの愛称は「バファナ・バファナ(Bafana Bafana)」。バファナはズール語で少年という意味南アフリカではサッカーは国民的スポーツとしてとても人気がありますが、ナショナルチームがFIFAワールドカップに初めて出場したのは1998年のフランス大会と、意外にも最近のことでした。というのも、南アフリカは、国際的に非難を浴びた「アパルトヘイト」(Apartheid)という人種隔離政策をとっていたことが理由で、長い間スポーツの国際大会への参加資格を得られずにいたからです。そのため、ワールドカップが新しいアフリカの象徴として発展を遂げている南アフリカで開催されることは、サッカーの最高峰を決める以上にとても意義深いことだと言えるでしょう。

 
 

かつては“アフリカの中のヨーロッパ”?

南アフリカ共和国アフリカ大陸最南端に位置する南アフリ カ共和国は、大西洋とインド洋を結ぶ要衝にあり、国土は日本の約3.2倍(約122万平方km)。もともとズールー族などが民族ごとに暮らしていましたが、17世紀半ば、西欧列強が香辛料を求めて東方に船を出した大航海時代に、オランダ東インド会社が喜望峰を中継基地として利用したことがきっかけで、ケープ植民地が開拓されました。南アフリカは南緯25度に位置し、特に南部はヨーロッパの気候に似て暮らしやすく、領地拡大のためのオランダ移民は急増しました。やがてそこに英国人が到来し、定住するようになると、オランダ移民と英国移民の間で対立が生まれるようになります。英国が南部のケープタウンを占領する一方で、オランダ移民は19世紀、北部に3つの自治国を建設しました。こうして、いわば”アフリカの中のヨーロッパ”が誕生し、もともとこの地に住んでいた黒人たちの多くは、白人政府の下で暮らすことを余儀なくされました。

 

金とダイヤモンドが変えた歴史

南アフリカは世界一の金産出国港街として栄えた南アフリカにその後、さらに西欧人が押し寄せる出来事が起こります。それが1860年代に始まる「ゴールドラッシュ」でした。オランダ移民の自治国(現在のヨハネスブルグなどがある地方)で、金とダイヤモンドの鉱脈が発見されると、一獲千金を夢見て英国の白人鉱山技師らが相次いで移住。しかし、オランダ移民の自治国では「外国人」である彼らには重税が課せられるなど、生活面での処遇には大きな差があったため、それが火種となって英国とオランダ移民の自治国との戦争にまで発展しました。結果は英国の勝利に終わり、自治国などは「南アフリカ連邦」として1910年に独立。同じ「白人」同士であるオランダ移民と英国移民の確執は落着することになりましたが、それとは入れ替えに、今度は「白人」と「黒人」とを徹底的に区別する動きが本格化していきます。

 
 

アパルトヘイト~人類の人類に対する犯罪

主なアパルトヘイト関連法黒人差別が具体的な形となって表れたのは、1911年に制定された「鉱山・労働法」でした。これは、金やダイヤなどの鉱山で働く白人と黒人の職種区分と人数比を全国で統一する法律で、白人政府が白人労働者の暮らしを守るために打ち出した最初の人種差別法でした。その後も政府は、第1次世界大戦後の不況から白人貧困層を救済する目的で、次々に白人社会から黒人を排除しました。1949年には、白人農民や都市貧困層を支持基盤とする国民党(NP)が政権を獲得し、「アパルトヘイト」を強力に推進していきました。当時、トイレや公園などの公共施設は「White」(白人用)と「Non White」(白人以外用)に区別され、黒人が白人専用の場所に立ち入った場合は逮捕されました。異人種間での恋愛や結婚も禁じられるなど、アパルトヘイト政策は徐々にエスカレートし、国際社会は「人類の人類に対する犯罪」と厳しく非難しました。しかし、南アフリカ政府はこれを「人種ごとの分離発展のため」として、改めようとはしませんでした。

 

人種差別のない社会を目指して

アパルトヘイト撤廃までの流れアパルトヘイト政策に対しては、多くの反対運動が起こりました。後に大統領となるネルソン・マンデラ氏らの運動はよく知られているところです。黒人たちの怒りが高まるなか、1960年には、ヨハネスブルグ郊外のシャープビルで、「パス法」(白人の居住区域で黒人に身分証の形態を義務づける法律)に反対するデモ隊5,000~7,000人と警官隊が衝突する事件が発生しました。69人が死亡、180人以上が負傷する大惨事となり、当時、英連邦の一員だった南アフリカ政府は、英国からも強く非難されました。その後も、言語教育を巡る黒人学生1万人のデモ隊と警官隊の衝突などが起き、1980年代に反アパルトヘイト運動が激しさを増すなか、国際社会は経済制裁を発動して南アフリカ政府に対する働きかけを強めました。そして、アパルトヘイト導入から80年たった1991年、デ・クラーク大統領(当時)はアパルトヘイト政策の撤廃を宣言したのでした。

 
 

Rainbow Nation~新しいアフリカの象徴として

南アフリカ共和国国旗「レインボー・フラッグ」こうしてアパルトヘイト関連法は撤廃され、1994年、ついにすべての人種が参加した初めての総選挙が実施されました。この時、黒人政党のアフリカ民族会議(ANC)が勝利し、ネルソン・マンデラ総裁が初の黒人大統領に就任。南アフリカは、アフリカ連合(AU)の前身であるアフリカ統一機構(OAU)や南部アフリカ開発共同体(SADC)に加盟し、さらに国連総会での議席を20年ぶりに回復しました。そして、FIFAワールドカップなどスポーツの国際大会へも参加が許されるようになり、2010年の大会開催国となることができました。南アフリカには現在、黒人と白人に加え、カラード(混血)、アジア系など、様々な人種と民族が暮らしています。この多様性を象徴して“Rainbow Nation”(虹の国、七色の国民)と呼ばれています。現在のズマ大統領も民族融和を唱え、肌の色の違いを超えた国民の連帯を進めています。

ネルソン・マンデラとロベン島刑務所(世界遺産)

ネルソン・マンデラ元大統領は、大学で法律を学んだ後、反アパルトヘイト運動の闘士として活躍。国家反逆罪で終身刑を言い渡され、1964年から1990年まで、政治犯や凶悪犯を収容する「ロベン島刑務所」などに収監されていました。マンデラ元大統領は服役中も世の不平等と戦う志を捨てず、政治犯として投獄された同志たちと、雑居房で英語や教養などを教え合って志気を維持したと言われています。この話は「ロベン島大学」として語り継がれています。1993年、マンデラ元大統領はデ・クラーク元大統領とともにノーベル平和賞を受賞。ロベン島刑務所は1996年に閉鎖されますが、3年後にユネスコ(UNESCO)の世界遺産に登録されました。

南アフリカの世界遺産
 
 

アフリカ最大の経済大国に成長した南アフリカ

南アフリカ最大の都市ヨハネブルグ南アフリカはセカイ有数の天然資源埋蔵国

現在の南アフリカは、金、ダイヤモンド、レアメタル、石炭などの鉱業を経済基盤としながら、第3次産業も拡大しています。GDPはサハラ砂漠以南のアフリカ諸国におけるGDP総額の3割を占め、経済成長率は3.1%(2008年JETRO)。しかし、一方で、失業率は20%を超え、アパルトヘイト時代に識字教育の機会に恵まれなかった黒人たちは、今も貧困から抜け出せずに都市部のスラム街で暮らしています。社会的成功を収めた黒人富裕層との経済格差が犯罪の発生につながったり、HIV/AIDSのまん延で安定した労働力が確保できなかったりするなどの複雑な課題も抱えています。

 

世紀を超えた日本と南アフリカのつながり

観光地として人気の高いケープタウン春に藤色のジャカランダ(アフリカ桜)が咲き誇る首都ブレトリア

日本と南アフリカの交流は意外に古く、1910年、日本名誉総領事(英国人)が任命されたことから始まり、2010年には交流100年を迎えます。アフリカ大陸では初となる日本の公館は、1918年、ケープタウンに設置されました。第2次世界大戦後には、日本の総合商社や大手自動車メーカーなどが南アフリカに進出を始め、現在は日系企業79社(2009年9月時点)が現地で企業活動を展開。工場での生産活動と併せて現地スタッフにHIV/AIDS対策プログラムを施すなど、企業の社会貢献活動(CSR)が積極的に進んでいることでも注目を集めています。日本は、TICAD(アフリカ開発会議)をはじめ、グローバルな課題などについて議論を深める日・南ア・パートナーシップ・フォーラム日・南ア科学技術協力協定などを通して、南アフリカと緊密な関係を築いています。

 
 

途上国のリーダーとして

南アフリカ共和国・ワールドカップ試合会場アパルトヘイト政策による人種対立の歴史を乗り越えた南アフリカは今、国際社会において、アフリカだけでなく、途上国のリーダーとして大きな役割を担い始めています。2010年は、アフリカ大陸に最多の独立国が誕生した「アフリカの年」(1960年)から、ちょうど50年の節目にもあたります。サッカーのFIFAワールドカップ南アフリカ大会には、アフリカ全体の更なる飛躍に向けた起爆剤となることが期待されています。

 
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