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Vol.38 2009年6月12日
多文化主義と多国間主義の国、カナダ

天皇皇后両陛下は2009年7月3日から14日まで、日加親善のために初めてカナダをご訪問されます。北米大陸で先住民族と植民地の歴史を持ちながら、アメリカとは異なる独自の存在感を持つカナダはどのような国なのでしょうか。

広大な国土と雄大な自然

ロシアに次いで世界第2位の国土(約997.1万km2)を誇るカナダは、人口約3,161万人(2006年)の“国民一人あたりの国土が最も広い国”として知られています。カナダ北部は寒さが厳しいツンドラ気候、さらには北極圏に位置するため、人口の75%はオタワ、トロント、バンクーバーなど比較的温暖な地域(アメリカとの国境から150㎞圏内)に住んでいます。ロッキー山脈やナイアガラの滝など雄大な自然に恵まれ、世界中から多くの観光客が訪れています。

カナダ地図
ナイアガラの滝(オンタリオ州) バンクーバー郊外のサイプレス・マウンテン。2010年冬季オリンピックでは、フリースタイルスキーなどの競技会場となる(Tourism BC/Insight Photography)
 
 

カナダ先住民の地に到来したイギリス人とフランス人

北米大陸北部にはもともと、かつて地続きだったユーラシア大陸から到来したとされる先住民族「ファーストネーションズ」と「イヌイット」が住んでいました。この地にヨーロッパ人が到来したのは、西欧諸国が新大陸を求めて出航した大航海時代。1497年にはイギリス、1534年にはフランスがそれぞれ領有権を主張し、北米大陸における英仏の植民地支配が始まりました。イギリスが移民のための植民地拡大を求めたのに対し、フランスはビーバーなど毛皮の交易拠点拡大を目指して勢力を伸ばしていきました。英仏の抗争は7年戦争(1756年~)にまで発展した末、1763年のパリ条約によって、カナダ全土のフランス植民地はすべてイギリスに割譲されることになりました。

カナダの歩み
 

英仏両文化を内包する連邦国家の誕生

アメリカ独立戦争(1775~83年)によって北米東部沿岸のイギリス植民地13州がアメリカ合衆国として独立を達成すると、独立戦争時にイギリスを擁護したロイヤリスト(王党派)の難民が、ケベックやプリンスエドワード島などに相次いで入植を始めました。これにより、もともとフランス植民地だったケベックは、英系のアッパーカナダ(現在のオンタリオ州)と仏系のローワーカナダ(現在のケベック州)に分割されましたが、その後、イギリスが1867年に制定した「英領北アメリカ法」(北米植民地を統合して連邦制による自治領に移行させることを定めたもの)により、アッパーカナダ、ローワーカナダなどの4植民地は一つの連邦国家としての新たな歩みを始めました。この時につけられた国名が、先住民族の言葉で「村落」や「住居」を意味する「カナタ」(Kanata)を語源とする「カナダ」(Canada)でした。そして、植民地時代に抗争が続いたアッパーカナダとローワーカナダの境に位置するオタワが、一つの新しい国家において英仏両文化圏の"架け橋"となることを願い、首都に選ばれました。

オタワ・リドー運河。奥に見えるのは国会議事堂(Ottawa Tourism) ケベック州最大の都市モントリオールの町並みはフランス風(Caroline West)
 
 

移民の増加と多文化主義政策の導入

カナダ最大の都市トロントには、アジア系、カリブ系、ヨーロッパ系など、100以上のエスニック・コミュニティが存在している(Canadian Tourism Commission)

この頃になると、カナダにはイギリス、スコットランド、アイルランドなどから毎年何千人もの移民が到来するようになっており、カナダ政府は1869年、国内最初の移民法を制定して積極的に移民を受け入れる政策を展開し始めます。1967年には、出身地や民族にかかわらず、共通の基準に基づいて移民申請者の審査が行われる制度も取り入れました。カナダ社会を構成する民族と文化は次第に多様化していき、1971年、カナダは世界で初めて「多文化主義政策」(multiculturalism)を導入しました。これは、民族や人種の多様性を尊重し、すべての人が平等に社会参加できるような国づくりを目指すもので、ハイチからの移民であるミカエル・ジャン総督(元首である英国女王の名代)や香港からの移民であるエイドリアン・クラークソン前総督の存在は、カナダの多文化主義を象徴していると言えます。

 

カナダに暮らす200以上の民族

多文化主義政策の下、現在のカナダには200を超える民族が生活しています。さらに毎年20万人以上の移民を受け入れており、近年はアジアからの移民が増加傾向にあります。なかでもイギリスから中国への香港返還(1997年)をきっかけに、香港からカナダへと移住する中国系移民が増えています。カナダの公用語は英語とフランス語ですが、実に多様な民族が共存していることから、ドイツ語、イタリア語、中国語など様々な言語が日常的に使われており、新聞・雑誌などは40か国語以上で発行されています。これは、民族や人種が融合し、「人種のるつぼ」とも呼ばれるアメリカ社会などとは異なる国家形成のあり方です。冷戦後の世界で民族間の対立に端を発する紛争が絶えない中、カナダは多様な民族が平和に共生し、一つの国家を形成する「モザイク社会」(mosaic society)の好事例として、世界から注目を集めています。

カナダの出身地域別民族構成(2006年)
 

国際社会では多国間主義を徹底

内政で多文化主義を掲げるカナダは、外交政策においても、国連北大西洋条約機構(NATO)G8米州機構(OAS)といった国際社会における自国の果たすべき役割を重視する「多国間主義」(multilateralism)を貫いています。このため、英米による対イラク戦争では、国連安全保障理事会の決議が得られなかったことを理由に、カナダ軍を派遣しませんでした。一方で、アフガニスタンへの派兵に対しては、対米関係を重視するとともにNATO加盟国としての役割を果たすため、積極的な関与を続けています。すなわち、カナダは「超大国」(super power)である隣国アメリカとの関係から、加米同盟を維持しながらも、国際組織に重層的に加わることで独自の外交政策を展開しているのです。

 
 

アジア太平洋地域における経済関係の強化

州都ビクトリアにあるブリティッシュ・コロンビア州議事堂(Tourism British Columbia)

カナダはアジア太平洋ゲートウェイ戦略を推進し、太平洋に面するブリティッシュ・コロンビア州(州都ビクトリア)から内陸部に向かう港湾、道路、空港のネットワーク整備を行い、アジアとの関係強化に努めています。日本にとって、エネルギーと食料供給国としても重要なカナダとは、今後ますます経済的な連携を深化させることが重要です。2010年は、日本がアジア太平洋経済協力会議(APEC)議長国を、カナダがG8議長国を務めることから、両国がアジア太平洋地域、世界の経済で主導的役割を果たすことが求められています。

 

日本とカナダのパートナーシップ

日本とカナダは、政治・経済の分野だけでなく、草の根レベルでも親交を深めてきています。姉妹・友好都市関係を結ぶ両国の自治体は76組(2009年5月現在)に達しており、語学指導等を行う外国青年招致事業(JETプログラム)を通じて、日本各地の学校で英語を教えるカナダ人は、約600人にも上ります。日本人とカナダ人が一定期間、互いの国で旅行と就労の機会を得ることができるワーキング・ホリデー制度は、日加修好80周年を迎えた2008年に、受け入れ人数を5,000人から10,000人に拡充しました。外務省が実施したカナダにおける対日世論調査(2009年3月)では、カナダ人の77%が「日本を友邦として信頼できる」と回答しており、これらの交流によって両国の絆がより一層深まっていくことが期待されています。

 
 
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