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Vol.36 2009年4月22日
21世紀初の独立国、東ティモールの現状と課題

2009年3月、東ティモールのシャナナ・グスマン首相が来日し、日本と共同で更なる協力関係の強化を表明しました。国際社会の支援の下で国づくりを進める東ティモールの実情は今、どのようになっているのでしょうか。独立の経緯と日本の支援をもとに解説します。

人口約106万人の小さな国

東ティモールは、インドネシア・バリ島の東方に位置するティモール島東部の小さな国です。国土は約1万4000平方km、東京、千葉、埼玉、神奈川の4都県を合わせた大きさで、人口は約106.5万人(2008年IMF推定)。ほとんどがキリスト教徒です。1人あたりGDPは368.8ドル(同)と低く、アジアの最貧国の1つとされています。

東ティモール
 
 

大航海時代に始まるポルトガル支配

日本大使館前に広がる海もともと「リウライ」と呼ばれる王たちが割拠する王国だったティモール島は、西欧諸国が商機を求めて東方に船を出した「大航海時代」に歴史の転換点を迎えます。16世紀前半、「白檀」(びゃくだん)を求めて来航したポルトガルが、ティモール島を征服して植民地とします。17世紀半ば、インドネシアを植民地支配していたオランダがティモール島の西半分を占領し、リスボン条約(1859年)によってティモール島は東西に分割されました。ティモール全島は1942年日本軍が占領、戦後は1945年に西ティモールがインドネシアの一部として独立しましたが、東ティモールでは再びポルトガルによる支配が復活しました。

 

インドネシアの軍事侵攻と併合

ところが、ポルトガルは1974年、国内で発生した政治クーデターによる政権の崩壊で、東ティモールの植民地支配を放棄。これを機に、東ティモールでは独立に向けた機運が高まり、1975年には独立派勢力「フレテリン」(東ティモール独立革命戦線)が独立を宣言しますが、その直後にティモール島の不安定化を懸念するインドネシアが東ティモールに軍事侵攻。1976年に「27番目の州」として併合を宣言しました。その後、東ティモールではインドネシア政府による社会基盤整備や学校教育などが始まりましたが、一方で、独立を望む人々による活動が途絶えることはありませんでした。しかし、時代は東西冷戦の終結過程へと突入し、小さな島の独立を巡る闘争が国際社会の注目を集めることも少なくなっていきました。

 

インドネシアによる人権侵害とスハルト政権崩壊の影響

この状況を一変する事件が1991年、首都ディリのサンタクルス墓地で起こりました。ある青年の葬儀をきっかけに起きた独立派の抗議集会にインドネシア軍が介入し、多数の住民が殺害されました(サンタクルス事件)。国際社会ではインドネシアの人権侵害を強く非難する声が強く、東ティモールの独立運動は本格化していきました。さらにこの流れを一気に加速させたのが、インドネシア・スハルト政権の崩壊(1998年)です。新たに就任したハビビ大統領(当時)は、東ティモールの自治・独立を容認する方針に転換。そして、1999年、東ティモールで独立の是非を問う住民投票が実施され、住民の約8割が「分離・独立」を選択したのでした。

 

住民投票後の騒乱から21世紀初の独立国誕生へ

東ティモールの政府庁舎ところが、住民投票の直後から、独立反対派勢力による破壊・暴力行為が激化し、急速に治安が悪化。建物やインフラなどが破壊され、多くの死傷者が出ました。国連安全保障理事会はすぐに多国籍軍の派遣を決定し、国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)というPKOを設立して治安回復と復興支援に乗り出しました。日本をはじめとする国際社会の協力の下、東ティモールは徐々に平穏を取り戻し、大統領選挙や国連東ティモール支援団(UNMISET)の設置などを経て、2002年5月20日に独立を達成。東ティモールは21世紀最初の独立国家として、新たに歩み始めました。

 

治安悪化~国内避難民の発生

国際社会の支援による国づくりの成功例として期待を集める中、2006年には復興開発に影を落とす危機が発生しました。西部出身の国軍兵士が、東部出身の兵士に比べて差別待遇を受けているとデモで訴えていたところ、この機に乗じ、政府に不満を持つ若者らが中心となって、ディリ各地で暴動が起こりました。その後も国軍を離脱した憲兵隊員による国連本部襲撃、武器の一般市民への流出、国軍兵士による国家警察(PNTL)警察官射殺事件を契機とするディリのPNTL崩壊という事態になりました。治安の悪化を恐れて、一時は15万人もの住民らが国内避難民となりました。この事態を受け、豪州やポルトガルなどは東ティモールの要請で国際治安部隊を派遣。国連安保理は、2005年4月から行っていた統治事務所を通じた国連の関与の仕方を見直し、国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)というPKOを設置して、治安維持やガバナンス強化などを支援することに決めました。

 
 

治安の安定化~本格的な国づくりへ

国際治安部隊とUNMITの展開によって治安は一定程度回復し、2007年には東ティモール政府が初めて実施主体となる大統領選挙と国民議会選挙が平穏裡に行われました。ところが、2008年2月、大統領と首相が武装勢力に襲撃され、大統領が重傷を負う事件が発生してしまいます。これを機に再び治安が悪化するのではないかとの懸念が広がる中、一時は非常事態宣言が発出されましたが治安は保たれ、現在も平穏が維持されています。こうした中、東ティモール政府は、2009年を「インフラの年」と位置付け、本格的な国づくりに取り組もうとしています。

 

農業開発~ティモールコーヒーを世界に

ディリ市内の市場で売られているコーヒー四半世紀続いた独立闘争の結果、東ティモールの国土は荒廃し、農業が唯一の産業(国内総生産の4分の1)でありながらも食料の自給がままならず、コメやとうもろこしなどの主食を近隣国からの輸入に頼らざるを得ない状況となっています。輸出用作物で特に力を注いでいるのがコーヒー豆の有機栽培です。日本のNGOなどによる技術支援も行われ、米国の大手コーヒーチェーンや日本の飲食チェーン店などにも流通し始めていますが、国際市場での競争力強化などまだまだ課題は残されています。

 

言葉の問題~入り交じる4つの言語

東ティモールは、約500年にわたるポルトガルの支配により、現地語のテトゥン語に加えてポルトガル語を公用語としており、ポルトガル語諸国共同体(CPLP)にも加盟しています。政府機関の公文書や国会討論などはポルトガル語とテトゥン語で行われていますが、法律の正文はポルトガル語で、一部がテトゥン語に翻訳されています。しかし、現在、ポルトガル語を理解できるのは、植民地時代(~1974)に言葉を覚えた50代以上の大人か、独立後(2002年~)にポルトガル語教育を受けている若年層に限られています。その中間にあたる30~40代はインドネシア併合の時代にインドネシア語による教育を受けており、ポルトガル語を使うことはできません。また、大学などで英語の教育を受けた人はごくわずかです。世代間で使える言語が異なるのは、人材育成や行政コストなどの点から問題だと指摘する人もいます。

 

雇用情勢~若年層の失業と社会不安

田園風景もともと多産が一般的な東ティモールでは人口増加が著しく、国民の約7割が30歳以下の若年層で占められています。しかし、農業以外に産業がない東ティモールでは就労の機会が非常に限られており、首都ディリでは15~34歳の失業率が6割以上とも言われています。こうした雇用情勢や社会に対する若者の不満が、抗議デモや暴動などの社会不安に繋がる懸念もあり、産業育成と雇用創出は大きな課題となっています。

 

経済開発~無償援助に頼らない経済を目指して

2006年の治安悪化の影響で、東ティモール経済は一時急激に悪化しましたが、2007年以降はティモール海にある豪州との「共同石油開発区域」における海底油田・天然ガス田からの税収・ロイヤリティー収入や、政府予算執行額の増加等を受けて、高い経済成長率を見せています。東ティモール政府は、この貴重な石油・ガス収入を効果的に運用するため、「石油基金」(資産額は2008年末現在約42億ドル)を設立。石油・ガス田からの収入は全て一度基金に集約され、一年間に使用できる金額の上限目安を設定した上で、国家予算に活用する方策を打ち出しました。また、資産を活用することにより、外国からの無償援助に依存した経済を脱し、産業基盤整備などを進めることも目指しています。

 
 

平和構築に向けた日本の国際協力

日本は、豪州、ポルトガル、米国と並ぶ東ティモールの主要援助国です。1999年には第1回支援国会合を東京で開催。国づくりにおいては、教育・人材育成・制度づくり、インフラ整備・維持管理、農業・農村開発、平和の定着の分野を中心に支援を継続しています。日本は東ティモールのPKOに対し、延べ約2300人の自衛隊員を派遣してインフラ整備等を行ったほか、文民警察官を2回派遣し(1999年、2007-08年)、東ティモール警察の訓練に協力するなどの支援を行いました。また、自衛隊の空輸隊による避難民救援活動や選挙監視活動なども行い、平和構築に深く関わってきました。2000年には国際協力機構(JICA)の事業所を立ち上げ、国づくりに協力してきました。人道支援から復興、そして開発へと紛争後の「平和の定着」に向けた日本の切れ目のない支援は、東ティモールの指導者だけでなく広く国民にも支持され、良好な二国間関係の増進に大きく寄与しています。

 

未来志向の日本・東ティモール関係

2009年3月、東ティモールのグスマン首相が訪日した際、首脳間で「日本と東ティモールとの間の共同プレスステートメント」を発表しました。グスマン首相は、日本の継続的な支援に感謝し、二国間関係の強化を再確認するとともに、日本の安保理常任理事国入りを改めて支持しました。日本は2009年から安保理非常任理事国であり、安保理議長を務めた2月にはUNMITの派遣期限を延長する決議案を起草・調整するなど、国際場裡で東ティモールに関する議論をリードしてきています。日本は、東ティモールの2012年までの円滑なASEAN加盟を支持するとともに、アジア太平洋地域の平和と安定に向けた支援をこれからも積極的に行っていきます。

日本と東ティモールの関係
 
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