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Vol.30 2009年3月19日
地域大国としてのエジプト

古代文明の時代から長い歴史を持つエジプト。最近では、ガザ情勢に対するエジプトの様々なイニシアティブに、世界の注目が集まりました。中東で何かが起こると、エジプトという名をよく耳にしますが、エジプトとはどのような国で、中東においてどのような役割を果たしているのでしょうか。

ナイル川とスエズ運河を持つ国

エジプト・アラブ共和国は、地中海や紅海に面した、アフリカ大陸北東部に位置する国です。面積は日本のおよそ2.6倍、スエズ運河をはさんでシナイ半島まで広がっており、スーダンやリビア、イスラエルと国境を接しています。国土のほとんどは砂漠に覆われおり、利用されているのは、ナイル川沿いのわずか5%です。古代エジプト文明の時代から現代に至るまで、エジプトはこのナイル川沿いの地域を中心に発展してきました。

エジプト
 

様々な民族が交わる国

現在のエジプトは、アラブ人が大半を占めています。しかし、実際にエジプトの街を歩くと、褐色で彫りの深いアラブ人のほかに、金髪で肌の白い人や、黒髪で肌の黒い人など、様々な風貌の人たちに出会います。これは、アラビア半島から流入してきた古代エジプト人の他、アラブ系、トルコ系、ペルシャ系、ギリシャ系など様々な人種や民族がエジプトに流入し、混血しているためです。そして、9割の人がイスラム教徒ですが、上エジプト等では、キリスト教(コプト教)が信仰されています。

 
 

エジプトの歴史1:ペルシャ、ギリシャ、ローマによる支配の変遷

このようにエジプトにおいては、様々な民族による混血が行われたため人種的な偏見はなく、国としてよくまとまっていると言われています。このエジプトの混血と多様性は、紀元前6世紀にペルシア帝国に征服されてから20世紀に至るまでの長い従属の歴史と深い関係があります。ペルシア帝国以後は、アレキサンダー大王の征服からクレオパトラで有名なプトレマイオス朝まで、ギリシア系の王朝による支配が続きます。紀元前1世紀にはローマ帝国領へ。7世紀にはアラブ・イスラム勢力がエジプトを征服。以後、エジプトのアラブ化、イスラム化が進みます。

 

エジプトの歴史2:奴隷がスルタンになる王朝

13世紀に入ると、マムルーク朝と呼ばれる、奴隷身分の軍人が支配者となる時代が始まりました。マムルークとは、中央アジアやカフカス(今のチェチェンやグルジアを含む地域)等からエジプトに連れてこられた白人奴隷のことです。この奴隷に軍人としての訓練を施すと、結果として能力のある者が台頭し、もっとも力のある者がスルタン(王)を倒して自らスルタンとなり、さらに別のマムルークにより倒され…という具合に、マムルークによる支配が続き、エジプトの混血はさらに進んでいきます。

エジプトの略史と多様性
 

エジプトの歴史3:スエズ運河とともに進むエジプトの近代化

16世紀からはオスマントルコの支配下に入り、19世紀にはオスマン帝国のエジプト総督であったムハンマド・アリの下で近代化が進められます。1869年にはフランスとともにスエズ運河を開通。しかし、エジプトは、王室の奢侈などの放漫財政によりイギリスの債権管理下に置かれることとなり、スエズへのイギリスの進出を招いてしまします。第一次世界大戦後に独立運動が活発化し、1922年にエジプト王国として独立しますが、スエズ運河地帯の駐兵権等は、依然としてイギリスが掌握したままでした。

 
 

エジプトの歴史4:イスラエル建国と中東戦争

1948年にイスラエルが独立を宣言すると、周辺のアラブ諸国はこれに反発。第一次中東戦争が起こります。エジプトは、イスラエルが国境を接している4か国(レバノン、シリア、ヨルダン、エジプト)のうちの一つであり、イスラエルの建国はエジプトにとって大問題でした。しかも、レバノンは1943年、シリアとヨルダンは1946年に独立した若い国家で、まだ十分に体制が整っているとは言えません。現在のアラブ連盟加盟22か国のうち、当時、国家として形成されていたのは、上記イスラエル周辺の4か国とイエメン、イラン、イラク、サウジアラビアを加えた8か国にすぎず、残りの14か国は独立前でした。このため、エジプトがアラブ諸国の中心となって戦わざるを得ない状況でした。結果は、アラブ諸国の敗北。

エジプト周辺国と独立・建国年
 

エジプトの歴史5:社会主義体制への移行とスエズ侵攻

第一次中東戦争の敗北もあり、1952年、エジプトはナセルによる軍事クーデターで王制から共和制に移行しました。大統領に就任したナセルは、アラブの統一を掲げ、ソ連の支持を受けて社会主義経済体制を構築し、1956年、スエズ運河を国有化します。スエズを管理下に置いていたイギリスとフランスがこれに反発。英仏軍はイスラエルとともにスエズに侵攻(第二次中東戦争)しますが、国連の即時停戦決議や米ソのエジプト支援声明を前にスエズより撤退しました。

 

エジプトの歴史6:イスラエルとの平和条約締結

その後エジプトは、アラブ民族の連帯を目指してシリアと合併し、アラブ連合共和国を成立させますが、シリアはほどなく離脱。1967年の第三次中東戦争ではイスラエル軍にシナイ半島を占拠される大敗北を喫しました。しかし、第四次中東戦争では、エジプトは緒戦で勝利を収めると、ソ連から離れてアメリカに接近し、1979年にアメリカの仲介により、エジプトはアラブ諸国として初めてイスラエルとの平和条約に調印しました。

 

中東和平に果たす役割と市場経済への移行

近年、エジプトは新欧米の地域大国として中東和平の実現やアフリカの安定のために重要な役割を果たしています。最近のガザ情勢に関しても、イスラエルとハマスとの停戦やパレスチナ諸派間の和解の仲介努力を行っており、3月2日には戦闘によって破壊されたガザ地区の復興支援のための国際会議を主催するなど、活発な外交を展開しています。経済的には徐々に社会主義的経済体制から市場経済体制に移行してきており、近年では欧州からの活発な投資等もあり、年率6~7%の経済成長を実現していますが、一方で人口増加による高い失業率、貧富の差の拡大などの問題を抱えています。

 
 

アラブのリーダー

アラブ連盟加盟国22か国の中で、エジプトは、古代エジプト文明以来の長い歴史と、アラブ人のうち4人に1人はエジプト人であると言われる約7,000万人のずば抜けた規模の人口と、ナイル川の恩恵を受けた肥沃な国土を背景に、アラブのリーダーと見なされています。首都カイロにはアラブ連盟本部が置かれており、中東和平をはじめとするアラブ諸国の外交において大きな地位を占めています。また、他のアラブ諸国、特に湾岸諸国においては、多数のエジプト人が教師として働き、教育面で大きな影響力を持っています。さらに、エジプトの文学や映画、テレビドラマが広くアラブ諸国間で受け入れられており、文化面でも大きな影響力を持っています。

アラブ諸国の人口
 

エジプトの高等教育事情

最後に、最近注目されているエジプトに対する日本の支援について触れます。エジプトに中東及びアラブ世界における中核的研究教育拠点となりうる大学を設置するというプロジェクトがそれです。これは、エジプト・日本科学技術大学構想と呼ばれ、2009年1月、両国間で大筋合意しました。エジプトのこれまでの大学は、青年層の失業対策という意味合いもあり、一定以上の学力があれば無償で就学できますが、教師一人に対して学生は84人に上るなど、教育水準は年々低下しています。また、工学部では座学に終始し、実験や実技を十分に行うことができない状況にあります。

 

日本式のエジプト・日本科学技術大学

このため、エジプト・日本科学技術大学では、少数精鋭による実技・研究重視、授業料の徴収や外国人教師・留学生の受け入れを図ります。JICAが中心となって、日本の大学にも支援を募り、カリキュラムの作成や運営体制の構築、核となる教員の派遣、機材整備等を行いながら、2009年秋の開校を目指しています。周辺のアラブ諸国からの留学も期待されており、今後、さらに科学技術の強化を図っていきたいエジプトに対し、日本は自らの経験や技術力をベースとした支援を続けていく予定です。

 
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