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Vol.28 2009年2月25日
メキシコ~先進国の仲間入りを目指す中南米の雄

1609年にロドリゴ・デ・ビベロが千葉県の御宿に漂着して以来、日本は400年にわたってメキシコと交流を続け、友好的な関係を築いてきました。メキシコとはどういう国なのか、400年にわたる日墨交流史を紐解きながら解説します。

古代文明からスペイン領へ

メキシコは、北米大陸の南部にあり、日本の5倍強の国土を持つ中南米の大国です。かつて、オルメカ文明、マヤ文明などの古代文明が栄えた場所でもあります。14世紀にはメキシコ中央部にアステカ王国が出現しましたが、16世紀初頭、エルナン・コルテス率いるスペイン人が侵入し、アステカ王国は消滅。湖上の首都テノチティトランはスペイン人によって埋め立てられ、それが現在のメキシコ・シティになりました。古代文明のうち残っている遺跡は、世界遺産に登録されているものも多くあります。

メキシコ
 

先住民との混血が6割

スペイン人の侵入以降、1821年に独立するまでおよそ300年間、メキシコはスペイン領の時代が続きます。その間、先住民とスペイン人の混血が進み、現在では、スペインを始めとする欧州人と先住民との混血(メスティソ)が6割を占め、先住民は3割ほどになっています。言語はスペイン語で、国民の約9割がカトリックを信仰しています。

 

豊かな資源を持つ国

また、世界有数の天然資源国でもあり、世界一の広さ(東京23区の規模)の天然塩田を有しています。また、石油(世界6位、中南米諸国中最大)、銀(世界2位)、モリブデン(自動車の潤滑油等の原料)等の産地としても有名です。農・水産業も盛んで、2005年に日本が輸入したアボカドの95%、ライムの99%以上はメキシコ産であり、他にも激辛唐辛子「ハバネロ」、ビールやテキーラなどのアルコール飲料等、多くの食品がメキシコから輸入されています。

メキシコの名産
 

日本との交流の始まりは400年前

日本とメキシコの交流は江戸時代に遡ります。1609年、メキシコのロドリゴ・デ・ビベロ・フィリピン総督代理が台風のため千葉県御宿に漂着。漁民たちは寝食を忘れて献身的に救助にあたりました。徳川家康はビベロの帰国のため、三浦按針に造らせた船を提供。翌1610年にビベロを乗せた日本船は太平洋を渡り、無事にメキシコに帰還しました。この交流の始まりを記念し、400年後の2009年は、特に、我が国におけるメキシコ紹介、翌2010年には、メキシコにおける日本紹介に重きを置いて、更なる交流につなげようというのが、日メキシコ交流400周年です。

 

金星観測隊が開いた外交関係樹立への道

1874年は、太陽、金星、地球が一直線に並ぶ130年に一度の天文学上重要な年でしたが、これが日本とメキシコの国交樹立にもつながりました。すなわち、この年、先進国は国の威信をかけて世界各地に観測隊を送り出しましたが、開国後間もない日本にもアメリカ、フランス、メキシコが観測隊を送ったのでした。このときメキシコ観測団の団長だったコバルビアスは、後に「日本旅行記」という本を執筆するほど、日本に魅せられます。本国に戻り、日本との国交樹立を強く政府に提言し、これが、1888年の日墨修好通商航海条約の布石となったのです。

 
 

日本悲願の平等条約

この通商条約は、明治政府の悲願であった日本がアジア以外の国との間で最初に締結した平等な条約でした。それまで不平等条約を強いられてきた欧米列強との関係を改め、平等な条約を締結する原動力となりました。また、1897年には榎本移民団35名が、メキシコ南部のチアパス州に入植しましたが、これが中南米への最初の組織的移住です。1614年には支倉常長の遣欧使節団がメキシコのアカプルコに到着し、約180名の団員のうち多くが1年間メキシコに暮らし、大半は帰国しますが、一部はそのままメキシコに残ったといわれています。昔から、メキシコは日本人にとって親しみやすい土地柄だったといえそうです。

日本メキシコ交流400年
 

先進国の仲間入り

現在のメキシコは、世界14位のGDPを有する国で、1992年にはNAFTA締結、93年APEC加盟、94年OECD加盟と、着実に先進国への仲間入りを始めています。G8サミットなどの主要先進国の国際会議においても、メキシコはアウトリーチ会合(拡大会合)の常連の参加国であり、国際社会における存在感を増しています。他方、国内では、南北の地域間格差や貧富の格差が拡大し、また、麻薬や治安問題などの課題を抱えており、貧困撲滅や雇用の創出等の対策が求められています。

 

中南米諸国との関係

2006年に就任したカルデロン大統領は、従来通り米国との関係を最重視する政策を踏襲しながらも、中南米諸国との関係を再構築・強化する方針を表明し、各国との対話を実施しています。また、開発協力の分野でも「メソ・アメリカ・イニシアティブ計画」(メキシコ南東部から中米諸国の開発を目指す計画)の推進など、中米の地域開発を引き続き支援する姿勢を示しています。我が国との間でも、2003年に「日本メキシコ・パートナーシップ・プログラム(JMPP)」を締結し、以来協力して、中南米諸国に対し環境、防災などの分野で技術支援を行っています。

 

最近の日墨関係~戦略的パートナーシップ

これまでも日本とメキシコの関係は良好でしたが、最近は、首脳会合や外相会合など、ハイレベルでの対話が頻繁に行われ、特に親密感があります。2003年には、日本とメキシコが新時代に向けた「戦略的パートナーシップ」を構築していくことに合意。以来両国は、民主主義や人権尊重、自由経済など共通の価値観を共有する国として、一層の協力関係を築いており、昨年11月に開催された麻生総理とカルデロン大統領の間で行われた首脳会議においても戦略的パートナーシップを強化すること、また、日本メキシコ交流400周年の機会に両国の関係を一層推進することで合意しています。

 
 

日墨EPAの発効と効果

この戦略的パートナーシップの一環として、翌2004年に署名されたのが、日墨EPAです。これは日本にとってシンガポールに次いで2番目のEPAですが、農業分野も含む本格的なEPAとしては初めてのもので、その後のEPAの先鞭となりました。この条約をきっかけに、両国の貿易総額は、発効1年目の2005年度に38.4%の増加、2年目は76.3%増、3年目は85.6%増と、著しく増加。日本の自動車メーカーや自動車部品メーカーも、日墨EPAの発効前後にメキシコに新工場や販売会社を設立するなど、メキシコに対する新規や追加の投資が行われました。

日墨EPA発効(2005年4月)後の貿易・投資動向
 

長年にわたる「日墨交流計画」

こうした親密な日墨関係には、地道で長い交流の実績があります。「日墨交流計画」は、当時のエチェベリア大統領が発案した、両国間で留学生や研修生による交流を促進するプログラムです。1971年に第1回研修生がメキシコに派遣されてから37年間、およそ2000名の日本人がメキシコに留学しました。現在、日本の大学でメキシコに関連する学問の第一人者といわれる方々や、経済界の重鎮がこのプログラムでメキシコに留学しました。日本を訪れたメキシコ人の多くは技術者で、日本の物づくりの技術や品質管理などを日本で学び、メキシコの発展に貢献しています。この事業は、幅広い分野で、両国の人材育成と、日墨友好の絆の深化に大きく貢献をしています。こうした交流が今後も両国の繁栄につながっていくことを期待します。

 
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