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Vol.129 2015年4月20日
サウジアラビアという国「外交関係樹立60周年」

2015年は,日・サウジアラビア外交関係樹立60周年にあたります。アラブ・イスラムの盟主として中東地域の平和と安定に貢献するサウジアラビアは,日本にとってもエネルギー安全保障上の要とも言える重要な存在です。今回はサウジアラビアという国と,日本とサウジアラビア両国のこれまでの友好関係について紹介します。

サウジアラビアとは

サウジアラビア王国 サウジアラビアは,アラビア語で「サウード(家)によるアラブ(の王国)」という意味を持つ君主制の王国であり,メッカとマディーナというイスラム教の2大聖地を擁する,イスラム世界の中心的存在です。現在の首都リヤド周辺の領主であったサウード家が,アラビア半島の大部分を支配下に置き,王国を築きました。面積は約215万㎢(日本の約5.7倍)で,その約3分の1を砂漠が占めています。人口は約2,937万人(2014年)で,社会的には部族社会の伝統と,遊牧民族の伝統を併せ持ち,家長性が強いという特徴があります。また女性は,他人の男性の前では頭髪から足先までを黒衣(アバヤ)で覆うことなどが知られています。

 

世界最大級の石油大国

「中東の雄」と称されるサウジアラビアは,世界最大級の石油大国であり,原油の生産量は世界1位,埋蔵量でも世界2位の規模を誇っています(2013年)。日本も世界から輸入している原油の約32%をサウジアラビアから輸入しており,日本のエネルギー安全保障の上でも重要なパートナーと言える国です。また,国際社会においても,非常に大きな政治的影響力を持っています。アラブ,イスラム諸国間の連帯や域内の安定を重視し,湾岸協力理事会(GCC)やアラブ連盟等において主導的役割を果たす一方,西側諸国とも穏健かつ協調的な外交を展開しています。アラブ諸国唯一のG20メンバー国であるとともに,石油輸出国機構(OPEC)の主要メンバーとして,国際石油市場の安定に努めています。2014年は,その年の後半の世界的な原油価格の急激な下落にもかかわらず,実質GDPは前年(2013年)並の3.6%の伸び率を見せています。2015年も,史上最大規模の国家予算が発表され,「油価下落局面においても政府は開発計画を履行・拡大し続ける」という強いメッセージを発信しています。

中東地域の原油
 

サウード家とサウジアラビアの歴史

サウジアラビアの王室であるサウード家は,15世紀にサウード家の先祖がリヤドの付近に勢力を築いたところから始まりました。当時,地方勢力のひとつだったサウード家は,18世紀の半ばにワッハーブ派というイスラム教の宗教勢力と結びつき,第1次ワッハーブ王国を樹立しました。19世紀の初頭には,オスマン帝国の命を受けたエジプト総督ムハンマド=アリーによって一度滅ぼされますが,19世紀の半ばに第2次ワッハーブ王国が再建されます。その後再び滅びますが,20世紀初頭からアブドルアジーズ・イブン・サウード(後の初代サウジアラビア国王)が勢力を立て直し,1932年にサウジアラビア王国が建国されました。

 

イスラム世界の盟主として

1938年にダンマン油田が発見されたことにより,サウジアラビアは豊かな経済力を持つ大国に発展していきます。第5代ファハド国王は「2聖都の守護者」を名乗り,イスラム世界の盟主という立場を強調しました。また1990~1991年の湾岸戦争時には,多国籍軍に参加しました。2005年に即位した第6代アブドッラー国王は,皇太子時代を含めて20年間にわたって国政を担いましたが,2015年1月23日に崩御され,同日にサルマン皇太子(80歳)が第7代国王に,ムクリン副皇太子(70歳)が新皇太子に就任しました。サルマン国王は,ムハンマド・ビン・ナーイフ内相(55歳)を新副皇太子に指名し,初代国王の孫の世代(第3世代)への王位継承に初めて道筋をつけました。

サウード家の系図
 

故アブドッラー国王の業績

第6代アブドッラー国王は,内政面では女性の社会進出や教育の近代化を推進し,産業の多角化や人材育成に尽力しました。2013年1月に,諮問評議会(日本の国会にあたる機関)に女性30名を議員として任命しました。スポーツの分野でも,2012年のロンドンオリンピックに,サウジアラビアから初めて2名の女性選手(陸上及び柔道)が出場しました。また科学技術の発展にも力を注ぎ,2009年に,サウジアラビアで唯一の男女共学大学としてキング・アブドッラー工科大学を設立しました。外交面においては,地域紛争における仲介活動や財政的貢献,湾岸協力理事会(GCC)との連携強化を推進し,従来からの欧米重視の姿勢に加え,アジア諸国との連携・協力を打ち出しました。また,2002年にアラブ連盟は,アブドッラー国王のイニシアティブにより,イスラエルとの紛争終結・和平合意及び正常な関係の構築に向けた「アラブ和平イニシアティブ」を採択しました。現在の中東和平を巡る情勢の中,アブドッラー国王は,アラブ諸国を結集させる役割を担ったとして,国際的にも高い評価を受けています。

 

親密な日本とサウジアラビアの関係

サウジアラビア訪問時の安倍総理とサルマン皇太子(当時)との会談の様子(2013年4月30日)(提供:内閣広報室) 日本とサウジアラビアとの間には,戦前には正式な外交関係はありませんでした。戦後の1955年6月7日,両国の交渉によって外交関係が成立しました。それ以来,日本とサウジアラビアは一貫して良好な関係を構築しています。首脳を含めたハイレベルの往来も活発で,2013年4月~5月,安倍総理がサウジアラビアを訪問すると,その翌年の2014年2月,サルマン皇太子(当時)が訪日し,その際,双方は「包括的パートナーシップ」の更なる強化を推進していく方針で意見が一致しました。また,両国の皇王室も親密な交流を続けており,1981年2月には,当時皇太子同妃両殿下でいらした今上天皇・皇后両陛下が,また1994年11月には皇太子同妃両殿下がサウジアラビアを御訪問されています。サウジアラビアからも多くの王族が訪日しています。2015年のアブドッラー国王崩御の際には,皇太子殿下が弔問のためサウジアラビアを御訪問されました。

 

民間における交流も促進

「ジャナドリヤ祭」での日本館の様子(2011年4月) 経済的な交流では,総額70億ドルのペトロラービグ・プロジェクト(※)の第二フェーズを始め,自動車,金属加工,水処理,IT分野等,多数の投資案件が進捗しています。また日本は,官民共同でサウジアラビアに学校を作るなど,サウジアラビアの人材育成,経済発展に対して貢献をしています。両国の交流をさらに促進するための法的枠組みとして,2009年7月に航空協定,2011年9月に租税条約が発効しました。2013年4月には投資協定の署名が行われています。文化交流事業としては,2011年4月,サウジアラビアの国民的文化祭典「ジャナドリヤ祭」に日本がゲスト国として参加し,約30万人が「日本館」を訪れました。サウジアラビア国内でも日本への関心が高まっており,特に日本の漫画やアニメは,サウジアラビアの若者たちのファンも多く,これらを通して日本語学習に関心を持つ人々も増えています。

(※)ペトロラービグ・プロジェクト:
日本にとって中東アフリカ地域における史上最大規模の投資事業。石油精製と石油化学の統合コンプレックス事業を実施している。日本・サウジアラビア間の協力の象徴と呼ばれている。

 

日・サウジ外交関係樹立60周年

「日・サウジアラビア外交関係樹立60周年」公式ロゴマーク このように日本とサウジアラビアは,国交樹立以来,共に友好関係を築いてきました。2014年2月のサルマン皇太子(当時)訪日の際,日本とサウジアラビアは共同声明の中で,2015年の外交関係樹立60周年を祝し,両国で様々な記念事業(PDF)を実施することを発表しました。一般公募で決定した公式ロゴマークには,新月(イスラム)と昇る太陽(日の丸)で「60」の文字を,両国の象徴として「ヤシの木」と「桜吹雪」が描かれています。日本とサウジアラビアは,この外交関係樹立60周年 という機会を通じ,両国の「包括的パートナーシップ」の強化に向け,様々なレベルでの相互理解や協力をより一層加速させていく方針です。

 
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