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Vol.101 2013年6月21日
バチカン~中世と現代が共存する国家

2013年3月,バチカンで第266代フランシスコ新法王が誕生しました。世界中のカトリック信者を導く組織でありながら,独立国でもある「バチカン」。今回はバチカンの国家としての成り立ちとそのユニークなプロフィール,そして国際社会における立場と存在感について解説します。

世界最小の国家である「バチカン市国」

バチカン イタリアの首都ローマ北西部・バチカンの丘にある世界最小の国家(0.44平方km,皇居の約1/3)がバチカン市国です。国全体が世界遺産に登録されており,サン・ピエトロ広場,サン・ピエトロ大聖堂,バチカン博物館周辺は,いつも世界中からの観光客で賑わっています。中世ヨーロッパの都市のように城壁に囲まれたバチカン国内には約800人の“国民”が居住していますが,そのほとんどが聖職者と修道士・修道女です。その他,法王庁には約3,000人の職員が働いており,そのほとんどは「国外」であるイタリアから通勤している“外国人”。イタリアや多くの西ヨーロッパ諸国との移動にはパスポートが不要です。なお,バチカンの公用語は,古代ローマ帝国の公用語であり,今やほぼ学術用語でしか使われていないラテン語ですが,外交用語はフランス語,日常業務では主にイタリア語が使われています。


サン・ピエトロ大聖堂 サン・ピエトロ広場
 

カトリック信者の総本山としての「バチカン」

「バチカン」という呼称は,独立国である「バチカン市国」に加え,約11億8千万人とも言われる信者を擁するカトリックの最高機関「法王聖座(Holy See)」をあわせた総称です。宗教組織でありながら世界で唯一主権国家として認められ、聖俗両面を併せ持つ存在であるバチカンの元首である法王は,80歳以下の枢機卿(法王に次ぐ地位のカトリック信徒)約100名ほどによるコンクラーベと呼ばれる選挙で選ばれます。また行政面では,首相に相当する国務長官,外務大臣に相当する外務長官などが法王によって任命され,最高裁など司法機関も設置されています。バチカンに軍隊はありませんが,法王と法王宮殿の警備は中世を思わせるカラフルな制服を身につけたスイス人衛兵が担当しています。1527年,バチカンが神聖ローマ帝国軍に攻められた「ローマ略奪」の際,スイス人衛兵が身をていして法王を守り通したという故事が伝えられており,以来,「教会の自由の保護者」としてスイス人のカトリック信者がバチカンを守っているのです。

イタリア統一前の法王領に始まるバチカンの歴史

バチカン市国成立までの略史

バチカンの歴史は,326年,キリスト教を公認したローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世が,イエス・キリストの使徒聖ペテロ殉教の地(墓所)であるバチカンの丘に,サン・ピエトロ寺院を建造したことに始まり、バチカンでは聖ペテロが初代法王とされています。やがてバチカンはカトリック教会の本拠地として発展し,8世紀にはフランク王国からの寄進などにより,統一される以前のイタリア各地に法王領を持つようになりました。以後,欧州情勢によって拡大・縮小を繰り返す法王領が現在のバチカン市国の礎といえるでしょう。19世紀にはイタリア王国との確執により,半世紀にわたってイタリアとバチカンの国交は断絶。1929年の「ラテラノ条約」によって,ようやくイタリアは独立した主権国家としてのバチカン市国を承認し,現在に至っています。

国際社会におけるバチカン

現在バチカンは,約180か国と外交関係を有しており,国連には投票権のないオブザーバーとして参加。そのほか欧州安全保障協力機構(OSCE)万国郵便連合(UPU)国際電気通信連合(ITU)国際移住機関(IOM)など多くの国際機関にもオブザーバー参加しています。また近年は,カトリック以外のキリスト教の諸宗派や他宗教との対話も積極的に行っています。バチカン外交はキリスト教精神を基調とする正義に基づく世界平和の確立,人道主義の高揚を目標としており,平和・軍縮問題,開発途上国の貧困や開発問題,人権問題,地球温暖化をはじめとする環境問題等の分野において,法王の言葉を通して各国首脳や世界中の人々にメッセージを送っています。特に1978年から約26年間にわたって法王を務めたヨハネ・パウロ2世は「空飛ぶ法王」と呼ばれるほど積極的に外遊(100か国以上訪問)や他宗教との対話を行い,1981年にはローマ法王として初めて来日しました。

 

ザビエルに始まる日本とバチカンの交流

日本とバチカン交流略史 日本とバチカンの関係は,16世紀,男子修道会イエズス会によるキリスト教伝来に遡ることができます。安土桃山時代~江戸初期に日本の使節とローマ法王との謁見が2度実現していますが,江戸幕府の禁教令・鎖国令によって交流は断絶しました。幕末の1857(安政4)年 に鎖国令が解除,明治維新後の1873年には禁教令も撤廃され,1892年大日本帝国憲法発布により信教の自由が保障されると,日本でのカトリック宣教も盛んになっていきます。日本がバチカンと正式な外交関係を樹立したのは,第二次世界大戦中の1942年でした。その際に相互に公使館を設置しましたが,戦後一旦引き上げて1952年に公使館を再設置。1958年に在バチカン日本公使館を大使館に格上げしました。1981年に来日したヨハネ・パウロ2世は昭和天皇とお会いになり,東京のほか,広島と長崎を訪問し,平和と核廃絶を訴えました。

日本人とバチカン

2009年7月、ローマ法王ベネディクト16世に謁見する麻生総理(いずれも当時) 写真提供:内閣府広報室日本のカトリック信徒は,約45万人と日本の人口の0.4パーセントにも満たない人数ですが,カトリック教会で法王に次ぐ地位にある枢機卿にこれまで5人の日本人が任命されています(2013年6月現在はいない)。バチカンが所有するルネサンス期の美術品などは多くの日本人を魅了し続けており,2013年4~6月にも,東京都美術館でバチカン施設所蔵のレオナルド・ダ・ヴィンチ展が開催されています。また,バチカン美術館内システィーナ礼拝堂フレスコ画修復が日本の民間テレビ局の資金協力によって1994年に13年かけて完成しました。近年の要人往来としては2008年,江戸時代に日本各地で殉教した日本人カトリック信徒188人の列福(聖人(Saint)に次ぐ福者(Beato)の地位を与えられること)の式典が長崎で行われた際に,バチカンからディアス福音宣教省長官らの高官が来日。翌2009年には,カトリック信徒でもある麻生太郎総理(当時)がバチカンでベネディクト16世に謁見しています。なお,2011年3月の東日本大震災後,3月22日に法王から天皇陛下にお見舞電報が届いており,ローマ法王庁からの義援金のほか,在京バチカン大使らが慰問のために被災地各所を訪れています。

新法王フランシスコと新しいバチカン

2013年3月に前述のコンクラーベで選出されたフランシスコ新法王は,初の南米出身の法王であり,約1,300年ぶりとなるヨーロッパ以外出身の法王です。ベネディクト16世前法王は,高齢を理由に生前退位しましたが,これも実に約600年ぶりとなる出来事でした。フランシスコ法王就任式に際し,日本からは森喜朗元総理が政府の特派大使としてバチカンを訪問し,新法王に謁見しています。イタリア系移民の子であるフランシスコ新法王は,質素を好む庶民派であり,大のサッカーファンでもある親しみやすい人柄と言われています。ベネディクト16世時代より始まった法王ツイッターアカウントを受け継ぎ,新法王もインターネットを通して,世界にメッセージを送っています。また新法王はアルゼンチンでの司教時代から,特に貧困問題へ積極的に取り組んでいたことで知られ,環境問題にも熱心です。2013年4月13日,フランシスコ法王は,カトリック教会の組織改革に助言を与えることを目的に枢機卿8名からなる顧問団を設立。今後,より開かれたバチカンをめざして,新法王のリーダーシップのもと,様々な改革に着手することが期待されています。

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