開発援助をめぐる新たな潮流と日本の経験
無償資金協力により改修された国道6・7号線:カンボジア

有償資金協力により作られたジャムナ多目的橋:バングラデシュ

  1980年代には、国際通貨基金(IMF)、世界銀行を中心に、構造調整融資でマクロ経済の安定化をはかり、政府の市場介入を少なくし、民間セクターの活力によって開発問題に対処しようという開発アプローチが、多くの開発途上国において適用された。しかし、期待された効果をあげることができなかったため、1990年以降、より直接的に貧困問題に対処するアプローチが強まり、人々への能力の付与(エンパワーメント)こそが開発の至上目的であるとの考え方が有力となった。
そこで世界銀行は、経済開発だけでなく、保健、教育などの社会セクター開発をも視野に入れた「包括的開発の枠組み(CDF:Compre-hensive Development Framework)」を発表し、現在、これに基づいて、最貧国を中心に貧困削減戦略文書(PRSP:Poverty Reduction Strategy Paper)が策定されている。

 さらに、2000年9月、ニューヨークで開催された国連ミレニアム・サミットに参加した147の国家元首を含む189の加盟国は、21世紀の国際社会の目標として国連ミレニアム宣言を採択した。このミレニアム宣言は、平和と安全、開発と貧困、環境、人権とグッドガバナンス(良い統治)、アフリカの特別なニーズなどを課題として掲げ、21世紀の国連の役割に関する明確な方向性を提示した。そして、国連ミレニアム宣言と1990年代に開催された主要な国際会議で採択された国際開発目標を統合し、一つの共通の枠組みとしてまとめられたものがミレニアム開発目標(MDGs:Millennium Development Goals)である。
MDGsでは貧困削減、基礎教育、ジェンダー、幼児死亡率、環境などの問題について明確な量的目標と達成基準を定めている。

 日本は、貧困削減をはじめとする国際的に共有された開発目標の達成のために、最大限の努力を払ってきたが、その一方で、東アジアの開発経験に基づき、経済成長を通じて持続的な貧困削減を実現することの重要性も、一貫して主張してきた。そのため、教育や保健・医療などの社会開発だけでなく、経済基盤、法制度整備、人材育成などの経済開発への協力を多様なニーズに合わせてきめ細かく行い、貿易・投資の促進、民間セクターの育成、技術移転を促進することにより、積極的に経済成長を支援してきた。その結果、現在では、PRSPプロセスにおいて経済成長をより重視する傾向が徐々に現れてきている。