上詳パラオの海筆者とウエキ前駐日大使 米国での研修後、次の赴ふ任にん地がパラオと聞き、インターネットで検けん索さくすると「地上の楽園」という言葉と真っ青な海と空の画像ばかり出てくるので、バカンス気分でまい上がりましたが、実際に住んでみると想像とはだいぶちがいました。 パラオは、ほぼ輸入にたよっているため物価も高く、来た当初はインターネット環かん境きょうも劣れつ悪あくで、停電や断水との戦いもあり、パラオに対する私の印象は下がる一方でした。 ですが、外交官という仕事を通じて、パラオに対する見方も変わりました。パラオ人は日本のことをよく「トクベツ」と言います。「トクベツ」は現地パラオ語に残る日本語の一つです。パラオの公用語(公式の言語)は英語ですが、現地パラオ語には、日本統治時代のなごりで日本語が残っています。 パラオ独立後の初代大統領はナカムラ大統領、現駐ちゅう日にちパラオ大使はマツタロウ大使、そしてパラオ人は「ツカレナオス」(疲れ・治す)と言って乾かん杯ぱいします。パラオ人は演歌が大好きで、日本へのあこがれも強く、日本のことをよく知っています。大統領との会談で通訳として同席することがありますが、レメンゲサウ大統領は、演歌やすもう、温泉が大好きで、国際社会での日本の立場を常に支持してくれます。これほど親日な国は世界中どこを探してもないのではと思います。 この親日感の原点は何なのか? 日本統治時代のパラオで幼少期を過ごした、外交官の大先せん輩ぱい・ウエキ前駐ちゅう日にちパラオ大使が教えてくれました。当時の日本人は、パラオ人と同じ目線に立ち、共に農業や漁業などの産業を興し、演歌を首都:マルキョク主要言語:パラオ語、英語面積:488km²人口:約2万人通貨単位:米ドルこんにちは=Uゥーイルngilchodechosong見てね!楽しみ、「パラオ人の心を動かした」そうです。日本統治時代のパラオは良かったと思う人が多いとのことでした。 外交官として、「人の心を動かす」という言葉は胸にひびき、先人たちの築いた日・パラオの友好、歴史の重みにはじぬよう、二国間関係をゆるぎないものにしたいと思うようになりました。 2018年5月、日本と太平洋の島国の首脳が一堂に会する「太平洋・島サミット」が福島県いわき市で開かい催さいされ、私もパラオから日本へもどり、サミットの準備を手伝いました。出席したパラオのマルグ国務大臣(注:外務大臣)より、「安倍総理夫人をはじめ、福島の方と交流できたことや、会場の水族館にパラオの海の展示があったことに感動し、遠くはなれた日本でもパラオを知ってもらえるきっかけをつくってもらえた」と感謝の言葉を頂き、日・パラオの友好関係に貢こう献けんできたと感じました。 先人たちの教えを胸に、日本がパラオにとって「トクベツ」であり続けるよう、パラオで毎日努力したいと思います。くわむらかみオソサンMEMO21パラオ共和国より村くわしくはここを見てね!サムライinU. S. A?!太平洋の島国を調べてみようしく調べてみようメッセージ動画を ひとみさん
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