演説

麻生外務大臣演説

国際交流会議「アジアの未来」2006
「アジア共同体」への道--構想と展望における麻生太郎外相スピーチ
「ネットワーク型アジア」の未来を構想する

平成18年5月26日
(英語版はこちら)

  1. SARSの広がりから見えたもの
  2. Only Yesterday..
  3. 「アジア人」とは何者か
  4. 「知のネットワーク」に期待
  5. 「国民国家」の枠、「ナショナリズム」の罠を超えて
  6. アジアン・ドリームへ向けて

はじめに

 ご紹介ありがとうございました。

 外務大臣をしていると、アルファベットを並べた略語がこれでもかと出てくるので、時々何が何だかわからなくなってきます。

 5月の初頭にはベルギーのブラッセルまで行って、ナック、NACという集まりに、日本の外務大臣としては初めて参加しスピーチをして参りました。これはNATOの最高意思決定機関で、North Atlantic Councilの略語であります。

 それから昨日は、カタールのドーハから帰ってきたばかりであります。ACDという集まりがありまして、そこに出ておりました。中国、韓国の外相と会談をして参りましたから、そちらの方は新聞やテレビできっとご覧いただけましたことでしょう。

 ACDとは何かと言いますと、Asian Cooperation Dialogueの略でして、「アジア協力対話」と訳しております。元々タイの発案で始まった、文字通り対話の試みです。今年は第5回。

 参加国が28という多数に上ります。ロシアやら、サウジアラビアも入っておりまして、各国の外務大臣が一堂に会します。今日はACDについてお話しする場ではありませんからこのくらいにしておきますが、外務省のウェブサイトにいろいろ解説を載せております。何でしたら後でご覧ください。

 皆さん御関心が高いと思いますのでちょっと紹介いたしますが、今回、ドーハで、韓国の潘基文外交通商部長官、中国の李肇星外交部長と、それぞれ会談してきました。いずれの会談も1時間半にわたって、いろいろなテーマについて真剣に議論しました。

 成果を一言で申し上げれば、もちろん両国との間にいろいろと問題はありますが、アジア全体の将来を見据えて、あらゆる分野で対話と交流を促進し、大局的観点から未来志向の関係を築いていこうという思いをしっかり確認しあったということだと思います。今回の会談によって、関係改善の流れができつつあるのではないか、と期待しております。

 今日お話することとの関係では、たとえば若い世代の交流。中国との高校生交流は、わたくしもいろんな場所で宣伝しておりますが、すでに第1陣の200名が日本を訪問しました。潘基文さんにも、お互いに若者のホームステイを活性化させましょうと提案しましたところ、良いアイデアですね、ということをおっしゃっていました。

 また、これもあとで出てきますが、東アジア共同体というような地域協力。こうした場でアジア全体の利益になるような成果を出していくためには、やはり日本と中国、韓国が協力しなければなりませんし、そういうより広い視野で見た日中、日韓関係の構築が大事だということについても、お二人と考えを共有できたと思っています。もちろん、北朝鮮の核や拉致の問題についても、連携していこうという話をしてまいりました。

 ともかくも、アジアにはこんなふうに、いろいろと新しいネットワークができております。わたくし自身、外務大臣になってオヤオヤと感心した次第ですが、「ネットワーク」というこの言葉、これが本日いたします話のキーワードになって参ります。

 さてアジアの未来をどう構想し、そこにおける我が日本の位置をいかに思い描くかという主題は、多年わたくしの念頭にありました。

 本日は、外交を担当するようになって以来あれこれ考えましたところを含め、その一端を皆様と分かちあうことができればと思っております。と、言いましても、あまりあれこれ、細かい話をしようとは思っていません。申し上げたいのはごく単純なことです。われわれアジアに生きる者、何一つ悲観的にならなければならない理由はないと、要するにそこを強調したいと思っております。

1. SARSの広がりから見えたもの

 初めに、3年前の今頃がどんな時期だったか、どうぞ皆さん思い起こしてみてください。......新しく見つかった恐ろしい伝染病が、アジアの各地で猛威を振るっていた時です。

 「重症急性呼吸器症候群(Severe Acute Respiratory Syndrome)」、SARSという病気がどこまで広がるか、あの頃は誰もがハラハラしながら様子を眺めておりました。結局800人近い人命が奪われたのは、皆さんご承知の通りです。

 しかし今だから語弊を恐れず申し上げますが、この恐ろしい疫病が広がっていくのを眺めながら、わたくしは、もちろん憎むべき現象ではあるが、これはひょっとすると、アジアが想像以上にダイナミックに動いていることの証拠かもしれないという気がしておりました。

 なぜかと言えば疫病とは、当たり前ですが、ヒトやモノが決まった場所にじっとしている環境では移っていきようがないからです。SARSがあれだけ急激に、中国、ベトナム、香港やシンガポールへ広まったまさにそのことは、アジアで活発な人の交流と、物流が行われていることを裏書きするものにほかなりませんでした。

 つまり、国境を超えて躍進するアジアだからこそ、SARSも急激に広がったのである、と。しかもこの地域の国々が上手に協力しあったので、その後見事に制圧することもできたわけです。問題の発生から解決に至るまで、SARSというもの、アジアのある新しい現実を教えてくれました。

 アジアとは皆さん、今や1つの、分かちがたく結ばれたネットワークなのです。

2. Only Yesterday..

 さて、世上、30年でひと世代と申します。

 それでは今からひと世代前、1976年、昭和51年とはどんな年だったでしょうか。

 中国ではこの年、周恩来、毛沢東という革命の両巨頭が相次いで亡くなり、文化大革命がようやく終わりを告げたばかりです。

 ベトナムや他のインドシナ諸国では、戦火は、単に収まったと言うに過ぎない状況でした。カンボジアの悲劇が始まるのは、この後のことです。

 日本のアジア政策はと言うと、実はまだ満足にありません。戦後賠償が完全には終わっていなかったからで、この年フィリピンに対する最後の賠償手続きを完了させ、戦後処理に節目を打って初めて、ようやく日本は積極的な対アジア政策を立てることができるようになるのです。

 皆さんお忘れだろうと思いますが、戦後復興資金として米国がタダでくれたと思っていた「ガリオア・エロア資金」、総計18億ドル強というものがありました。日本はこれで、戦後傾斜生産のために必要な石炭や鉄鉱石が手当てできたし、大いに助かったのですが、昭和23年になって突然「有償である、返済せよ」ということになりました。

 日本は7年も米国と交渉して粘るのですが、昭和36年にとうとう折れて、約5億ドル分はお返ししますということになった。……それからは意地です。必死に返して、計画より前倒し、昭和48年、1973年に完済するのです。いずれにせよ1976年と言いますと、占領期の借金を返し終えてたったの3年しか経っておりません。日本だって、言ってみればまだそんな状態だったのです。

 それから、30年。どうです。短い間に、「遥けくも 来つるものかな」という思いにとらわれませんでしょうか。

3. 「アジア人」とは何者か

 だとするとわれわれ、「アジア人」に、今や次のように定義を与えることができるでしょう。

 すなわちアジア人とは、生まれついての楽観主義者であります。なんとなればアジア人とは、わずかひと世代にして「量子の飛躍」(quantum leap)を成し遂げた者、偉大なるachiever(達成者)だからにほかなりません。

 われわれはみな、英語で言うrags to riches、すなわちぼろ布を捨て、富を手に入れたサクセスストーリーの体現者です。見回してもみましょう、世界のどこに、たったの30年でこれだけの距離を、これほどの速度で駆け抜けた人々がいるでしょうか。

 今やアジアとは、世界中で最も活発な交易ネットワークの別名です。またアジアは今なお、世界で最も豊かな貯蓄の源であり続けています。

 1人当たりGDPを見ますと、例えばASEAN主要国ではどこも皆、この30年の間に3倍から6倍にも伸びました。

 だとするならばアジアとは、伸び行くミドルクラスの集合体です。アジア人とは、面を上げ、常に前を向いて歩む人々の別称なのです。

 もしかすると経済以上に大切なことには、この間に、アジア人はある精神的革命を遂げました。それは、アジア人が、アジア人自身を美しいと、心から思い始めたことです。

 クアラルンプールの少女、北京の少年、ハノイの中学生やジャカルタの高校生は、もはやアイドルをハリウッドのつくる銀幕だけに求めはしません。新しいファッションのインスピレーションを、パリにだけ求めようとはしなくなりました。近代史上初めて、アジア人のアジア人による、アジア人のためのスターが生まれ、流行が作られて、旺盛に消費されています。

 We are beautiful...アジア人は口に出す出さないはともかく、今やそんなふうに思っております。そしてそれを、歌に託します。アジアはUnited States of Karaokeでありますから、カラオケで声を張り上げるわけです。歌うのは日本の歌だったり、韓国の歌だったり。わたくしどもの若い時分のように、アメリカの歌ということはあまりなくなりました。ちなみにカラオケと言えば、この偉大な発明が日本で最初にブームを起こしたのが、ちょうど1976年、77年辺りのことでした。つまりこれまた、近々(きんきん)30年の流行だったわけです。

 どうです皆さん、30年を経て、今日「アジアン・ドリーム」を共に夢見る時代が訪れました。わたしたちの、わずかにひと世代の飛躍が、わたしたち自身をここまで連れて来たのです。

4. 「知のネットワーク」に期待

 それならば、とわたくしは考え、主張したいと思います。

 この先30年、2036年に、アジアはどんなになっているだろうかと。

 わたくしには、今年大学生になった娘がいます。今から30年といえば、彼女たちの世代が社会の中堅になり、バリバリ働いている頃でしょう。もちろんわたくしも人の子の親として、その頃のアジアが、今以上に暮らしやすい場所、幸せなところになっているのを願わずにはいられません。

 ここまでひと世代で駆けてきたわれわれです。ここからの30年は、きっともっとできると、そう思っていけない理由がどこにあるでしょうか。

 ……少し脱線をいたしますが、皆さん元旦の新聞といったら、お年玉みたいな明るいトーンの記事が載るものでしょう。ところがわたくしのいまだに覚えておりますのは、1997年、正月元旦の日本経済新聞が、1面で「日本が消える」とやったことです。

 日本が消えると言われても、消しゴムで消せるわけではなし、何のことかと思って中身を見ますと、これが超悲観論でした。「進まぬ改革、老い早く」とか、「世界で孤立、個人は孤独」とか。なんと小見出しでは、「東京には死相漂う」とまで書いてありました。これは恐れ入ったものだと思った記憶があります。

 だいたい世間が総悲観になると、本当に景気も悪くなります。それから相場の用語を用いますなら、悲観の「陰の極」で、実は次の発展の芽が出始めているということが、しばしばあるわけです。事実97年といいますと、インターネットの普及に加速度がついた年だったのはご記憶に新しいところでしょう。上がったものは下がりますが、下がればまた上がるというのが世の常でして、やたらな悲観調、絶叫調の議論には、いつも疑ってかかる必要があるとわたくしなどは思っております。

 ましてや今、わたくしには、アジアの将来に関して悲観的にならなければならない訳が思い当たりません。それはもう一度SARSに戻るのですが、あの恐るべき伝染病がゆくりなくも明らかにしたように、アジアはそれ自体、ひとつの発展をやめないネットワークだからです。

 そのことをよく知っているのは、恐らくアジア各国に展開する日本企業の社長さんたちでしょう。部品別、工程別の分業ネットワークをこしらえて、費用便益のバランスを日本企業は臨機応変、アジアのいろいろな国で追求しています。ふと気がつくと、どこそこの国が強くなるから日本の産業基盤が空洞化する、といったようないかにも固定的なイメージの議論は、もうあまり聞かなくなりました。

 それにネットワークとは面白いもので、参加者が3人から5人へ2人増えただけで、回線の数が3つから10へ増えるというように、自乗自乗で拡大する性質をもっているでしょう。

 つまりアジアがオープンな、自由なヒト、モノ、カネの行き来を促すネットワークである限り、「知恵の輪」もまた、自乗の法則で拡大していくのです。

 これこそは、この先われわれを見舞うであろう幾多の問題を解くカギになります。

 わたくしの楽観論は、誤解なきよう申し上げますが、今後何も問題が起きないという立場に立つものではありません。

 社会の高齢化は日本を先頭に、韓国や、じきに中国でも大問題となるでしょう。しかし、社会の高齢化自体は、悪い話でも何でもありません。ここは日本が、アジアの先頭を切って、成熟し、活力ある高齢化社会を実現し、この地域全体のモデルを示していくべきでしょう。

 成長のため欠かせない食糧、エネルギーの限界をどう突破するか、アジアが人類的課題に直面することも、火を見るより明らかです。半面、自然環境の悪化を放置できるはずはなく、ここでもわれわれアジア人は、フロントランナーとなって取り組まなければなりません。

 しかしわたくしが、それにもかかわらず楽観論者だというのは、今申しましたネットワークに大きな信を置いているからにほかなりません。平たく言いますなら、「3人寄れば文殊の知恵」かもしれないが、10人寄れば、45通り、20人なら、190通りの知恵が発揮できるのです。

 言ってみれば、アジアの「知のネットワーク」に、信頼を託そうとする発想です。

 公害克服のためには、エネルギー利用の効率化を本気になって図らないといけません。ハイブリッド・カーを引き合いに出すまでもなく、この点では我が日本に一日の長があります。エネルギーの安定供給や効率的な利用について、政策面、技術面などで協力を深めるネットワークができれば、日本は間違いなく、そこでリーダーとして活躍する資格があります。

 それから東アジアの経済は、貿易額の半分以上が地域の中で行われているという、実に緊密な状態にあります。太いネットワークがそこにあるので、これを文字通り、われも得する、彼も得するという、互恵のネットワークにしないといけないわけです。

 あえて細かいことを言いますが、その基盤として、これからぜひ必要になるのは、地域全体できちんとしたデータ、統計を整備し、理論や政策の面で精緻な分析、提言を行う機能です。特に、わたくしは、ASEAN+3ができた9年前のことですが、経済企画庁の長官をしていたので、データや統計がいかに大切かが骨身に染みております。

 統計の整備とか、「知のネットワーク」の申し子となり得るようなアジア太平洋地域のシンクタンク機能作りでも、日本はリーダーの1国になりたいものです。

 半面、日本は例えば「平和の定着と国づくり」といった面ですと、専門家の数などがまだまだ足りません。今国会冒頭の外交演説で、「平和の維持・構築、紛争の再発防止といった活動を担う専門的人材を、アジアにおいて育成」したいと、わたくし自身申し上げました。

 アジアでは、カンボジア、東ティモール、アチェ、ミンダナオなどで、わが日本も含め、平和構築の経験を積んできました。国連のPKOに積極的に貢献している国も日本だけではありません。こうした経験を活かしながら、広く世界に知恵とノウハウを求め、平和構築のために活躍できる人材をこのアジアで育成する仕組みをつくっていかないといけません。いま、このアイデアについてアジア各国と議論を深める機会を近々設けられないかと思っています。

 ともあれお互いが、強みを分かちあい、弱いところを補いあうならば、解けない難問などないと信じましょう。

 難しい課題に他人(ひと)より先にぶつかる国という意味で、わたくしは一度、日本を「thought leader」になぞらえたことがあります。しかしこう考えてみると、知のネットワークが縦横に張り巡らされるだろう近未来のアジアは、世界全体に対しゆうに一個のthought leaderたり得ると、わたくしには確信に近いものがあります。

5. 「国民国家」の枠、「ナショナリズム」の罠を超えて

 もうお分かりいただけましたように、わたくしが描くアジアの未来像とは、ネットワーク型のそれであります。そして愛国者の一人として、わたくし、でき得れば、日本にそのネットワークにおいて、知恵の力を指導力の源泉とする国であって欲しいと、そう願っておりますし、これまでスピーチでもそう述べてきた次第です。

 言い換えてみましょう。

 ネットワーク型という以上、わたくしは、未来のアジアが、近代が生んだ、良くも悪くも最大の発明の呪縛から解放されている姿を夢見ています。

 近代の生んだ毒......。それはすなわち「国民国家」であり、「自民族中心主義」という意味に規定される「ナショナリズム」でした。

 この2つは、地図に黒々と、太い国境を引く思想でした。また時として、その国境を外へ外へ、無理やりにでも広げていくのをよしとする考えでした。そうでなくとも、これらは固い甲羅を想像させる発想です。「対話」でなく、「対決」を促すものでした。

 他人(ひと)のことは言いますまい。日本人は一度、国民国家とナショナリズムという、強い酒をしたたかにあおった経験があります。

 皆さんこれからのアジアは、国民国家の枠、ナショナリズムの罠に絡め取られるようではいけません。アジアをアジアたらしめたのは自由で開かれたネットワークだったのですから、未来はそのネットワークをもっとしなやかで、一層ダイナミックなものとするうえにこそ、築かれなければならないと考えます。

 わたくしが楽観論者だというのはまさにこの点で、アジアはこれからも、偉大なネットワーク社会として伸びていくに違いないと確信する一点にかけて、わたくしは人後に落ちないつもりなのです。

 雛形は既に、わたしたちのすぐ身近にあるではありませんか。

 今日まで弛まず一体化の努力を続けてきたASEANこそは、アジアを一大ネットワークにした立役者でした。この土台の上に、「ASEAN+3」がつくられ、昨年はさらに「東アジアサミット(EAS)」が呱々の声を上げました。

 「ASEAN+3」にインドとオーストラリア、ニュージーランドという民主主義の仲間を加えたEASは、アジアのネットワークを一段と豊かにしてくれるものです。わたくし思いますに、EASが「知のネットワーク」の有力な母胎となってくれるとすばらしいでしょう。

 その一つのアイデアとして、EAS参加各国の「知」を代表する賢人・科学者たちが一堂に会し、このようなネットワークをどう活用するか、将来に向けてどう発展させていくかということを議論しあう場、いうなれば「Asia Intellectual Leaders Summit」とでもいうべきものを開くことができれば、なおいっそうすばらしいのではないでしょうか。

6. アジアン・ドリームへ向けて

 アジアに共通の、夢のコミュニティを語れるときがやってきました。ここまで使った比喩から想像を逞しくするに、それは日本や、インドネシアの伝統家屋がそうであったように、さわやかな風をよく通す家々の集落であることでしょう。

 他者に対して寛容で、開かれた集落です。いくつも難問には事欠かないのだとしても、いついかなるときであれ、知恵を持ち寄って解決策を探り出しては進んでいくコミュニティです。手を差し伸べあい、経験を分かち合うネットワークです。

 経験の深さ浅さには、国によって違いが残るかもしれません。けれどもネットワークがネットワークであるからには、そこにはいかなる意味においても、上下や優劣の差はあり得ません。

 誰かが言ったように、みんなが同じ夢を見始めると、それは現実になるのです。これまで30年のアジアの歴史が、そのことを雄弁に証拠立てているではありませんか。

 少し柄にもなく、美辞を弄しすぎたかもしれません。明日からわたしたちにできることは、今日までやってきたことと、少しの違いもありはしません。

 すなわち懸命に働くこと。知識や経験を分かち合うこと。成功と失敗の体験を共有するため、機会をとらえて対話を重ねていくこと。その中から、政治でも経済でも、ベストプラクティスを互いに学びあっていくこと......。これらがアジアを今日のアジアにしたのであってみれば、明日からわたしたちにできることも、これらと変わるところはありません。

 しかし同じ労働を、同じ努力を、今なら30年後を夢見て行うことができようというものです。やがて建つ、風通しのよい家々が作るだろう平和な集落の様子を遥かに望み見ながら進めるのだとしたら、それは、暗闇の中の手探りとは雲泥の差をもたらす歩みとなるでしょう。

 再び言いますが、アジア人はいま、力強いセルフ・アイデンティティを我が物とすることができました。それは、「夢見る者」です。皆さん、いま少しの間立ち止まって来し方を振り返り、われわれの達成を一緒に祝いましょう。そこに自信の源泉を見出して、30年後の未来を展望し、一歩ずつ歩みを進めていきましょう。

 ご清聴ありがとうございました。

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