外務省員の声

外務省員の声
鉄道の旅を通して見たインドネシア
第2話 長距離列車に乗ってジャワ島を旅すると

平成27年6月10日

  • サトウキビの収穫時期,ジャワ島の精糖工場で今も走る
    オランダ統治時代からの古い蒸気機関車

在スラバヤ総領事館 首席領事 古賀俊行

 私たち在外公館職員は,普段はそれぞれの事務所で,あるいは様々な状況で,任国政府機関との協議やイベントの準備など多種多様な業務に就いていますが,週末や休暇を利用して任国内のあちこちを旅行して回る人も多くいます。海外に駐在する際は,首都や公館が所在する大都市だけではなく,その国の各地方を訪れ,いろいろな風物を目にし,異なった文化に触れ,様々な人たちと交流することによって,少しでもその国やそこに住む人々を深く理解することが,私たち在外公館で仕事をする者の務めでもあると思っています。

 私は元来の汽車好きで,このインドネシアに赴任してから間もなく5年になりますが(首都にある在インドネシア大使館で2年間,ジャワ島にある在スラバヤ総領事館で約3年間勤務しています),その間,時間を見つけては,鉄道が走るジャワ島とスマトラ島の各地を回ってきました。

  • 南国の青い空の下,ジャワ島の地方路線を走る長距離列車

 インドネシアに最初の鉄道が開通したのは,日本で新橋=横浜間に最初の鉄道が開通した年より5年も早く,オランダ領東インド(蘭印)と呼ばれていた1867年でした。中部ジャワ州北部のスマランを起点に開通したこの鉄道は,その後中部ジャワ州南部のソロ,ジョグジャカルタへ延伸され,さらに19世紀末には西部のバタヴィア(現在のジャカルタ)と東部のスラバヤとが結ばれます。その後もジャワ島とスマトラ島の鉄道は次々と延伸され,太平洋戦争直前には総延長7千kmに達していました。
 また,先の大戦中,インドネシアに進駐した日本は軍政を敷き,鉄道も軍政下の陸輸局によって直轄運営された時代がありました。

 戦後インドネシアは,数年間の独立闘争を経て宗主国オランダから独立。鉄道も国営から公社を経て,1990年代には独立採算を目指して民営化され,現在の形態となりました。その間,モータリゼーションの進展に伴う不採算ローカル線の休廃止が相次ぎ,一方では幹線や都市圏鉄道を中心に,日本をはじめとする各国からの援助を受けながら近代化を進めてきました。

 現在では全国(ジャワ島とスマトラ島だけですが)に約4千kmの鉄道路線があり,日々多くの列車がインドネシアの人々の生活を乗せて走り回っています。

  • 日本では“ジャワ更紗”として有名な世界遺産にも登録された
    蝋纈染め“バティック”のデザインを施した車両

 インドネシア鉄道の列車はゆったりとしたリクライニングシートのエクセクティフ(Eksekutif)クラス(一等)からビスニス(Bisnis)クラス(二等),そして庶民の足,エコノミ(Ekonomi)クラス(三等)に分かれています。以前はスリや置き引きが多いといわれるエコノミ車への外国人の乗車はお薦めできませんでしたが,現在では全ての長距離列車が指定席制となり,警備員も同乗,エアコンも設置され,快適な汽車旅を楽しめるようになってきました。

 それでは,ジャカルタのターミナル,ガンビル駅を出発して中部ジャワ方面へと向かう列車に乗ってみることにしましょう。

 高層ビルの建ち並ぶジャカルタの市街地を出発し,列車が日系企業の工場やショッピングセンターも多く立ち並ぶ都市近郊エリアを抜けて田園地帯にさしかかると,車窓には広々とした畑が広がってきました。ここ高温多雨のインドネシアでは主食とする米は三期作が可能で,たわわに実った黄色い稲穂と,水の張られた青々とした田んぼが同居しているのが見た目に面白いところです。また南国らしく椰子の木が茂る集落にはどこもモスクの屋根が見えるのが,世界最大のイスラム教徒を抱える国らしいですね。
 ジャワ島を横断する山越えの路線では車窓は一変,熱帯の木々が生い茂る森を抜け、オランダ時代に作られた高い橋をいくつも渡って走ります。

  • 食堂車から自分の席まで出前してもらったナシゴレンとコーヒーでお昼ご飯

 お腹が空いてきたら,食堂車から運ばれる食事を注文してみましょう。ナシゴレン(焼き飯),ミーゴレン(焼きそば),サテ(串焼き肉)など私たちにも馴染みのある食べ物が多く,他のエスニック料理のように極端に辛かったりせず,個人的に苦手な香草を使った料理も殆どありません。飲み物は,こちらの人の好みに合わせて砂糖がたっぷり入っていますが,慣れてくると甘いお茶を飲みながら食事をするのも悪くないなと思えてきます。一つだけ残念なのは,さすがはイスラムの国,車窓を眺めながら冷えたビールを傾けることが出来ないことでしょうか(これは目的地について夕食の時の楽しみにしておきましょう)。

 世界有数の親日国でもあるインドネシア,鉄道の現場で働く職員の方々も概して我々日本人にはフレンドリーです。私は旅行中,時折車庫や整備工場などの施設を見学させてもらうことがあるのですが,皆さん好意的に出迎えてくれ,一緒にお茶や食事をしながら汽車談義に花を咲かせることもしばしばです。

  • インドネシア人は概して大家族。狭いエコノミ車内もみんなで使えばくつろぎのリビングに

 また,このインドネシアでは,途上国では珍しく鉄道を趣味としている若者が多く,月刊鉄道雑誌も発刊され,SNSでは活発な情報交換や“オフ会”などが行われています。

 中部ジャワ州のアンバラワという街には,廃線となった駅に古い蒸気機関車を集めた鉄道博物館があり,この付近の線路を活用して,動態保存した蒸気機関車を運転しています。他にも,鉄道会社は「歴史鉄道」部門の別会社を設け,蘭印時代の古い駅舎の再建や,古い車両・施設の修復を行ったりと,鉄道を文化財と見なして大事に取り扱おうとしています。日本や欧米先進国ではこういった活動はよく見られますが,いわゆる途上国でこのような文化が根付いているのはとても素晴らしいことだと思います。

  • 中部ジャワ州アンバラワにて,動態保存運転される蒸気機関車を取り囲む,地元の鉄道ファン達

 更に“古い鉄道”を語る上で忘れてはならないのが製糖工場の蒸気機関車です。
 ジャワ島の中部から東部にかけては,蘭印時代に商業作物として開発されたサトウキビのプランテーションと,100年以上の歴史を誇る製糖工場が点在していますが,収穫したサトウキビをこれら古い工場へ運び込むために,やはり100歳前後となる古い小型蒸気機関車が未だに活躍している場所が残っています。
 これら蒸気機関車は,サトウキビの絞りかすを燃料としており,燃料代がかからないことが現代まで生き残っている理由の一つだと思いますが,残念ながらそれも年々少なくなってきました。世界でも珍しくなったこの“現役の”蒸気機関車を目当てに,収穫のシーズンになると世界中から多くの愛好家達が撮影に訪れています。

 次回では,このインドネシア鉄道と日本との関わりについて,更に触れてみたいと思います。

  • (写真)

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