(1) スリ・ランカは、1948年の英国からの独立以来、政権の交替が全て選挙を通じて行われている民主主義国家である。94年11月の大統領選で大統領に選出されたクマーラトゥンガ大統領は99年12月に再選を果たしている。
民族構成は、シンハラ人74%、タミル人18%、その他8%であり、多数民族シンハラ人と少数民族タミル人の民族対立が内政上最大の問題となっている。シンハラ・タミル民族問題の解決のため、クマーラトゥンガ大統領は、95年1月にタミル過激派(LTTE)との間で敵対行為の無期限停止に合意したが、同年4月にLTTEがその合意を破棄し、戦闘が再開された。これ以降政府軍は軍事攻勢をかけ、96年5月にはジャフナ半島全域を掌握し、次第に支配地域を拡げていった。その後、2000年3月末よりLTTEはジャフナ半島の主要政府軍基地を次々に攻略したが、2000年9月以降は再び政府軍が攻勢をかけている。
クマーラトゥンガ大統領は、軍事作戦を実施する一方で、民族問題の政治的解決を目指し、地方への権限委譲を内容とする憲法改正案を国会に上程したが、同案の可決の見通しがたたないことから審議が中止された。
このような状況の中、コロンボ市内等でLTTEによるとみられるテロ行為が頻発した。
(2) 外交面では、非同盟中立路線を基本としつつ、全ての国との友好関係維持に努めている。スリ・ランカ外交の基軸は南西アジア諸国に置かれており、インドをはじめ他の近隣諸国との関係も緊密かつ良好である。
また、我が国を始めとする先進国よりの経済援助は、スリ・ランカの経済社会開発に不可欠であり、一貫してこれら諸国との関係強化に努めている。更に、近年のASEAN諸国の経済成長に伴い、スリ・ランカはASEAN諸国との経済関係強化を強く望み、投資を誘致するためのセミナーを開催する等精力的な外交活動を展開している。
(3) 経済面では、伝統的に米と三大プランテーション作物(紅茶、ゴム、ココナッツ)を中心として農業に依存していたが、近年工業化による経済多角化に努力している。スリ・ランカ経済は、内戦の激化により大きく影響を受けたものの、90~98年には平均5%台の成長を維持している。この背景には外国資本の流入増加とこれに刺激された内需の拡大、衣料品を主とする工業製品輸出の拡大等がある。他方、世銀・IMFより指摘されている財政支出の合理化は、軍事・福祉予算の削減が難しいためその達成は容易ではなく、また経常収支赤字も経済活動の活発化に伴う輸入材の増加により改善は難しい状況にある。
99年の経済は、実質GDP成長率4.3%増と、ここ数年の平均(5%)を下ったが、対外経済環境を考慮すれば比較的良好であった。インフレ率は、国内農産物生産の安定、通貨政策の安定、国際商品価格の低下や国内流通システムの情報化の進展などを要因として、低水準で推移している。失業率は観光、製造業等民間部門での雇用増により昨年に引き続き低下した。対外部門は、輸出は東アジア諸国との競争激化や主要輸出品の国際価格低下の影響を受け、前年比4%減となった(輸出数量指数6%増、輸出価格指数10%減)。輸入はスリランカ航空の航空機購入等もあり、同0.2%増となった。貿易赤字、経常赤字とも拡大した。財政赤字はGDP比7.5%(98年9.2%)と縮小した。これは、国防費の削減等の歳出減と税収増による。
(4) 我が国との関係では、スリ・ランカは伝統的な親日国であり、特に大きな政治的懸案もなく良好な関係が続いている。96年5月には、クマーラトゥンガ大統領が元首としては17年ぶりに公式訪日し、伝統的友好関係を再確認した。その際、二国間の政治・経済全般にわたる諸問題を協議し合うための「日・スリ・ランカ政策協議」の設置につき合意し、同年7月、コロンボにおいて第1回協議が開催された。
我が国の同国に対する直接投資は、51年度から98年度までの累計で158件、約756億円(大蔵省統計)で、業種別ではサービス業の比重が高いが、衣料、セラミックから電子部品、住宅建設まで多岐にわたっている。97年5~6月に、両国経済関係促進の方途を検討するための経済使節団が政府により派遣された。