平成19年度 あなたの目で見る国造りの現場 ODA民間モニター報告書 Official Development Assistance
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カメルーン共和国 Republic of Cameroon
各モニターの全体報告
津田 美樹(団長) 津田 美樹(団長)
東京都 学生
 ODAに批判的だった私がその必要性を痛感したのは昨年カメルーンの隣国中央アフリカで通訳として派遣された際である。エイズ対策や鉄道敷設に様々なNGOが存在しても、NGO自体行動する領域に限界があり、かつ内戦等で各国のODA支援が不足の最貧国は人々の生活基盤が完全に欠如し、「無力感」に満ちた状態であった。近年国際的活動を展開するNGOや個人に相対し、各地でODA批判色が増す傾向にあるように私は思う。悪口は誰だって言えるがここで大事なことは如何に現実を適確に把握し、建設的提言を生み出すかである。このモニターに参加し、国民が一年に一人、一ヶ国につき数十円のODAを負担する事実を知り、もはや世界に無関心ではいられないと強く実感した。また視察先で懸命に貢献する青年海外協力隊の真摯なる姿は、「日本政府」ではなく「日本の皆様からの贈り物」と各視察先で明記された建築物そのものだった。現場でODAは絶対不可欠である。
 貴重な血税を使い現場を視察した我々が果たすべきは提言である。私としては視察先で殆ど男性が説明の主導権を握り、女性や子供はひっそりと家屋に身を潜める姿に幾度となく会ったこと、視察先の小学校で十代前半の妊娠出産が女子の就学離れを加速している事実を知り、その度ジェンダー格差是正をぜひ日本の援助の一環で活動してもらいたいと願う。援助を国威発揚と読み違え諸外国のようにODA予算を増やしたり、やたら目立つ派手な援助は、本当に我々が希求する国際社会での日本のあるべき姿であるのかを私は帰国後活動で問いかけたい。
 「艱難は人を玉にし、また国を玉とす」という言葉が持つもの、それは財政圧迫状態の日本が如何に諸外国に援助するか、貴重な援助額を貧困削減のためカメルーンが如何に使うかという難題に対し、両国民一人一人が既存知識を「ODAに対し自分は何ができるのか」と意識化し、行動する必要さを一人一人に説いている。
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佐藤 元彦(副団長) 佐藤 元彦(副団長)
愛知県 教員(大学)
 1990年時点と2004年時点とを比較したカメルーン紹介の資料(事務局配付)によれば、この間にGNI総額は伸びた反面、人口増加にこの伸びが相殺され国民一人当たりのGNIはむしろ減少している。しかも、所得が1日1ドル未満の人口比率は17.1%にも及ぶ。こうした数値の記憶を持って初めてカメルーンを訪問する機会を得たが、大使館関係者からのお話や現地の特に農村での人々の暮らしの視察を通じて、貨幣価値には換算されない「生活(特に食糧)の豊かさ」があるのではないかということを感じた5日間であった。この印象が適切だとすると、南太平洋地域をかつて度々訪問した際と同様の見方、つまり「豊かさ」で充たされているが故にそれ以上のものを求める動機づけが必ずしも強くないという状況にカメルーンが置かれてきたと言えよう。そして、そうだとすれば、食以外の生活の基礎的機能を整備するという動きは、なかなか内発的には出てこないと考えられる。
 このように考えると、給水や初等教育を重視した対カメルーンODAは、着眼点という点で大いに評価できる。初等教育大臣を初めとする現地政府の関係者への表敬訪問では、一層のODAへの期待が多々述べられたが、そうした発言を聞いて、私は、初等教育の徹底や安全な水の確保がいかに重要であるのかという考えが、現地に着実に根付いているのだと感じた。学校や井戸というハードを援助する場合でも、物事の考え方といったソフトの移転を伴っているということであり、この点はODA白書を通読するだけでは分からない「現場」に関わる重要なポイントである。
 結局、ハードであれソフトであれ、ODA事業の中では「人の交流」が極めて重要であるということであり、それは、個別案件の評価(特に案件3、4)でもふれた通りである。自力更生という考え方は、かつては閉鎖的な思考と結びつくことが多かったが、むしろ、外の人との交流という開放性を通じて徐々に育成されていくのだということを実感したカメルーン訪問であった。
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松村 洋平 松村 洋平
東京都 会社員
 ODAの賛否も大事だが、ODAが減少する事はあっても皆無とならない限り、日本は国益のために、より戦略的であるべきだと感じた。国益とはエネルギー資源や食糧調達、国際社会での地位、国防・環境問題が考えられる。非資源国の日本にとって輸入資源は不可欠だ。一方、調達力の勢いを増している中国は、徐に途上国への援助を活発化し資源外交の手段としている。しかし現地での印象は良くない。資金投下して中国企業で工事を請負い、受入国に技術が残る事を意図していない。現場には中国の囚人が派遣されるケースもあり、現地では衝突が絶えないという話をカメルーン人から聞いた。日本は受入国の成長や、技術を現地に残し自助努力で維持するソフト面の貢献も意図している。勤勉で厳格な日本の国民性や文化が強みだ。途上国の追い上げが激しい今こそ、資金や技術の貢献と共に、高い国民性を誇る日本のソフト面の援助をアピールする転換点にきているとも思う。他にも、常任理事国入りを目指す国として票集めをどう考えるのか。「貧困を無くしテロを無くす」、米英は9・11以降援助を増やしている。言わば国防的な視点はどうか。環境問題も同様だ。途上国は自らの首を絞めるCО2対策には消極的だが、大気汚染対策・原子力発電の技術・廃熱回収の援助をすれば、資源・国際社会・環境問題の一石三鳥となる。
 同行した江口監督のドキュメンタリー作品「いのち輝くとき-歴史に生きる日本人医師-」で、ミャンマーで医療活動をする吉岡医師が述べた事が暗黙知を形式知化させた。「僕は自分のために生きている。自分の幸せと他人の幸せが一致している。だから一切矛盾は起こらないし分離はしない。自分の人生を幸せに生きていて、振り返ると他人も幸せになっている。そこに道がある。(趣旨)」確実に言えるのは、今回訪問した全ての施設で人々は幸せを感じているという事である。受入国の幸せと一致している限り、国益を前面に出しても衝突は生じないであろう。
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林 隆之 林 隆之
東京都 学生
 私は、視察を通じて、ODAを考えるに当たっては2つの視点があることに気付いた。1つはODAがそこにあることを前提として、各事業がどのように行われているかを知り、それが適切かどうかを考えること。もう1つは、ODAそのものの是非を考えること。
 前者に関して、今回の視察ではハードの支援とソフトの支援の連携の大切さを知り、現場でそれが十分に行われていることに大変感心した。現地の人々は目に見える短期的な結果を期待するが、ODAの目的が自立にあることを考えると供与する側がハードを提供しただけではその後の管理や修繕ができず自立は望めない。そこで、視察した案件に関わる方々は、現地の人々が長期的な視野を持ち自立するための活動を意識的に行っていた。さらに、その視野を強要するのではなく、長期的な視野を持って貰うことに長期的に取り組む姿勢を見たとき、日本のODAの素晴らしさを感じた。
 一方で、ODAの枠組みを疑って見るとジレンマに陥る。たしかに、現地の人々は先進国に対しての憧れを抱いており、そのようになりたいと願っている。しかし、途上国と先進国でどちらが「幸せ」なのかは誰にも分からない。経済的な豊かさは精神的な豊かさに直結すると言い切れるのだろうか?
 グローバル化の進む国際社会でODAの枠組みそのものを否定するのはナンセンスかもしれない。しかし、ODAという「善意」を何も考えず安直に支持するのではなく、その功罪を認識した上でODAの中身を具体的に考えるのが先進国に住む我々のすべきことなのではないかと今回の視察で感じた。安直な支持は「幸福」の価値観の押し付けではないだろうか?
 視察前、私はODAを国際社会の中での典型的な「win-winゲーム」と捉えていた。しかし、結果として価値観の一元化が進むのであれば、構図はそこまで簡単ではないと思い直すこととなった。
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江口 友起 江口 友起
東京都 映像作家
 今回、ODA民間モニターに参加するまで、私は日本のODA事業に、かなり批判的な意見を持っていた。政治腐敗が激しい途上国政府からの「要請援助」というスタイルで、援助を本当に必要としている人々に援助ができるのか。また、ODA事業は規模が大きく、ハードの建設が目立つが、それは現地のニーズを反映し、その効用は確かなものなのか。様々な疑問を抱きながら、今回参加した。
 しかし、今回モニターに参加して、ODAに対する私の評価は変わり、その存在意義を認めることとなった。今回訪れた小学校建設計画、地方給水計画、零細漁業センターの建設などハード供給の現場においては、日本の高い技術力は他国に比べても評価され、生活改善を喜ぶ人の姿を確認することが出来た。ハードの供給は、資金調達のしやすいODAだからこそ出来る援助の形だと感じた。また、技術協力などソフトの供給は、想像以上の効果を発揮していた。一人協力隊員が居るだけで、現場は活気に溢れていた。そして、このハードとソフト、両者の供給によって、その効果は倍増するということを実感した。
 今回、現場を見て強く感じたことがある。ODAにはODAの、NGOにはNGOの、企業には企業の、大学には大学の、個人には個人の、それぞれ特性があり、それぞれの役割がある、ということだ。重要なのは、それぞれがもっと積極的に連携をとっていくことだ。そして、ODAは各機関を率先してまとめていく役割を担っていかなければならないだろう。
 今回われわれはカメルーンへのODA事業の表層部分を垣間見たにすぎない。私たちが、訪れることが出来なかった地域には、もっと援助を必要としている人が居たかもしれない。まだまだ改善の余地はあるだろう。しかし、今ODAがやっていることは評価できる。現地の人の笑顔がそれを物語っていた。
 「ODAも案外捨てたもんじゃない。」今、そんな気がしている。
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近藤 佳里 近藤 佳里
兵庫県 主婦
 ODAの民間モニター当選の通知が届いた頃、私は「ダーウィンの悪夢」という映画を見て、やりきれない思いを抱えていた。さまざまな利害や、文化的社会的背景が複雑に絡まっている現代において持続可能な開発が可能なのだろうか。私はODAの現場を自分の目でみて、心を整理するヒントが欲しいと切実に感じながら、アフリカの地に着いた。カメルーンでの視察は、すべての案件にセレモニーがあり、役職にある人の型どおりの挨拶と事業の説明、感謝の言葉を聞かされた。彼らの話には生活が感じられず、日本で批判的に報道されるODAの姿を感じてしまった。しかしその後、日本によって建設された小学校とそこに集まった子供たちの表情、給水施設から流れ出る清潔な水、規律のある漁業センターで働く活気ある人々の様子、また現地の人たちの中に溶けこみ、ともに生きていこうとする協力隊員の仕事ぶりを目のあたりにした時に、日本の援助は日常の生活向上を促し、将来貧困や人道問題の解決につながっていく可能性を持つと信じたくなった。現在のカメルーンへの援助はハード面がほとんどだったことから、その国の文化や慣習、社会的な問題を直接的な重要な問題として捉えることは出来にくかったが、近い将来の支援として子供および大人の教育というソフト面での支援こそが、自立した国づくりの基礎となると考えられる。そのためには彼らの伝統、宗教的な慣習や規範を知り、もっと理解する努力によって、対等なパートナーシップを築くことが大切であろう。帰国して3週間が過ぎた今、私のODAに対する気持ちは少し変化している。日本とまったく違う文化や社会構造を持つ人々への支援と共存は、枠を持ってみることはできないし、早急な結果を求めることには意味がないと感じている。これからは、批判的な視点を失わずに「途上国の主体性」を尊重し、「途上国と対等なパートナーシップ」に基づいて援助が行われているかどうかを見ていきたい。
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大川 希恵 大川 希恵
岩手県 学生
 カメルーン視察を通して、私がODAの理想形として見出したのは以下のような形です。
 第一に、生産財の整備など、大人の労働意欲を効果的に刺激する分野の支援を行う。第二に、子どもの教育環境を整備し、将来の人材育成を目指した支援を行う。 
 これら二つの支援を並行して行うことにより、短期・長期両側面から自立を促すことが可能となるように思います。
 このような考えは、三つの小学校を視察して受けた「受け身」の印象と、特に水産無償案件を視察して受けた「能動的」な印象とを総合したときに浮かびました。
 基礎教育支援が中心である現在、教育無償案件の裨益対象は短期的にどうしても「子ども」に限られます。子ども達は社会における弱者であり、与えられたものを受け取る「受動的」な存在にならざるを得ません。その点で、教育無償が周囲の「大人」にまで影響を与えることは容易でないと考えられます。
 それに対し、水産無償案件に見られたような生産基盤の整備・拡充は、「大人」の利益感覚に鋭く作用します。その点で、これらの支援は「大人」が「働く」もしくは「稼ぐ」ことに利益を見出し、工夫を凝らす直接的な起爆剤になり得ます。
 長期の視点に立ったとき、その国を作っていくのは子ども達であり、教育面での支援を行うことは欠かせません。ただ、この領域は非常に効果が見え難い分野であることを常に認識する必要があるのだと思います。
 短期的な視点に立ったとき、世の中を直接的に動かすのはやはり大人達であり、彼等の生産意欲や向上心が秘めるエネルギーの大きさは計り知れません。
 カメルーンにおいて、人々の日本に対する印象は良好でした。それは日本のODAが一定の役割を果たしていることを意味します。この役割を最大限に生かす援助のあり方を探し続けることが求められるのだと思います。
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祖母仁田 政明 祖母仁田 政明
鹿児島県 教員(小学校)
 「水は宇宙の根源であり、万物は水からつくられ究極には再び水に戻る」と古代ギリシャの哲学者ターレスは言い残している。今回のODA視察案件で給水施設現場を視察しながらふとこの名言を思い出した。人間がそこに住んで生きていく上で、安心して飲める水の確保は、まさに生命線であり最も緊急性の高い案件である。しかしながら日本は財政上の理由でODA予算の削減も聖域ではなく今後も毎年大変に厳しい数字が予測される。このことをどう解釈し、どう理解していけばいいのか、帰国後の私の脳裏を離れない。そもそも食糧自給率も低く資源のない日本が、国民の生命財産を維持していくにはどうしても資源保有国との平和友好関係が必要不可欠である。ましてや驚異的な経済発展を遂げてきたものづくり日本に対する国際社会からの援助要請は、増えることはあっても減ることは考えられない。この国際的な相互依存関係をどう解釈し、どう国民が納得し折り合いをつけていけばいいのか大変に難しい岐路に立たされている。その観点からODA民間モニターとして視察した今回の案件は、その解答を導くため多くの重要な示唆を与えてくれた。差し引いて考えても今日の我が国の国際援助協力の理想的な一つの姿と映った。確かに債権国に対する債務国からの援助要請は、必要かつ緊急性の高いものばかりで安易に無視することはできない。現地では外務省との緊密な連絡調整のもと、日本大使館職員を始めJICAや青年海外協力隊員が詳細な支援計画に基づき、懸命に援助の手を拡充している現実をじっくり視察することができた。正直に言って目に見える日本の援助の姿として実に頼もしく思えた。人と物をセットにした援助の手法が特に効果をあげており、自助努力を促しつつ、最終的に自立した国になっていくため、我が国のODAの果たす役割は非常に重要である。逆にこの国の人々にODAがどう映っているのか一層興味が出てきた。カメルーンでは「小学校建設といえば日本」と言われる。まさに日本の高度な技術力と精密な設計施工そして何よりも現地に雇用機会をもたらす日本のODAは、この国に確かな信頼の痕跡を残している。
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橋本 宰 橋本 宰
愛知県 教員(中学校)
 今回視察した案件は、私が想像していたよりもずっとうまくいっているように感じた。
 教員という立場から、日本の業者の小学校建設の効果や、協力隊員の教師の役割に特に注目していたのだが、これらの取り組みが現地の方々に強く支持されていることを感じた。また、スタジアム改修に携わる業者の方、給水施設への指導を行う日本人技術者、漁業センターで汗を流す隊員の姿を見て、同じ日本人として誇りを感じることができた。反面、これまで私はどんな国際貢献をしたのだろうかと省みた。何もしてこなかった私ではあるが、今後の生き方を自問自答していきたいと思う。
 私は恥ずかしながらアフリカに対してステレオタイプなイメージを持っていた。サブサハラの貧困や砂漠化といったイメージとはかけ離れたカメルーンの多様性に驚かされ、見るもの全てが新鮮であった。これは社会科教員として大きな収穫である。また、私はこれまでODAに関しては批判される一面を捉えて論じる傾向が強かったように思う。今後はより多面的な側面から論じ、批判ばかりでなく、建設的な考えに基づいて授業を展開し、生徒たちに確かな情報に基づいた公正な判断が行えるように授業を創造したい。また、それらの授業を通して、国際社会の只中に生きていく生徒に今後の生き方を問うことができるようにしたい。
 中学ではサッカー部の顧問をしていることもあり、スタジアムの改修現場を視察できたのは楽しかった。ここでは、スポーツ省の役人の方から、日本の援助に感謝の意をこめ、カメルーン代表を日本へ送り出したとの説明があった。帰国して早速ビデオに録画した試合を観戦したのだが、そのような経緯が一切放送されなかったのが残念でならない。しかし、サッカーをきっかけにカメルーンとの関係が深まっている。今回の視察が少しでも両国の距離を縮める一助となるように、今後の広報活動に取り組んでいかねばと思う。
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石川 鈴枝 石川 鈴枝
島根県 教員(小学校)
 教員として、一人の納税者として、ODAがカメルーンの子どもたちの教育施設の環境改善にどのように役立っているのかをしっかりこの目で見ておきたい。これが私自身に課せた宿題の一つであった。
 初等教育は国造りの基礎である。その基礎分野に、同国にはODAにより9年間にわたり、小学校が建設されてきている。4校を視察した時は、どの学校でも歓待を受け、感謝の言葉を浴びた。視察中、表敬した初等教育大臣からも、日本の援助がカメルーンの国策とも合致していること、日本が建設する小学校の品質が高いことに感謝の意が述べられた。
 基本的な教育施設環境が著しく改善され、子どもたちの就学率も上がり、また整った環境で学習することにより、子どもたちも指導者も意欲が高まっている。今、何よりも必要とされているところに的確適切な援助が行われ、着実な成果を挙げていることに、素直な喜びを感じた。
 しかし、百パーセントに近い初等教育就学率に比べ、半数以下になる中等教育就学率。この数字は何を示しているのだろうか。様々な要因が考えられるが、その一つに学習するのに必要なものが買えずに学校から遠ざかっていく子どもの姿がある。この一点を見ると貧しい人たちに本当に手がとどく援助とはどういうものか考えさせられた。また、すべてが競争社会、個人主義の中にあって、学習についていけない児童には手をかけない指導者の姿勢がみられる。教育心理、児童理解を必修とする教員養成システムへの提言・支援が必要ではないか。さらには、同国の学校には職員室がない。教員が子どもの情報を共有し切磋琢磨する場所として職員室は不可欠である。ジャパンスタンダードを積極的に出していくことは、ODAの基本方針「わが国の経験と知見の活用」に沿っていると思う。
 教育に携わるものとして、敗戦ですべてを失った廃墟の中から他国の援助を受け、このような経済大国に成長した日本の歴史を我が国の子どもたちにしっかりと教えながら、私の見てきたODAの現場を子どもたちに伝えていきたい。
 時に、藤原正彦氏の著書、「祖国とは国語」を思い出す。カメルーンの公用語はフランス語と英語であり、加えて、それぞれの部族の言葉がある。「祖国」という言葉を聞いて、カメルーンの人々の脳裏に最初に浮かぶものは何であろうか。今もって、私の胸に小さな棘のようにささっている。
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