中華人民共和国 People's Republic of China

モニターからの意見・感想:

7. 中日友好病院(無償資金協力+技術協力)

視察プロジェクト概要
実施年度
供与限度額
(1) 無償資金協力
病院建設(1981年度~1983年度)160億円
病院機材整備(1986年度)5.74億円
(2) プロジェクト方式技術協力等(1981年度~92年度、1994年度~95年度)
専門家派遣:累計 長期41名、短期133名
研修員受入:累計223名
機材供与:4.5億円
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実施目的
必要性
 1979年の大平総理訪中の際に協力を表明したことを端緒に、中国の医療体制の近代化を図ることを目的として日中間の協力が開始された。その後永年にわたって協力が継続されていた日中友好のシンボル的存在である。
事業概要
 1984年に無償資金協力により総合病院(ベッド数1300床)として設立。1981年から10年以上にわたり、JICAのプロジェクト方式技術協力等が実施された。 イメージ
効果
 同病院の診療・教育水準、病院管理技術等が著しく向上し、日本の専門家派遣協力が終了した現在も、独自に、日本を始め国内外の病院や研究機関との交流を続け、技術の向上、研究に努めている。その結果、1999年には中国の優秀100院に選定されるなど中国の一流病院として大きな発展を遂げている。
 近年は、同病院が日本の技術協力を通じて蓄積した技術・知見の西部貧困地区の医療従事者に普及するため、貧困辺境地域の医師、看護婦を対象とした現地国内研修を実施するなど、内陸部全体の医療水準向上に貢献している。
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モニターからの意見・感想
近藤 義男
 日中友好の象徴として日本の協力で建設された国立の総合病院である。特徴として、西洋医学と漢方の知識を併用した中西結合の病院として、中国医学の向上に貢献していることである。一日、3千から4千人の外来患者を受け入れ、紹介状なしでもよく、国内外の大学と提携し、ネットでの遠隔診療もできるようになっている。SARSの時には、対応病院として指定され多くの患者に処置をした実績がある。現在では現地国内研修「内陸部貧困地域医療従事者育成計画」に協力し、中国各地の医師や看護師を招集し、技術の向上に努めている。これまで、そして今年11月にも実施される病院管理者等への研修は好評を博しているそうである。病院の名前の通り、素晴らしい成果をあげていると思う。
渡辺 明春
 「医院」とは日本ではクリニックだが、中国では病院を指す。今回パンフレットに「中日友好医院」と書いてあるのを見てクリニックを想像していた向きには圧倒されたことであろう。日中友好の成功例といわれるとおり日本との交流の歴史、成果は数限りがない。私が留学していた頃の面影もほとんどなく、19年という歳月を感じた。しかし当事お世話になった老中医(伝統医学に長じる医師)が現在もご活躍と聞いて嬉しく思った。透析ベッド50床、SARSでの対策病院としての貢献、遠隔医療・教育システム実施、内陸部貧困地域医療従事者育成など、ハード・ソフトとも棋界の先達となっている。惜しむらくは、無保険者の中には、費用の面でここを利用できない者がいることである。
我妻 雄子
 中国の大病院での、「日本の医師は信頼されている。」という言葉と「経営が大変です。」という言葉が印象に残りました。
この大病院は設備もいいし、西洋・東洋医学の両方がある。大阪医科大等とつながっている。5つの大学と協同し、広い中国こその遠隔医療も可能。設計の段階で日本の設計者がこういうことを想定していたのでSARSにも対応できた。国際会議も開かれる等、病院としてりっぱでした。しかし、医療費が高くつくため所得の低い人の治療は無理でしょう。これまでも貢献はしてきたはずだが、さらに中国全土の医療技術の基準を上げ、どこでもだれでも安く治療が受けられるようにリーダーシップをとり続けてほしい。貧しい人たちに、生きる権利と生きる希望を与えてほしい。
 「中日友好病院」という名前がいいですね。この病院は日本のためにも、共に育てていかなければいけないと思います。
土井 謙次
 中日友好病院は、名前のとおり日中友好のシンボル的な存在であると同時に対中ODAのシンボルでもある。そのマークでは富士山と万里の長城が手をつなぎ、前庭には鑑真和尚像が坐している。SARS対策に中心的な役割を果たし、感染をくい止めた意義は大きい。病院というハード面だけではなく、日本からの専門家派遣、日本への研修員の受け入れを通じて医学レベルを大きく向上させた。その後も日本から学んだ技術を他の医療従事者に普及するため、医師や看護婦を対象とした現地国内研修を行っており、さらに経営も成り立ち自立できている。永続性・自立性・公益性など、ODAの趣旨に合った模範的な案件といえよう。
内記 和彦
 日中友好の証として、中国内でも最も医療体制の整った病院として、中日友好病院が整備されたとのことでした。西洋医学と東洋医学を兼ね備え、患者の幅広いニーズに応えようとする体制は、村立で病院を設置しなんとか地域の医療体制を保っている私の村からすると羨ましい限りでした。
 しかしながら、当該友好病院は世界的な課題となった「SARS」の対応拠点病院となったり、日中の経済発展を支え活躍している現地の日本人の医療機関としての役割も大きいとのことでした。中国との友好関係を住民段階で深めていくためには、医療面からの効果は大いに期待されることであり、その役割を十分発揮しているように感じました。
茂木 幹夫
 中日友好病院は、その名前だけでも存在感(価値)が大きく、中国での最高の医療レベルの病院として有効に機能していた。壁にはたくさんのプレートが張ってあり、日本の大学、研究機関等との交流等もさかんであることは垣間見えた。しかし、気になったのは、日本人の医療関係者の姿がほとんど見えなかった点である。日本人の医療関係者がこちらにきて先端の西洋医学を学ぶことは難しいのかもしれないが、歴史と伝統があり、奥の深い中医の病院機能をあわせもつことなど学ぶべき点はたくさんあると思う。施設建設の資金協力だけではなく、名前に恥じぬよう永続的な人と人との交流を通じて、病気やけがだけなく中国人の日本に対する心の傷を治す病院で有り続けてほしい。
田所 日出志
 中日友好病院は、無償資金協力による病院建設や機材整備、技術協力による専門家派遣や研修員受入と機材供与など、北京の大規模総合病院で医療機関の中核を成している。
 1984年の設立以来、北京市の医療環境の向上、中国西部貧困辺境地域の医療従事者に対する研修と医療隊の活動などにより、内陸部全体の医療水準向上に貢献している。
 中国国民に注目を浴びたのは、SARS対策にあったと思う。臨時専用病院となり中心的な医療機関として、日本からの国際緊急援助隊と共に、献身的な治療と看護で重症患者を救った。ODAの活動が日常生活に密接に関わっており非常に有効な案件であった。
横山 真弓
 SARS対策の重点病院(入院患者99%が治癒)になったことでも有名な中日友好病院は、「患者至上・救死扶傷(患者中心のよりよい治療・サービス)」をスローガンに、西洋医学・漢方の総合病院として、中国の医療を牽引する役割を果たしてきた。近年行われている貧困地区医療技術研修や遠隔治療で、日本から学んだ技術を役立てる画期的な努力を重ね、評価されているようだ。SARS後、伝染病に対応できるように、廊下を両端に設置して隔離できるような設計に変え、教訓も活かしている。病院の名前のとおり、日本の協力がわかる援助が実を結んだ素晴らしい案件だと思う。不足している看護師を補充し、よりよい医療体制を整えていってほしい。
中森 薫
 開封の病院には申し訳ないが、比較しようなく良い環境である。SARS時の迅速な病室隔離設備、治療費の明朗会計、透析患者の送迎サービスなど。その背景には、都市部での病院過剰によるサービス競争があった。
 都会で学んだ医師は都会で働きたい、まず都会の大きな病院から最新設備が導入される。この現状はどうしようもない。とすれば、田舎で生まれた人は田舎のインフラで対応せざるをえないか都会に出てくる。
 中国の継続発展は先進国から望まれており、中国政府の優先度は自ずと決まってくるだろう。後回しにされた田舎を、既に先進国となった隣の国日本がフォローする意味はあるのではないか、と感じ始めた。
藤井 美穂
 病院に到着するや否や、富士山と万里の長城をモチーフとしたシンボルマークに感銘を受け、そして説明を行ってくれた二人のドクターの流暢な日本語に驚いた。日本での技術研修で習得したという。この病院では、技術協力としての研修生の派遣・受け入れの他に、地方から中日友好病院への研修受け入れもJICAとの連携で行っている。それによって、病院の存在、そして日本の存在が地方にまで認知を促しているという。持続可能な形で病院が機能し、多くの命を救っていることのみならず、親日派のドクターを生み出し、また病院を訪れる患者さんにも自然に認知を促すという意味で、日中友好のためにも大いに貢献している病院であるといえる。このODA案件を高く評価したい。
水野 幸恵
 現在1300ベッドを抱え、1日の外来数が3500から4000人というこの病院は創立当時ではとても大きな病院であったといわれていたが、今でも十分大きいといえる。
 感染病の指定病院ではないが、その設備等をかわれ、数年前のSARSにも対応したらしい。日本政府の力なくしてこの病院はないと言っていいほど日本からの援助は大きかったという。名前に「日」を入れることや、日本人医師がいることで信頼感が得られることもあるという。20周年を迎え病院案内のパンフレットを作ったというが、中国語はもちろんのこと、日本語、英語でも作成され、研修に来た方々に配っているという。それでも最近は器具の改新が必要であったり、看護婦不足など困る点もあるらしい。日本としては引き続き援助をしていく必要があるのではないかと思った。
林 義男
 日中友好のシンボル的存在というにふさわしい案件であった。中西医学共存の特色を活かした現代的な大規模総合病院で、現在は中国における指導的な立場の病院でもあった。
 日本の無償資金協力と技術援助により、近代的な設備を持った病院はもちろん、西洋医学についての専門知識を持った医師230人以上が日本語を話すこともでき、在留邦人にとっても力強い存在である。そして「患者至上(患者中心)」を掲げるとともに、常に開放的雰囲気、発展的・向上的雰囲気を実践しようとしていた。近年は、遠隔医療システムや中西部貧困地域の医療従事者への技術研修の形の援助が行われ、この病院の成果が地域に波及できることも評価できる。
菊池 敦
 無償資金協力により建設され、その後もJICAのプロジェクト方式技術協力により、専門家の派遣や研修員の受入・機材供与がなされてきた。今では1日の外来者数は3500から4000人にも及び、中国の一流病院の1つに数えられている。その名前からも日本の支援を受けてきたことは誰にも明白で、その外来者数の規模を考えると日本のODAの大きな広告塔の役割を果たしているように思える。
 特筆すべき点は、日本の技術協力終了後も独自に内陸部貧困地域での医療従事者に対して、技術研修を施すなど国内の医療水準向上に努めていることである。また、遠隔医療にも力を注ぎ、手術や診察の指導を行うとともに講義をも行っている。
 中国においては、SARSやエイズといった感染症の広がりが懸念されている。この病院では感染症は扱っていないが、今後はそういった分野での医療提携が不可欠であろう。
片原 恵美子
 建物がたくさんある、一流で立派な病院だった。何と言っても、ここは2003年4月、SARS専門病院に指定された病院である。
 無償資金協力により建設され、現在は現地国内研修を実施し、蓄積した技術・知見の普及に努めている。研修生の受け入れは、この病院は日本の協力があって建設された、ということを広く知ってもらうのに効果がある。
 SARSの時はたいへんだったと言っていた。緊急時に第一線に立つ病院が、日本が協力している病院でたいへん嬉しく思う。
 さらにここは中国伝統医学と西洋医学の医療サービスが受けられる。我々日本人は漢方に興味があるので、皆興味津々だった。この病院で診察を受けたいと思った。
岸 芙美子
 まだ中国を誰もが発展途上国と認識していた1984年無償資金協力・技術協力により設立された。現在、中日友好病院は名前から日本の協力が利用者によく伝わり、中西医学の共存の特色を活かし、国内一流の現代的大規模総合病院となっている。利用者の60%が北京からで、40%は地方出身だそうだが、利用者のほとんどが裕福そうな生活をしているようにも見えた。利用料金はそれほど高くはなく、多くの人が利用できる金額に病院が設定しているそうだ。近年は貧困地区の医療従業者の研修にも努め、20年前に日本が行ったように技術・知見が自分たちの手で中国国内の医師に伝えられている。
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