広報・資料 ODAメールマガジン

ODAメールマガジン/2005年5月11日発行 第66号

 ODAメールマガジン第66号は、平成16年度ODA民間モニター・フィリピン班から「隠れがちな草の根無償資金協力」、パナマから「パナマにおける考古学の現場より」と、イエメンから「イエメン学校建設プロジェクト~ソフトコンポーネントでの経験~」をお届けします。

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 なお、このODAメールマガジンでは、ODAの現場で働いている人々や実際にODAを視察した方々の生の声をお伝えしておりますので、本メルマガに掲載されている意見は執筆者個人の意見であり、政府の立場を示すものではありません。


隠れがちな草の根無償資金協力 原稿執筆:平成16年度ODA民間モニター・フィリピン班 藤岡 麻実さん
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 ODAに関しては、学校の授業で習って、名前だけは知っていた。
 まったくといって良いほど何の先入観もなく、ただ、何をやっているのだろうかという好奇心だけをもって、今回の視察に参加した。

 一番わかりやすく、興味がもてたのは草の根無償資金協力の案件であった。
 これは、承認されてから二週間程度で資金が供与される地元密着型の援助である。
 正直言って、国が国を支援するのだから、ODAは大きな道路、橋、など、国全体レベルの事しかやっていないと思っていたので、この草の根の制度には驚いた。

 今困っている事をすぐに解決してくれる事ほど、当事者にとって嬉しい事は無い。
 問題が解決でき、更にそれによってお互いの信頼関係も高まってくるだろう。
 その信頼関係の上に、更に何か新たな芽生えもあるはずだ。
 支援は信頼関係の上に成立する事を痛感した。
 この事をもっと日本国民にアピールしたらいいのにと思う。

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 年月を要する大きな援助と、すぐやる草の根制度は車の両輪だ。
 草の根制度は、ややもすれば大きな援助の影に隠れがちになってしまう。
 教科書などに、道路や橋を作ると書いたほうが一言でわかりやすいせいもある。
 小中学校の教科書に援助や支援の一つの在り方として頻繁に登場させるべきだと思う。

 今回のアエタ族(フィリピンの山岳少数民族)の人々から直接要望を聞けた事は草の根制度の賜物だ。
 実際に、アエタの人の厳しい話を聞くと、援助したくならざるを得ない。
 ほかの案件についても担当者の人たちはこんな気持ちで援助にあたっているのではないかと思えた。
 限られた予算のなかで、どこにどのような形で援助するのかを決定することもとても大変だと思った。

 次に、日本とは違う国での援助の難しさがはっきりと理解できた。
 マンホールやガードレールでさえ、盗まれて売られてしまう事もあるらしい。
 日本では考えにくい事だ。

写真

 また、宗教的な問題も根強く残っているようだ。
 階級制度がはっきりとしていることによって、どうしても、上の人が下の者に施すのは当たり前だという意識もあるという。
 日本と同じ感覚では援助が出来ないということもよくわかった。

 ODAについては、政治的な側面などから見たら、色々意見が分かれるのかもしれないが、とりあえず日本がやっている支援はうまくいっていると思う。
 現地で視察をした結果、どの案件も日本のODAが現地で役に立ち、人々が感謝をしてくれているということもよくわかった。
 そして、最前線で働いていらっしゃる人々の姿を見て、自分にも出来る事があるのではないかと考えている。



パナマにおける考古学の現場より 原稿執筆:在パナマ日本大使館青年海外協力隊員 柳田 利明さん
パナマ・ビエホ遺跡地区のほぼ中心に位置する教会の塔。崩されてなくて良かったなぁと思う。

 1519年、ヨーロッパ人により最初に造られた太平洋側の町、その町の廃墟が現在におけるパナマ市東方にあります。
 幾つもの修道院や病院などの建物跡からなるその地の中心部は、現在パナマ・ビエホ(オールド・パナマ)と呼ばれています。

 当時、リマの港より運び出された財宝や鉱物などの物資は、この地にて陸揚げされカリブ海側の港まで運ばれました。
 そしてスペインへ向けて出航していったのです。
 1671年、海賊による攻撃にてこのパナマ市は壊滅してしまいます。

公園整備の一環としてこのような照明も。しかし治安的問題もあり、夜の来訪者は少ない。 PPV考古学研究室での作業風景。

 約27ヘクタールからなるパナマ・ビエホ遺跡地区は、2003年7月にユネスコの世界遺産に認定されました。
 この遺跡地区に対する調査、研究、歴史的建築物の保存と修復、博物館や遺跡公園などの展開による社会への貢献、これらを主たる活動目的とする団体がパトロナート・パナマ・ビエホ(以下PPVと記す)です。
 青年海外協力隊の一員として、私はここの考古学部門に配属されています。

 発掘調査を担当できる考古学者がパナマには極端に少ないということもあり、私の主な仕事は発掘調査とそれにまつわる図面・遺物等の整理作業、そして調査報告書の作成です。

 因みにパナマには現在約15名程の考古学者がいますが、コロンビア、コスタ・リカ、アルゼンチン、メキシコ、アメリカ合衆国などからやってきた人々が目立ちます。パナマ人考古学者は2,3名でしょうか。

 そして現在パナマの大学では、考古学専攻コースを設けている大学は皆無です。
 約2年に渡る協力隊員としての活動期間中、小規模ではあるが現在進行形の現場を含め4件の発掘調査を私が担当しました。
 植民地時代の街路、埋葬遺構、教会の入口などが主たる調査対象です。
 またそれらの下位に存在するスペイン人入植前の遺跡も調査の対象となります。

コンパネーラ・ヘスース修道院での発掘調査

 いわゆるパナマ・ビエホの町が建設される以前、この地には現在インディへ―ナと総称して呼ばれている先住民が暮らしていました。
 約500年前、インディへ―ナたちの村、遺跡などを壊しながらこの町は建設されました。
 スペイン人達は、彼らや黒人達を奴隷労働力等として扱いこの町を造りました。
 アメリカ大陸がいわゆる世界史の表舞台に現れたその当時、インディへ―ナ、アフリカより連れてこられた黒人、そしてヨーロッパ人、これら3つの世界が一同に会したカリブ海諸国を含むアメリカ地域におけるショックは我々の想像を絶するものであったでしょう。

 もちろん、現在の我々も遺跡を壊しながら道路や家、ビル等を建設しています。
 今年の2月、近所の住宅増改築現場よりPPV事務所に連絡が入りました。
人骨らしきものが出た、という。
 スペイン人入植前の埋葬遺構でした。
 しかもこれまで1件の調査例しかない、被埋葬者の周りに数個の頭骨を配置した埋葬形態であるようです。
 家主との協議の結果、約2週間の調査期間が我々にもたらされました。
 途中、家主の勘違いによりコンクリートが一部に打ち込まれ、調査が出来ない期間もあったりしましたが。

初日、最初の頭骨が取り上げられた。文中の様な墓であろうと、この後すぐに分かった。建設作業員も子供達も興味津津である。

 この調査は私が担当することになりました。
 家主は毎日“まだ終わらないの!?”とお小言をいいます。
 しかし日本人の私は家主の言葉を“へっ?”とか言って聞き流せるので、大変好都合だったようです。作業は大胆に、そして繊細に急ピッチで進められました。
 ああしたい、こうもしたい、考えることは多いがなにしろ時間がありません。
同僚達の協力により、なんとか実質調査日数12日にてこの調査を終了することができました。

 まだまだ調整は必要とされますが、日本では文化財保護法が機能的に効力を発しています。
 また日本国民の文化財に対する理解も大きいです。
 そんな日本では、手元の資料によると2000年度に8526件の発掘が行なわれています。(文化庁文化財部記念物課調べ)
 この件数は開発事業等による工事により発生する行政発掘調査件数です。
 これに学術調査を加えると500件程増になるでしょう。

路上での一寸した講義が始まる。一部の人以外は皆この発掘を歓迎してくれていたようだ。

 それに対してパナマでは文化財保護法は以前よりあったものの、その範疇に埋蔵文化財が適用されたのは本年からです。
 そしてパナマにおける昨年の発掘件数は二桁にもいきません。

 因みにパナマの国土面積は北海道と、総人口数は新潟県とほぼ同等です。
 北海道の年間発掘件数は2003年度で300件以上あるといいます。
 このような事情のもと、パナマにおける考古学的環境は大変遅れているといえるでしょう。
 隣国であるコロンビア、コスタ・リカに比してもそのようです。

彼女(のようである)はいくつかの土器を抱えた状態で埋葬されたらしい。骨盤右には配置された頭骨背面が見える。 同僚の考古学者、コロンビア人であるフアン氏の作業風景。

 職場での仕事の他、休日を使い私は同僚の考古学者や友人達とともに未調査遺跡の調査にたびたび出かけています。
 そこで目の当たりにするものに、開発事業や盗掘により人知れず失われていく遺跡の数々がありました。
 パナマ国独自の力で自らの地にある遺跡を調査することがもちろん望ましいです。
 しかしその気運は乏しいのが現状です。

 遺跡というものは全人類の遺産となり得る、私を含めそう考える人々が多くいるのであれば、パナマにおける遺跡を取り巻く現状は見過ごせないものの一つでもあるはずです。
 考古学的調査を経て得られる社会への貢献度には、即効性に欠ける事項もあるでしょう。

古代墓の盗掘坑 雨季には人口湖に沈む古代墓

 未来の充実より今日の飯、いわゆる発展途上国における人々の多くが、そう考えてしまうのにも無理はありません。
 だからこそ、その様な地域への援助における一つの形として、失われていく未調査遺跡の保護・調査等は重要な意義を持っているとは言えないでしょうか。

 文化学術面における国際援助においても先進国、援助国たろうとする日本の可能性の一つとして、この様な姿勢がより強く明確に打ち出される事を期待し望んでいます。

柳田氏が活動するパトロナート・パナマ・ビエホ
 http://www.panamaviejo.org/(他のサイトヘ)



イエメン学校建設プロジェクト~ソフトコンポーネントでの経験~ 原稿執筆:無償資金協力学校建設教育計画 JICAコンサルタント 河野 佐恵子さん

 イエメン共和国は、アラビア半島の南西端に位置する、敬虔なイスラム教徒の国で、女性は目だけを出した黒いヒジャーブを着て町を歩いています。
 イエメンは最貧国に分類され、教育開発の分野でも最重点国と定義づけられており、現在、各ドナー国や国際機関が活発に活動しています。

 そのイエメンにおいて、日本の一般無償資金協力によって2003年より2年間の計画で小中学校建設が行われています。
 学校を建設するだけではなく、その後きちんと運営されているか、学校建物が大事に使われているか、という点が重要であることから、ソフトコンポーネント(以下、ソフコン)を組み込むこととなりました。

 ソフコンでは、(1)学校清掃活動、(2)学校建物のメンテナンス、(3)父母会の活動、という3つを組み合わせて実施し、それらを通じて、完成する新校舎を大事に使ってもらい、学校運営を活性化し、長期的にみて就学をうながすことを目的としています。

 2004年1月から2月にかけて、タイズ州の対象校8校においてソフコンを実施しました。

 まず、州教育局に集まってもらった郡教育事務所のスタッフに、この日に学校を訪問しますよ、と伝えたはずだったのですが、当日学校に行ってみると、郡教育事務所の担当者は来ていないということが何度もありました。

 行政が機能していないことをイエメン人自身が認識することが大事だと思い、その日の仕事を放棄して怒ってみせて帰ったこともありました。
 また、遅刻して呼びに行ってやっと現れた郡教育事務所の担当者には、学校の校長・教員全員・父母会長達の前で、自分が税金をもらって仕事している公僕であることを自覚するように話をしました。

 教員達は、行政官に対し普段何も言えないので、こんなことがあっていいのかという顔をして驚いていました。
 部族社会が色濃く残っている国なので、これこそ民主主義の始まりではないだろうかと思いました。

 イエメンでは、掃除は「罰則」であり、その日遅刻した子供が授業に出させてもらえずに掃除をすることになっています。
 しかし、今回のソフコンで、掃除をすることは学校活動の一部なのですよということを紹介しました。
 今や掃除は「かっこいい」ものとなった、とタイズの人たちが言ってくれるまでになりました。

 私と通訳のアブドゥと2人で、清掃活動の説明とデモンストレーションを各学校で行いました。
 アブドゥは老齢で男性です。
 この国では、男性しかも長老が掃除をするなんて、考えられもしません。
 しかし彼は喜んで私と一緒に掃除をしてくれたため、皆感激して一緒に掃除をしないわけにはいかなくなりました。

 ある学校で、私たちが校庭に吹き溜まったごみを掃除しているのを近所の少年たちが取り囲んで見ていましたが、
 何も手伝おうともせず、アブドゥを見て「清掃夫だ」とばかにするような言い方をしていました。

 私たちは彼らに、何をしているかを説明し、次々にごみで一杯になるバケツを差し出しました。
 最初はいやがっていた男の子たちも一人ずつそれを運んでくれ、その度に拍手が起こりました。
 どうしても最後までいやがって逃げまわる子がいました。
 しかし根気強くお願いしたら、最後には恥ずかしがりながら運んでくれました。
 これだけでも、その日は大いに活動した甲斐があったと思いました。

 ある学校では、訪問した日に、女性校長が途中でいなくなりました。
 聞くと、朝食を食べていなかったので食べに行ったとのこと。
 その女性は、地域の有力者の娘で校長になったけれど、やる気がありませんでした。
 掃除をやめて、その校長先生とじっくり話をしました。
 その後、彼女は、私の滞在するホテルまで訪ねてきて反省したと話をしてくれました。
 半年後訪問したときには、彼女は大きく変化し、しっかりとリーダーシップを発揮していて驚かされました。
 「私はあの時、あなたと話をしてから変わりました」と話してくれ、大変感激しました。

 タイズ州教育局次長とは、郡の教育事務所が機能していないことに対する州の管理の甘さについて突き詰めて話し合いをしました。
 イエメンではそういう仕組みになっている、という一点ばりでした。
 私はあきらめず、そのまま同じことを繰り返しているだけで少しでも変えようとしないの?と問いかけました。

 彼は、自分がこの職に就く前に、自分の考えを発言したことで捕らえられ投獄されていたことを話してくれました。
 イエメンがまだまだそういう国であること、数年前だったらあなたもそんな恰好で歩いているだけで捕まっていたんだよ、ということを話してくれました。

 彼は今まで自分が投獄された話など皆の前ではしなかったであろうということを思い、 心から感激し感謝しました。
 それから半年後に会ったときには、彼はそのときに刺激を受けたことをきっかけに、タイズ州教育局にて学校運営費について新しく改革構想を立ち上げ、州議会に提案中である、ということを聞きました。

 滞在中には、帰りたくなるようなこともありましたが、今では、タイズ州の人たちとの様々な係わり合いがあったことで、見える成果と見えない成果の両方を残すことができたと思います。
 私にとって、忘れられない国となりました。



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