広報・資料 ODAメールマガジン

ODAメールマガジン/2012年10月10日発行 第238号

ODAメールマガジン第238号は,アフガニスタン・イスラム共和国からの「なぜアフガニスタン支援は重要か?」「10年間のアフガニスタン支援の成果とは バーミヤン県シィヤライェク村の事例」と,南スーダン共和国からの「世界で一番新しい国南スーダン」「南スーダン独立から一年。新しい国家で働くということ。支えるということ。」をお届けします。


アフガニスタン・イスラム共和国,南スーダン

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なお,このODAメールマガジンでは,ODAの現場で働いている人々や,実際にODA事業を視察した方々の生の声をお伝えしていますので,本メルマガに掲載されている内容は執筆者個人の感想に基づいた意見であり,政府の立場を示すものではありません。



「なぜアフガニスタン支援は重要か?」原稿執筆:在アフガニスタン日本国大使館 芦田 克則 一等書記官

2012年7月8日,東京で「アフガニスタンに関する東京会合」が開催されました。 アフガニスタンへの支援について話し合う会合が日本で開かれるのは2002年1月以来,10年ぶりでした。 日本は,2001年から現在まで,総額4,000億円以上のアフガニスタンへの支援を実施してきました(この額は米国に次ぐ世界第2位)。 これは東京ドームを10個以上建設することが出来る額です。 ではなぜ,日本から6,000キロメートル以上も離れた国にこれ程の大金を使って支援するのでしょう。

2001年9月11日に米国で起きた同時多発テロを覚えていますか? あの事件をきっかけに,世界の国々は,アフガニスタンが二度とテロリストが自由に活動できるような国に戻ることなく,秩序のある安定した国になることが重要だと確信しました。 そしてテロリストの活動を抑え込むため,国際治安支援部隊(ISAF)が組織され,米国,英国,ドイツ,フランス,カナダを始めとする国々が,アフガニスタンに軍隊を派遣しました(日本はこの部隊には参加していません)。 しかし残念なことに,アフガニスタン国内でのテロは今も続いており,これまでに1万人以上のアフガニスタン国民と3,000人以上の兵士の尊い命が失われています。

日本は,700キロメートル以上の幹線道路の整備や800以上の学校建設,約60万人への識字教育,警察官への給与支援を始め,数々の支援を実施してきました。 その一例として,カブール国際空港の支援を紹介します。 2002年1月に私がカブールを初めて訪問した時,カブール空港は悲惨な状態でした。ほとんどの窓ガラスは割れたまま,案内板は壊れたままで,とても「空港」とは言えない状態でした。 日本はこれまで総額100億円以上の支援により,国際線ターミナルの建設,駐機場と駐機場から滑走路に至る道(誘導路)の整備(現在工事中),国際線ターミナルで使われる電力の一部をカバーできる太陽光発電システムの導入を行いました。

(写真)
2002年1月当時のカブール空港。
窓ガラスはほとんど割れたまま。表示板も壊れたまま。

(写真)
現在のカブール国際空港。左に太陽光パネル。
中央が国際線ターミナル。いずれも日本の支援。

日本は,こうした取組だけではなく,世界の国々がきっちりとアフガニスタンの発展を支えていくことができるよう,アフガニスタン政府と国際社会の関係をうまく調整する活動もしています。

アフガニスタンで治安維持活動を行っている国際治安支援部隊は,2014年までに治安の権限をアフガニスタン政府に移譲することになっています。 これをうまく進めていくためにはアフガニスタンの自立と安定が最重要課題です。 2011年12月にドイツのボンで開催された国際会議で,2015年以降の10年間(「変革の10年」と呼ばれています)にアフガニスタンが安定し開発が進むよう国際社会は継続的に協力することを約束しました。 日本は,この約束を具体的にどうやって果たしていくかについて話し合う会合を2012年7月に東京で主催しました。 この会合で,2015年以降の「変革の10年」にアフガニスタンの開発が継続的に進められていくように,アフガニスタンと国際社会がお互いの責任を明らかにし,それを定期的に確認・検証する仕組み(相互責任に関する「東京フレームワーク」)を創設しました。

日本の食料は約70%を輸入に頼っており,原油に至っては99.6%です。エネルギーは原子力を除けば96%です。 つまり,日本は輸入できなくなると,食べ物も不足し,車も電気も使えなくなってしまいます。 日本の国民が安全で豊かに暮らすためには,色々な国との関係を大切にし,世界から評価される国になることがとても大切です。 日本のアフガニスタン支援における様々な取組は,アフガニスタンのみならず世界中の国々から高く評価されています。

(写真)
殺伐とした3,000メートル以上の山々が続くアフガニスタン中北部。

(写真)
原形をとどめていない商店街の前で出店を出す人々(2002年2月)。

(写真)
現在のカブール(2012年10月3日上空から撮影)。


「10年間のアフガニスタン支援の成果とは バーミヤン県シィヤライェク村の事例」原稿執筆:在アフガニスタン日本国大使館 河本 健志 二等書記官

2002年から現在まで,日本は,遠く離れたアフガニスタンを国際社会と共に支援してきましたが,果たしてその支援はアフガニスタンの人々に本当に役立ってきたのか,アフガニスタンの人々は日本の支援をどう思っているか,10年という節目の年に日本の支援の一部を皆さんに御紹介したいと思います。

今から10年前の2002年7月,ODAメールマガジンの第1号に,駒野欽一駐アフガニスタン大使(当時)が書いたカブールの様子が掲載されています。 建物が存在しない中央省庁,天井のない会場等,我々日本人と同じ時代,同じ地球に住んでいるにもかかわらず全く違う生活環境で生きていたアフガニスタンの人々の様子を垣間見ることができます。 さらに,2012年現在,10年前に比べアフガニスタンの治安は悪化してしまい,多くの皆さんが思う「危険なアフガニスタン」のイメージが定着し,現地の人々や外国人兵士の死亡を伝えるニュースが毎日のように報道されるようになりました。

そんなアフガニスタンにおいて,人々はどんな生活をしているのでしょうか。 アフガニスタンでは,国民の10人に8人が農民であると言われていますが,今回は,私が先日訪れたバーミヤン県の農村の一つ,シィヤライェク村を皆さんに御紹介したいと思います。

バーミヤン県シィヤライェク村には,電気ガス水道は存在せず,我々日本人も東日本大震災を通じて経験したあの何もない生活を今でも余儀なくされています。 標高が高く極寒の冬が訪れるこの村では,冬になる前に家畜の糞をお好み焼きのような形に固め,冬期の燃料として使用しています。

(写真)
家の前に積み上げられた燃料

そんなシィヤライェク村には,様々な形で日本の支援が届きました。 日本のNGOが建設した学校は,一日を時間毎に上手に分けて,小学生から高校生までの生徒が教室を交替で使用できるようにしています。 イスラム教の国アフガニスタンでは,男子生徒と女子生徒が別々に授業を受けることが多く,私が訪問した時は女子生徒の授業中であったために教室の中は見ることができませんでしたが,元気な声が廊下まで響いていたのが印象的でした。 また,バーミヤン中心部からこの村へ繋がる道路は,現在日本の支援で建設中です。現在の道は,決して道路とは言えない土と岩があるだけの激しいでこぼこ道で,シィヤライェク村へ着くまでの1時間半の間に私はすっかり車酔いをしてしまい,大変辛い思いをしました。

(写真)
学校周辺の様子
(写真)
建設中の道路と道端にいた子ども

バーミヤン県は,アフガニスタン国内で生産されるじゃがいもの約半分を生産すると言われる程,有名なじゃがいもの産地で,シィヤライェク村の人々の多くもじゃがいもを生産しています。村の人々が,晩秋に収穫するじゃがいもを,出荷調整のために冬の間保存するじゃがいも倉庫も日本の支援で建設されました。 他にも,春になると大量の雪解け水が用水路を流れるため,毎年のように決壊をして被害が発生してしまう用水路を整備する計画や,栄養が不足しがちな子どもに対して,栄養価の高いビスケットを学校で配布する計画も,日本による支援で行われました。

(写真)
じゃがいも倉庫と村民

このような日本からの支援を受けたシィヤライェク村の人々は,日本からの支援に心から感謝しており,私は村長さんから日本の人々にこの感謝の気持ちを伝えて下さいと言われました。 じゃがいも倉庫の写真の中で,右手に書類を持っているのが村長さんです。この場を借りて皆さんへお伝えしたいと思います。

10年間でアフガニスタンにおいて何が変わったか。その答えは,人によって異なると思います。しかし,今回御紹介できた日本の支援は,アフガニスタンの人々の生活をより良くするために役立っていると思います。

なお,ここで紹介したシィヤライェク村以外にも,アフガニスタンの人々の様子は,2009年12月のODAメールマガジン174号で,日本人の農業専門家が現地の人にお米の作り方を教えている様子(日本の田んぼに見たこともない服装をしたアフガニスタン人が農作業をしているような写真が載っていますが,実はアフガニスタンで撮影した写真です)や,2011年11月216号のバーミヤン県紹介(皆さんもどこかで聞いたことがあるかも知れない「バーミヤンの大仏」や現地のかわいい子どもの写真が掲載されています)もありますので,是非それらの記事も読んでみて下さい。

日本の支援は皆さん一人一人からの支援です。これからも皆様のODAに対する御理解をどうか宜しくお願い致します。



「世界で一番新しい国南スーダン」原稿執筆:在スーダン日本国大使館 石川 亮 三等書記官

1 南スーダンの誕生

South Sudan Oh Yeah!!(南スーダンオーイエー!!)」
この大歓声のもと,2011年7月9日,南スーダン共和国は世界で最も新しい国として産声を上げました。 独立記念式典に集まった南スーダン人の数は数万人。 この日の南スーダンの首都ジュバは,人々のものすごい熱気と独立の歓喜,そして同国の輝かしい未来への希望に包まれていました。 ちなみに我が国は独立と同日付で南スーダンを国家承認するとともに二国間の外交関係を開設しました。

(写真)
【独立式典の様子1】
新国家の旗を振り熱狂する民衆
(写真)
【独立式典の様子2】
独立式典には潘基文(パン・ギムン)国連事務総長をはじめ世界の要人が出席しました。

2 独立後の試練

独立の歓喜と希望に満ちた式典から1年経ちましたが,独立からの船出は厳しいものとなりました。 まず何より,長い内戦の影響により人材が育っておらず,同国における初等教育(小学校レベル)就学率は2010年でわずか44%,読み書きができない人の割合は85%にものぼります。 さらに,統一スーダン時代に開発から取り残されてしまっていたため,道路,橋等の基礎インフラがほとんど整備されておらず,独立直後の舗装道路の全長が国全体で60キロメートルしかなかったというほどです。

(写真)
【ジュバ市内の様子1】
ジュバ市内のほとんどの道は未だに未舗装。雨が降るとご覧の通り水浸しです。
(写真)
【ジュバ市内の様子2】
ジュバ市内の官庁街のすぐ横にもこのようなスラム街が広がります。

独立後はスーダンとの関係が悪化し,国境線を巡る争い及びお互いの政権転覆を狙う反政府勢力との争い等から武力衝突が発生し,国境を封鎖して交易を停止しました。 さらに今年1月,南スーダン政府は,スーダン政府が南スーダン産の石油を不当に搾取しているとして国家収入の98%を占めていた石油生産を止めてしまったのです。 これらの結果,南スーダンには20万人を超える難民及び国内避難民が発生。 経済面では物価が著しく高騰し,政府の歳入不足から厳しい緊縮財政を採らざるをえなくなっています。

(写真)
【スーダン国境付近の難民や国内避難民の様子1】
雨期のため地面もぬかるんだ劣悪な土壌の上にテントを立てて生活する避難民。
(写真提供:UNHCR)
(写真)
【スーダン国境付近の難民や国内避難民の様子2】
難民キャンプでは衛生的な水はとても貴重です。毎日子どもたちが水を汲むために並んでいます。
(写真提供:UNHCR)

3 我が国の支援

現在南スーダンでは,我が国を含む各国が,難民や国内避難民に対する食糧援助,水及び保健医療といった緊急人道援助を中心に支援を実施しています。

(写真)
【スーダンからの帰還民の一時的停留地の様子1】
スーダンから戻った帰還民たちは定住地へ戻る前の一時的な期間,ジュバ市内にある停留地で生活します。しかし,中には行き先が見つからず長期間滞在しなければならない帰還民もいるのです。
(写真)
【スーダンからの帰還民の一時的停留地の様子2】
UNICEFと協力して我が国が行った帰還民に対する支援。帰還民の子どもは深い心の傷を負っていたりトラウマをかかえていたりします。彼らの精神的なケアのために必要な遊具や教材を贈りました。

さらに我が国は,長期的な視点に立って,南スーダンの自立を後押しするための開発支援に力を入れています。 国際協力機構(JICA)は独立前の2007年から南部スーダンに事務所を開設し,同国の安定的な経済発展に寄与することを目標に,主に道路・橋梁・給水施設整備等インフラ分野を中心に支援を行っています。

(写真)
【我が国無償資金協力によるジュバ市内における橋梁建設工事の様子】
ジュバ市内に橋を架けるために南スーダン人とともに作業する日本人専門家。一緒に働くことで南スーダン人への技術移転にもなっている。
(写真)
【我が国が建設した橋梁の完成式典の様子】
ジュバ市内に架かる橋を設置後,南スーダン政府に引き渡すための式典が盛大に執り行われました。写真は生け贄の牛です。
(写真)
【我が国が技術支援するナイル川の河川港】
舗装道路が十分に整備されていない南スーダンではナイル川の河川交通が重要な物流の役割を果たしています。我が国は大量の積み荷を扱うジュバ市内の河川港の運営に対し技術支援を行っています。

そして,2012年1月からは,約330名の我が国自衛隊も国連平和維持活動(PKO)に従事するために,南スーダンで活動中です。現在,自衛隊は南スーダン政府,国連機関,そして我が国援助関係者等と協力して,スーダンからの帰還民の一時停留所の整備,ジュバ市内の道路整備,国連軍の宿営地整備等に懸命に従事しています。

(写真)
【自衛隊ジュバ到着時の様子】
2012年1月,自衛隊施設隊第一次隊がジュバに到着しました。写真は出迎える南スーダン人要人(大臣や与党副幹事長)と我が国関係者。
(写真)
【自衛隊の活動の様子】
写真は,UNHCRと協力し,ジュバ市内の帰還民の一時停留地の整備を行う自衛隊員。自衛隊の勤勉さと仕事のきめ細かさは現地で大変感謝されています。

この他,日本のNGO組織や国際機関に従事する日本人職員も忘れてはいけません。 現在,約30名のNGO及び国際機関邦人職員が南スーダン全土で活躍中です。 このようにたくさんの日本人が過酷な生活環境の中で懸命に汗を流しています。 我々の思いはただ一つ。「世界で最も新しい国の自立と発展のために」なのです。

(写真)
【南スーダンで活躍する邦人国連職員の様子】
スーダンからの南スーダン人帰還民をジュバで迎え入れる金田UNHCR職員。ここからのオペレーションが大変です!
(写真提供:UNHCR)
(写真)
【南スーダンで活躍する邦人NGO職員の様子】
南スーダン東部に位置するジョングレイ州にて,水伝播性疾患に苦しむ現地住民のために井戸堀とトイレの設置事業を実施する石川Peace Winds Japan現地事務所代表。
(写真提供:Peace Winds Japan


「南スーダン独立から一年。新しい国家で働くということ。支えるということ。」原稿執筆:JICA南スーダン事務所 福田 秀正 所員

2011年7月21日 “ARRIVAL”,2011年10月18日 “ENTRY”,2012年1月24日 “Arrival”,2012年4月5日 “ENTRY”,2012年8月31日 “ARRIVAL”,2012年9月27日 “Arrival”…。

ジュバに赴任して以降,出張や休暇等で南スーダンを離れ,再入国する際に押印される入国スタンプの変遷です。

2011年7月9日に,長期にわたる紛争を経てアフリカ大陸54番目の国として独立を果たした南スーダン。 独立から早1年3ヶ月が過ぎようとしていますが,新国家の建設と平和の定着を同時に進めるかじ取りは容易ではなく,入国スタンプのように一進一退の日々が続いています。

(写真)
独立一周年記念として2012年7月7日に開催されたジュバマラソンの様子。

JICAは,2005年に締結された南北スーダン包括和平合意(CPA)以降,独立以前にも様々な協力を行っていましたが,国家の独立という逆らいようのない大きな潮流の中で業務を行う経験は初めて。 事務所運営一つをとっても,試行錯誤の連続でした。

例えば,南スーダン人スタッフの雇用。 南スーダン国としての労働法や社会保障制度が整備されていない中,日々大きく変動する為替や物価を注視しながら,南スーダン人スタッフをいかに活用していくのか。 スタッフと協議をしながら,新しく導入された貨幣を数える毎日が続きました。 他にも,あらゆる制度が未整備もしくは整備途上にあるため,昨日行った手続きが今日には変わっていることは日常茶飯事。 日本からの出張者を受入れる際は最新の入国手続きを,プロジェクトに必要な機材を調達する際は最新の通関手続きをその都度確認する必要があり,新しい国家が新しい制度を整備していく過程で生じる混乱を,身をもって体感しています。

とはいえ,この影響を最も受けているのは,南スーダンで暮らす人々です。 彼らを支えるためには,長期にわたる紛争を経てようやく手にした平和を定着させることが最も重要。 JICAは,南スーダンに対する援助重点分野として「新国家建設支援(インフラ整備・ガバナンス能力強化)」,「基礎生活向上支援(BHN)」,「食料安全保障支援」の三つを掲げ,インフラ整備等を通して平和の可視化を進めるとともに,それを支える人材・組織の能力強化を同時並行的に進めることで平和の定着を図っています。

例えば,浄水場の施設拡張や給水施設の新設と水道公社の人材育成,河川港の整備と河川港管理組合の能力強化等,インフラ整備と人材育成を同時に進めることで,目に見えて平和を実感してもらうとともに,目に見えない形でも平和な状態が継続するよう努めています。

(写真)
雨が降った後のジュバ市内の道路。
舗装道路は増えているが,一本道を外れると通行困難な道が多い。

また,昨年から始まった廃棄物運営管理強化プロジェクトでは,街の発展に伴い激増したゴミを定期的に収集したり,無秩序に廃棄物が投棄されていた最終処分場を整備したりすることで,行政サービスが機能していることを可視化するとともに,市役所や環境省,町内会のような草の根の団体に至るまで廃棄物に関わる組織を集め,廃棄物収集組合として組織化し,廃棄物の収集が定着するよう支援しています。

(写真)
廃棄物プロジェクトでの住民によるゴミ回収の様子。
定時定点回収が定着しつつある。

(写真)
ジュバ市郊外の最終処分場の様子。
既存のスペースは数年中に満杯になる見込みで,改善は急務。

自衛隊の派遣,資源分配をめぐる南北スーダンの交渉,ロンドンオリンピックの“個人資格”のマラソン選手等,独立後も様々な話題を通じ,他のアフリカ諸国と比べて日本での報道の機会は多かったように感じています。

今後は,日本の地道だけれども確実な協力が南スーダンにおいて結実していく姿を届けることができるよう,南スーダンという新しい国家とともに日々前進に努めていきます。

(写真)
ある小学校の机の落書き。新国家への愛着がうかがえる。


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