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□●□ ODAメールマガジン □●□ 2005年1月21日発行 特別号VI
 ODAメールマガジン特別号VIはご登録者の皆様に「タイ津波災害国際緊急援助隊救助チーム~陸・海・空の機動力を活かした支援活動~」「タイ国・津波災害に対する国際緊急援助隊医療チーム~団長として参加して~」と、「ジャパン、フレンド....」をお届けします。

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 ○● トピックス ●○

 ○タイ津波災害国際緊急援助隊救助チーム
   ~陸・海・空の機動力を活かした支援活動~
  (原稿執筆:タイ・国際緊急援助隊救助チーム
   石榑利光 団長)
 ○タイ国・津波災害に対する国際緊急援助隊医療チーム
   ~団長として参加して~
  (原稿執筆:タイ・国際緊急援助隊医療チーム
   日田春光 団長)
 ○「ジャパン、フレンド....」
  (原稿執筆:スリランカ・国際緊急援助隊第一次医療チーム
   中野勝一 団長)
 ○[New!!]ODAホームページ新着情報




 ◇◆ タイ津波災害国際緊急援助隊救助チーム
~陸・海・空の機動力を活かした支援活動~  
(原稿執筆:国際緊急援助隊救助チーム
 石榑利光 団長) ◆◇ 


タイ写真
写真:JICA提供
 昨年12月26日お昼のニュースでスマトラ沖にてマグニチュード8.9の地震発生の報道を見て、そのマグニチュードの大きさで、即緊急援助隊の出番であろうと直感しました。外務省国際緊急援助室とJICA事務局や関係省庁が動き出して、さぞかし多忙であろうと同情していました。

 ところが、2003年5月のアルジェリア地震災害における救助チームの団長経験者であるとして、再出馬の要請が、御用納めの28日に飛び込んできました。

 29日早朝、成田での結団式もそこそこに緊援隊救助チーム(警察庁・消防庁・海上保安庁・JICAの49名)の団長として機上の人になったわけです。

 救助チームが津波災害で派遣されたのは、緊援隊史上今回が初めて、タイの津波災害現地の様子もはっきりせず、機中で副団長等を集めての役割分担、今後の活動方針等を決め、同日夜プーケット空港に到着しました。翌日夜明け前からプーケット市から北へ約130キロメートルの災害現場へバス・トラックで駆けつけ、寝ていた現地対策本部の関係者を起こし、早速状況説明を受け、被災現場で活動を開始しました。

タイ写真
写真:JICA提供
 タクア・パー郡のナムケム村の漁港、河口、マングロープ湿地帯の現場を確認し、漁港のあちらこちらで津波によって打ち上げられたたくさんの漁船や跡形もない家屋の瓦礫がうずたかく積もり、死臭がただよう現場で人命救助のための捜索を行いました。

 午後になり南方約150キロメートルのところにあるクラビ県ピピ島での捜索依頼があり、隊を2チームに分けました。このためプーケット島沖の海上で捜索救助活動をしていた海上自衛隊(旗艦霧島他2隻)のヘリとタイ軍ヘリを手配してもらい、特別チーム(18名)を急派しました。同チームは翌日(大晦日)午後、ただ1人生き延びた邦人少年(12才)の記憶を頼りに行方不明の家族を捜索、お父さんと弟さんのご遺体を発見・救出しました。

 夕方には残る我々もシンガポール軍のヘリでピピ島の先遣部隊と合流しました。翌朝は高速モーターボート5隻を用意し、元旦のインド洋上に浮かびぎらぎらと輝き始めた初日の出を横目に、波飛沫でびしょ濡れになりながら1時間半でピピ島へ上陸、捜索活動を行い、11体以上の遺体を救出しました。

 捜索・救助活動中、最も緊張し驚いたのは、12月30日漁村で活動中、印度近海の地震発生と同政府の津波警報、それに元旦ピピ島で活動中、スマトラ沖の地震発生情報でありました。幸い、いづれも津波は起こりませんでしたが、「災害現場で活動している我々救助チームが再度の大津波で2次災害に巻き込まれるのではないか?」との恐怖と緊張が走ったわけです。東京からの至急連絡で津波の発生は無いとの連絡を受け、ホッと胸をなでおろし一安心しました。この東京からの迅速な通報は、ピピ島のバンガー県副知事等関係者を2度驚かせま した。

タイ写真
写真:JICA提供
 今回は、我々救助チームの第2次隊として消防のヘリ2機のチーム(32名)が、1月2日に露のアントノフ輸送機で飛来し、休む間もなくタクア・パー郡長の上空からの被災状況確認や食料・医薬品の輸送を開始しました。また、同チームは、我々救助チームがタクア・パー郡の海岸線25キロメートルにわたり河口から河川沿い打ち上げられているおびただしい漁船等の状況を上空から調べる水路調査に協力しました。その結果、我がチームは写真とCD付きの水路調査報告書をタイ側に提供し、大変喜ばれました。更に1月6日には団長の私と共に前日到着したばかりの我が国の緊急支援物資(テント、毛布、発電機、浄水器等)の輸送に携わり、同郡長に手渡しました。

 このような我々の救助チームの迅速な支援に同郡長やプーケットに設置されたタイ災害対策本部関係者(タイ軍の中将や外務省代表)から感謝とお礼の言葉が述べられました。
 今回の救助チームは、救助各チームと相互に協力しあいながら、持てる機動性を駆使し、タイにおける津波災害に総合力で対応し、それなりの成果を上げることが出来たと思っています。


 ◇◆ タイ国・津波災害に対する国際緊急援助隊医療チーム
   ~団長として参加して~  
(原稿執筆:国際緊急援助隊医療チーム
日田春光 団長) ◆◇ 



タイ写真
写真:JICA提供
 タイにおける国際緊急援助隊医療チーム(以下医療チーム)は、インド洋津波災害の発生を受けて、タイ政府の要請に基づき2004年12月30日成田を出発し、同日プーケット着、翌31日午後より年明け10日午前まで被災地において診療活動を実施し、12日、バンコク経由にて成田に帰着しました。

 医療チームの活動地域は、タイ南部にあるプーケット島の北に位置するパンガー(PHANG NGA)県内で、タイの中でも津波災害の最も甚大な地域でした。とりわけ、カオ・ラック(KHAO LAK)地域は近年新たなリゾート地として知られており、多くの人が犠牲となりました。砂浜からかなり奥に入ったビーチ沿いの道路を超えて内陸側に至るまで樹木がなぎ倒されていたり、多くの家屋が倒壊又は半壊状態でした。また、所々に押しつぶされた自動車が泥をかぶって放置されたままでした。

 最初に医療チームが診療活動を行ったナムケム(NAM KHEM)村学校の裏手は、漁村でしたが、津波によってほぼ跡形もなく村全体が壊滅しており、漁船が村の中まで押し流されているなど津波のエネルギーの凄まじさを目の当たりにしました。学校は偶々高台にあったので被害を免れていて、被災者の救援物資の集積・引き渡し場所になっていました。

 医療チームは22名の東京からの派遣隊員と10名余の現地タイの支援チームの凡そ30名の規模で、医師、看護婦、医療・業務調整員などから成っており、3グループに分かれ診療活動を実施しました。その形態は2つが固定診療所、ひとつが移動診療所です。被災者の中には津波の恐怖で平地に戻ることを嫌い、山間に簡素なビニールテントの下で少人数単位で避難している人たちもいました。

 移動診療所はミニバスでこうした点在する避難場所を巡回して診療に当たるのが目的です。固定診療所としては、とりわけ、パンガー県のバンムアン(BANG MUANG)村仮設住宅建設地において設置した大型診療テントでの同地域被災民への診療活動は主要な拠点となりました。ここには約3,500人の被災者が集まり、仮設のテントで仮設住宅の出来るのを待っていました。

 被災者の中で重傷者や緊急の治療を要する患者さんは近くの群病院、プーケットの病院や場合によってはバンコクの病院に既に搬送され必要な初動の措置が講じられていました。診療所での患者さんの多くは傷が化膿したり、慢性病が悪化したり、避難生活の疲れから風邪をひいたり、中には日中の暑い最中テントにいたため脱水症になったお子さんもいました。更に、津波の恐怖の記憶で夜眠れないという方も多く見られました。

 今後は、こうしたメンタル面でのケアーも大変大事になってくると思います。夫々のグループの診療サイトの活動期間には若干の違いがありますが、医療チーム全体としては、10日間の診療活動を行い、この間凡そ600人の患者を診察しました。

 タイは、特にインフラがしっかりしており、少なくとも我々医療チームが活動した地域においては飲料水、食事、衣類、医薬品等必要な物資が行き渡っており、その援助・救援活動がタイ政府関係機関によりしっかりと調整されていると感じられました。医療チームの医薬品が一部不足したので、近くの町の薬局で一部医薬品を調達した際、店主は被災民のために使うのなら無料で提供するとして代金を受け取らず、医療チームに対するタイの心温まる地元の支援に感動しました。

 仮設住宅建設地では炊き出しの食事やランチ・ボックス等を時折我々医療チームに差し入れしてくれることもありました。また、カオ・ラックの被災地を訪れた町村外務大臣からチームの代表を激励して頂いたことは、全隊員にとって強い励みになりました。

 タイの「子供の日」は1月8日ですが、仮設住宅建設地では前日から子供達を励ます催しが練られており、タイ側からの要望もあって、当日診療活動の合間を縫って、積極的にこれに参加し、被災者の子供達と「折り紙」を折った他、独自の活動として、公衆衛生の啓発のために隊員有志が寸劇を行いました。これらを通じ、限られた範囲でしたが、被災された方との交流も図ることが出来たことは今までにない医療チームの活動と言えるでしょう。

 活動拠点のバンムアン仮設住宅地においては、7日間の診療活動を通じて医療活動の土台ができ、大型診療テントを始め医療機材・医薬品等をタクアパー(TAKUA PA)郡衛生局に引き受けて頂き、我々医療チームが撤収した後も引き続き同診療所を使用してタイ側医師団が継続的な診療活動を行うことを快諾頂きました。これは、同地区の医療ニーズが依然として高いことを考えると極めて意義のあることと思います。

 医療チームは地元の救援・医療活動に少しでも貢献できればとの思いで、10日間の診療活動を行ってきましたが、行く先々で地元被災地の方々から暖かい歓迎と感謝の言葉を頂いたことは幸いでした。今、タイの被災地に思いを致すと心が痛みますが、何よりも早い復興と安心できる生活が一日も早く戻ることを心からお祈りします。


 ◇◆ 「ジャパン、フレンド....」  
(原稿執筆:スリランカ・国際緊急援助隊第一次医療チーム
中野 勝一 団長) ◆◇ 



スリランカ写真
写真:JICA提供
 我が医療チームの活動のサイトはスリランカの東海岸のアンパーラ県のサインタマールトゥという人口2.5万ほどの町。アル・ヒラールというムスリムの小学校を使用することが出来た。図書室を診察室にあて、校庭にテントを設置し、受け付けと薬局とした。12月30日午後より診療活動を開始すると、予想通り津波で脚などに傷を負ったが方が多数みえられたが、日が経つにつれその数は減り、逆に発熱、下痢、喉の痛み、あるいは避難民キャンプでの生活によるストレスからくる倦怠感などの症状を訴える患者が増えた。6日間で診療所を訪れた患者は927名にのぼった。

 今回の活動で何が大変だったですかと聞かれれば、やはり雨と答えざるを得ない。宿舎として提供を受けた軍の施設での寝泊まりも南京虫、ダニ、蚊に悩まされたが、雨だけはいかんともしがたい。大晦日は朝から雨模様。なんとかその日の活動は行えたが、夜から元旦の朝までずっと雨はやまない。道路はすごい雨水であふれ、危険で活動サイトに行けないので元旦は一日休養。4日の午後も雨で活動を中止せざるを得なかった。隊員全員は不完全燃焼で、このまま帰国するのが気が重かった。しかし、最後の5日は天気に恵まれ、実に239名の方が診療所にみえられた。これで、隊員一同、活動に満足して帰国できたのではないかと思う。

 今回の活動で特筆すべきことは、実に多くのスリランカの方々から協力・支援を頂いたことであった。活動サイトが当初の南部ゴールから東部のアンパーラに変更になったが、隊員20名、通訳や運転手を加えた総勢30名あまりが宿泊できるようなホテルはもちろんない。宿舎と食事の確保がチームにとり最優先に解決しなければならない問題であったが、先行隊の尽力もあり、現地の陸軍の好意により陸軍の訓練キャンプの施設の使用が認められ、朝と夜の食事も提供してもらうことが出来た。このほか、現地で前述の小学校の使用、昼食の手配、隊員のトイレ使用場所の確保あるいは通訳等さまざまな人の支援と協力を頂いた。彼らの協力なしには我がチームの円滑な活動は不可能であったといっても過言ではない。

 厳しい環境のもとでの活動ではあったが、隊員だれひとり不平・不満もこぼさずがんばってくれたことに感謝したい。また、最後の日、年老いた女性が近くにやって来て、慣れない英語で「ジャパン、フレンド」と言ってくれた。彼女にしてみれば、精一杯の感謝の気持ちの表明であっただろう。その気持ちがうれしかった。1月8日、一日も早いスリランカの復興を願いつつ、また、診療所に来られた子供さんが将来母親、父親になり、自分の子供たちに「2004年末に大きな津波で来て怪我をしたが、そのときお母さんとお父さんは日本から来た医療チームに治してもらったんだよ」と聞かせてくれる日が必ず来ることを願いつつ、コロンボをあとにしたのであった。おそらく隊員のだれしも同じ思いであっただろう。


 ◇◆ [New!!] ODAホームページ新着情報 ◆◇ 

◆平成16年度 無償資金協力(入札結果等の公表)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/2005/05t_6_1.html

◆防災協力イニシアティブ(概要・全文)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/seisaku/bunya/bosai/gaiyo.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/2005/05t_6_2.html

◆有償資金協力(平成16年度の交換公文締結日別)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/zyoukyou/siryo_5_23.html

◆無償資金協力(平成16年度の交換公文締結日別)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/zyoukyou/siryo_5_21.html

◆スマトラ沖大地震およびインド洋津波被害に対する国際緊急援助隊・医療チーム第三次隊の派遣について(インドネシア)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/2005/05t_6_3.html





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