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□●□ ODAメールマガジン □●□ 2003年11月20日発行 第31号
 11月も後半になりますと、今年も終わりに近づいて参りまして、忘年会、クリスマス、年賀状の準備など心せわしくなる季節を迎える頃となります。皆様もお風邪など召しませぬよう、これからの年の瀬に向かって体調を整えてください。今回のメルマガでは、アフリカ大陸に位置するアルジェリアから「あっ、ここに日本国旗が!」と東ヨーロッパに位置するルーマニアから「不思議で魅力的な国ルーマニアで行なわれたJICAカップ・少年サマージャンプ大会」の2話をお届けします。

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 ○● トピックス ●○

 ○「あっ、ここに日本国旗が!」
  (原稿執筆: 在アルジェリア日本大使館員 秋吉 康子さん)
 ○不思議で魅力的な国ルーマニアで行なわれたJICAカップ・
  少年サマージャンプ大会
  (原稿執筆: 青年海外協力隊 14年度2次隊 スキー 武藤 慶太さん)
 ○[New!!]ODAホームページ新着情報



 ◇◆ 「あっ、ここに日本国旗が!」  
(原稿執筆: 在アルジェリア日本大使館員 秋吉 康子さん) ◆◇ 


 アルジェリアでは、1992年の議会選挙の第一次投票にて当時のイスラム救世戦線(FIS)というイスラム原理主義政党が大勝しました。これに対して、イスラム原理主義を支持しない人々は危機感を抱き、イスラム原理主義政権が誕生する雰囲気が醸成されつつあった緊張の中、翌年1月には選挙は第二次投票を行うことなく中止されました。イスラム原理主義者はこの選挙中止に反発し、治安当局と激しく衝突しました。この結果、2月には非常事態宣言が出され、その後およそ10年に亘り、アルジェリア国内でイスラム原理主義テロリストグループが暗躍することとなりました。1999年にブーテフリカ大統領が選出され、国内の融和を図るための国民和解法が可決され、ようやく今日、徐々にアルジェリアの治安が回復してきています。しかし、このようにアルジェリア国内に混乱があったため、それまで実施されていた技術協力は中止され、その後10年間はほぼ、アルジェリアに対する経済協力を進めるに進められませんでした。
 私は、このような中、在アルジェリア日本大使館に経済協力担当として勤務することとなりました。着任時には、経済協力で実施中のものは殆ど無く、これから再開していくという途上でありました。今後どういった方向で経済協力を再開していくかについて自分も能動的に参加できる良い機会に赴任したものだと思いました。
 経済協力再開に向けて、まずはこれまでに実施した経済協力の実際の現場に赴くことが重要であると考え、私は首都アルジェ西方約45km(アルジェ市より陸路約30分)のティパサ県入り口に位置するブーイスマイル高等海運学校を訪問しました。従来、アルジェリアでは交通運輸関係に占める海運部門の役割が大きく、1970年代に入り海運政策を他国に依存しないことと決定し、以後一貫した自国海運強化策をとってきました。このような政策の下、アルジェリアは1975年同校を創設し、今日まで自国船員の養成に励んできました。その後、88年のSTCW条約(1978年の船員の訓練及び資格証明並びに当直の基準に関する国際条約)への加盟を経て、同校教育機器の老朽化、船舶の近代化に伴う機器の旧式化に対応するため、日本政府に対して協力を要請しました。こうした要請に応え、日本政府は1990年3月から1994年3月まで専門家派遣(35名)とカウンターパート研修受け入れ(13名)、機材供与(約6億5千万円)を通じ、同校の整備・拡充計画を支持し、教育内容の充実を促進するため供与機材(レーダーシュミレーターとディーゼルエンジンシステム)を使用して同校航海科、機関科教官のレベルアップを図りました。
 日本の援助が中止され、約10年経ってからの訪問だったために、同校が一体どのような状態になっているのか漠然とした不安がありましたが、プロジェクトによって供与されたレーダーシュミレーター、ディーゼルエンジンプラントなどの機材はメンテナンスが行き届いており、現在も十分に活用されていたことを確認し、ほっと胸を撫で下ろしました。そして、日本の国旗が教室に掲げているのを目の当たりにして、いたく感動しました。私は、自分が訪問することを同校関係者が事前に知っていたために、わざわざ掲げてくれていたのかと思いましたが、同校のブジディ校長によれば、プロジェクトを中断する前に日本人専門家から日本の国旗を手渡され、是非掲げておいて欲しいと言われ、アルジェリアが国内テロに苦しむ間もしっかりとその約束を守っていたとのことでした。また、同校長より「約10年間に亘って我が校と貴国との交流は途絶えていましたが、その間も我が校の学生、教員は貴国の供与機材を用いつつ、援助国日本への感謝を忘れたことはありませんでした。」との言葉に、私の胸に熱い思いが込み上げてきました。良好な機材の維持管理状態はまさに日本人専門家によるきめ細やかな指導の成果であり、また、限られた予算と機材の中でSTCWのレベルを維持できたことは同校の教官達の努力によるものです。
 このプロジェクトについては、フォローアップ技術協力を希望する旨が表明されており、この要請にいかに応えるか、同校が本当に必要としているものは何かを考慮しつつ検討する必要があると考えています。私が受けた印象では、少ない予算と外部からの支援が全く無い状況下で現有機材を維持管理し、最大限に活用してきたという姿がうかがえるものの、どうしても老朽化の観は否めません。現有の機材では現代のデジタル化の波と技術進歩には対応できない状況にあることは確かです。技術進歩のスピードから考えても、古い機材を修理して使うという判断は、技術大国の協力としてはどうかと思いますし、日本の技術協力の質やきめ細やかさ、そして過去の協力の評価までも下げることになりかねません。また、数十人の研修員OBが今も同校で活躍しており、こうしたOBや所属組織からの熱烈な要請にいかに応えるかも考慮を必要とするところです。すなわち、研修員OB支援も日本の協力に対する評価を一層高めるのみならず、現場のアルジェリア人研修員OBのモチベーションを高める材料ともなるからです。
 治安状況の悪化により10年以上に亘って中断した経済協力・技術協力を再開するにあたり、課題は山積みです。まずは日本側がどのような対応をとるのか検討し、アルジェリア側に対して協力の方向性を示すことが肝要であると考えています。経済協力担当官として、私は将来に向けてアルジェリアとの二国間協力の基礎を築いていく作業を始めたところです。


 ◇◆ 不思議で魅力的な国ルーマニアで行なわれたJICAカップ・少年サマージャンプ大会  
(原稿執筆: 青年海外協力隊 14年度2次隊 スキー
武藤 慶太さん) ◆◇ 


 私は2002年12月にルーマニアに派遣され、ルシュノフという町の少年スポーツクラブでスキージャンプのコーチとして活動しています。また初心者に対して基礎スキーの指導を行って、スキー人口を増やしたり、あるいは、上級者に対してより一層の技術向上を指導し、国際競技大会への出場を側面支援したりしています。今回は8月に行なわれたJICAカップ・サマージャンプ大会の話を中心として、皆さんにルーマニアという国について少しでも知っていただきたいと思います。
 この町で活動を始めて時間が経つにつれ、私の心の中では、スキージャンプを教えるだけでなく、何とかこの町で日本の紹介もできるイベントをしたい、という気持ちが芽生えてきました。というのも、ルーマニアの国民の多くが日本については何も知りませんし、この田舎町では日本という国が地理的にどこにあるかすら知らない人がほとんどです。本業ジャンプの面で言うと、ルーマニアのジャンプ大会のやり方には驚かされる点が多く、何とか日本式のきっちりとした大会にしたいなと考えるようになりました。驚かされる点というのは、たとえば大会日程の発表が開催の2週間前であったり、試合4日前でもまだジャンプ台が仕上がっていなかったり、といったものです。そこで、私が「今回は開催が無理でしょう?」と聞きますと、同僚のコーチも「んー、厳しいな。」と答え、それを真に受けて、開催2日前の練習終了後、私が選手に「今回の大会は中止になった。」と伝えるや、すかさずコーチが「いや、試合はやるぞ!」と切り返す始末。何と2日前になって開催が確定するという日本では考えられない事の運びようです。しかし、ここでくじけてはルーマニアではやっていけません。これは私達から見れば特別なだけで、この国ではよくあることなのです。とにかく2日前に開催を決めるわけですから、出場選手はともかく、観客は選手の親数人だけといった具合で寂しい限りです。そこで、今回こそは、しっかりした大会にし、そこに日本紹介を引っかけようと思った訳です。
 在ルーマニアJICA事務所の所長には、5月に初めてこの件を話し、私の所属するクラブ、コーチにも内容を説明していきました。JICAサイドとは話は進んでいくのですが、クラブサイドとはなかなか話が進んでいきません。この点が今回最も苦労した点といえるかと思います。私がクラブのディレクターに大会の開催意図を伝えた際、ディレクターが「それはいい、ルーマニアから選手全員呼んで盛大にやろう!」と答えたところまではいいのですが、そこから先クラブ側はピタリとも動きません。「8月末?まだ3ヶ月先か、時間はあるのでまた後日話そう。」というばかりで、最終的にクラブサイドがまともに動き出したのは何と大会の1週間前でした。今大会では持ち回りのトロフィーはJICA側で用意する一方、選手へのメダルはクラブ側が準備する、との事で話を進めてきていて、クラブのディレクターに対しては、そのようにずっと言い続けていたのですが、いつも「分かった、何とか解決しよう。」というばかりでした。大会5日前のミーティングで、私がディレクターに「メダルは用意できていますか?」と聞くやディレクターが慌てた様子でその場でスキー連盟に電話し、「5日後に大会があるのだがメダルが必要だ。」と伝えた後、「よし、解決した。」という始末です。しかしその時点では、確実に決まった訳ではなく、メダルの実物を見るまで実のところ不安で夜もよく眠れませんでした。最終的にはメダルは準備されたから良いのですが、電話1本で済むならもっと早くやってくれよと、これが悲しいかな日本人である私の心情でした。とにかく、日本との仕事の進め方の違い、詰めの甘さ、「何とかなるでしょ」的な考え方(私もかなり「何とかなるでしょ」タイプですが、さすがにこちらには敵わないかもしれません)に振り回されながらも、どうにかこうにか大会開催にこぎつけることが出来ました。
 大会当日は、現地のJICA所長を始め事務所スタッフ、日本人学校、在ルーマニア日本大使館から多くの方がこの山奥まで応援に来てくださり、そしてルーマニアで活躍する協力隊の仲間が大勢集まり協力してくれました。大会と平行して行なっていた出店コーナー(お好み焼き、折り紙、ヨーヨーつり)も、初めのうちは皆様子を窺っていましたが、時間が経つに連れ多くの人が集まり、はじめて見る日本の食べ物や遊びなどにルーマニア人は興味津々といった様子でした。大会は強風の影響で、風の合間を縫いながら選手が飛ぶという形でゆっくりと進行しましたが、無事に競技を終え、閉会式では、参加賞を選手全員に配り、その中に相撲の絵番付(力士が絵で描いてある番付)を入れて、普段ルーマニア人がなかなか触れることのない日本の国技もアピールでき、参加者にも大変喜ばれました。大会は多くの人たちの協力があったおかげで大成功裡に終わることが出来ました。
 私は縁あってこの国に来たわけですから、コーチとしての本業はもちろんですが、ルーマニアに暮らす数少ない日本人として、あと1年と少しの任期の中で、しっかりとこちらの人に日本の素晴らしい部分を伝えていきたいと思っています。


 ◇◆ [New!!] ODAホームページ新着情報 ◆◇ 

◆無償資金協力(入札結果等の公表)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/choutatsu/nyusatsu15/index.html

◆日本NGO支援無償資金協力 (平成15年度の交換公文締結日別)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/zyoukyou/ngo_m15_10.html

◆無償資金協力 (平成15年度の交換公文締結日別)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/zyoukyou/siryo_5_17.html

◆有償資金協力 (平成15年度の交換公文締結日別)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/zyoukyou/siryo_5_19.html

◆南南協力支援評価(概要)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hyouka/report/nn.html


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