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□●□ ODAメールマガジン □●□ 2002年10月15日発行 第5号
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 ○● トピックス ●○

 ●米作りと人作り
 ●在日大使館の叙勲式
 ●[New!!]ODAホームページ新着情報




 ◇◆ 米作りと人作り ◆◇

投稿者:青年海外協力隊・村落開発普及員 久田光孝

 ここはパプアニュ-ギニア、首都ポートモレスビーからジェット機とプロペラ機を乗り継いだところに私の任地ヌク(西セピック州)があります。ヌクはジャングルの中の村で、街とは道路がつながっているものの、雨季になると道が崩れ車が通れなくなります。また空港も草を刈り取っただけの野原なので、雨量が多くなるとたびたび閉鎖され陸の孤島となってしまうところです。
 私はこの村で青年海外協力隊として稲作の普及をしています。パプアニューギニアは一人あたり30kgの米を食べる米消費国なのにその自給率は、わずか2.3パーセントに過ぎません。ここヌクでも毎週のようにお米が飛行機で運ばれてきます。住民は、特に現金収入のある人たちは毎日のようにお米を食べるのですが、ほぼ全てがオーストラリアからの輸入に頼っているのです。ここでお米が育たないわけではありません。1960年代からヌクでも稲作が行われているのですが、いろいろな問題が重なり何度も中断されてきたのです。
 私の活動は、この問題点を探す事から始まりました。過去の資料を調べたり、住民の話を聞くため周辺の村を巡ったりしました。移動手段は徒歩のみで、ジャングルの中を2時間かけて村に行く事が普通です。ときには片道6時間かけることすらありました。いろいろ話を聞いてわかった事は、過去の稲作は商品作物としての稲作であって、彼らの口に入る事はありませんでした。彼らは生産を請け負います。地方役所はそれを買い取り、精米後販売していました。そして稲作が中断した原因は常に役所側にあったのです。精米機が壊れたり、思うようにお米が売れなかったり、資金不足に陥ったりと言った理由で。
 今回始めた稲作プロジェクトは、住民が自分で作った米を食べる様になることを目指しています。まずは自家消費用として始め、余剰米が出て来たら現金収入を増やすために売り出すことも考えています。始めた頃は全く一人での活動でした。村への聞き取り調査から、精米機の修理まで全て一人でやっていたので、「自分ひとりが全てやったところで何になるのだろう?」という思いでいっぱいでした。外からやってきた人間が稲作プロジェクトを始めてもそれはその人間がいなくなると終わってしまうに違いありません。自分の存在意義を考える毎日でした。そんな中で考えた事は、外からやってきた人間ができることは、そこでいっしょに活動してくれる人を育て自分がいなくなった後はその人に全て任せられるようにする事だということです。自分がいなくなっても住民の中から後を継いでくれる人が出てきたならば、プロジェクトは続くはずです。それからはこの稲作プロジェクトをともにやってくれるリーダーを育てる事に力を注ぎだしました。まずは地域リーダーを選び、集中して研修を受けてもらいます。その地域リーダーが村を代表するリーダーを10人ずつ選び、その研修も任せます。そして、村代表のリーダーが村中の人に稲作を教えるようにしたのです。この仕組みのおかげで、最初の植付けから1年も経たないうちに300人の住民が米作りを始めました。たった4kgの種モミで始まったのですが、今年の終わりには10トン以上の収穫を見こんでいます。
 米作りが大きく始まろうとしているなか、国の稲作調査団がヌクを訪れました。前回訪問時は私がプログラムを考え先頭に立ってやっていたのですが今回はサポート役に徹しそれぞれの地域別リーダーにプログラムを任せました。彼らは事前に何度もミーティングをしそれぞれの担当を割り振って、当日稲作講習会や質問会を開きました。今年の3月には彼ら自身が講習を受けていたのですが今回は先生役です。数百人の住民を前にして米の作り方を教える彼らは、ときおり笑いを取りながら立派にその役目を果たしていました。この調査団訪問をきっかけにリーダーとしての自覚と自信をより一層持ってくれたのではないかと思います。
 村がある程度まとまったら、村の稲作農家グループによる学校への米販売を考えています。寄宿生の高校は米を大量に消費しているのですがそれらは全て飛行機で運ばれたものです。だから今年の雨季に空港が閉鎖されたときは、食糧が底を尽きてしまい数週間休校せざるをえませんでした。飛行機による輸送は米の価格を上げる原因となっていて、地元の米を供給できるようになれば、学校を財政の面からも助けることになります。また住民に現金収入の機会と地域を助けているという自信を与えてくれることでしょう。
 外部の人間が始めた稲作プロジェクトですが、将来は村の住民達だけで運営することを考えています。住民グループが精米機運営や、販売など行えるようになって欲しいのです。彼らはお米を食べたいと思っていて、そしてここではお米を作れるのにそれが出来なかったのです。私は彼らが問題にぶつかっても、彼ら自身でそれを解決できるようにサポートしていきたいです。


 ◇◆ 在日大使館の叙勲式 ◆◇

 7月8日、在日ラオス大使館にて、スッタボン大使より元青年海外協力隊員の渡辺剛智(ワタナベタケトシ)さんに対して、労働勲章が叙勲されました。渡辺さんは1999年から2001年まで、ラオス南部チャンパサック県農業短大において畜産指導を行っていました。ラオス国民の7割が農民であることから、安全で生産性の高い農業技術を普及するため、農業短大にはラオス南部の各地から学生が集まってきます。彼等学生に囲まれて、渡辺さんは家畜病の防止方法や増やし方を指導し、また畜産だけでなく、よりよい土壌の作り方など、農業に関する知識を提供しました。
 ある日、渡辺さんは学舎内にある彼等の学生寮を訪問して驚きました。220名以上の学生がコンクリートの小さな建物や茅葺きでつくった屋根と壁だけのほったて小屋にぎゅうぎゅう詰めで生活しているのです。
 特に近年女子学生が増えたため、女子寮は2つの大部屋トイレ2箇所の建物に寮生71名が生活しており、水浴び用の水槽はドラム缶3個分しかありませんでした。部屋の明かりは各部屋にひとつづつある蛍光灯2本のみです。どの寮にも台所は無く、寮生は毎日寮のそばで青空炊飯し、雨期には傘をさしながら、食事の用意をしているのでした。これでは勉学にもさしつかえます。
 農業短大の先生たちからも、地方から学びにきている寮生たちの生活環境を何か出来ないかと相談され、渡辺さんは以前から他の隊員から聞いていた草の根無償援助を思いだし、早速在ラオス日本大使館の担当官に連絡しました。草の根無償援助は、申請書類の作成から、現地の建築会社の見積もり集め、農業短大との協議、建築現場のチェックなど、申請者がすべきことがたくさんあります。大使館としても前向きに検討することになりました。大使館には草の根担当官は一人しかいませんが、プロジェクトを申請するカウンターパートと大使館の協力関係はより重要なものとなります。またカウンターパートの自立性と永続性はプロジェクト成功の鍵となります。大使館、渡辺さんおよび農業短大の先生方は相互に協力して、学生寮新築プロジェクトの実現のために奔走し、ついに2001年2月120名を収容する学生寮が完成しました。
 渡辺さんの農業指導だけでなく、学生たちに対する配慮や、先生たちとの協力関係は農業短大から高く評価され、労働勲章が贈られることになりました。しかし、ここはラオス。色々な事務処理に時間がかかったのか、勲章授与が内定したとラオスの日本大使館に連絡が入ったのは、渡辺隊員の帰国後でした。
 勲章が在日ラオス大使館に届いたのは、渡辺さんが帰国して1年後のことでした。2002年7月、スッタボン大使は渡辺さんのご家族や外務省・JICA担当者を在日大使館に招待し、少人数で叙勲式を行いました。
 渡辺さんは郷里の福島県から上京したご両親と新婚ほやほやの奥さんを伴い、式に出席しました。お母様も奥さんもラオスを訪問した時に仕立てたラオスの伝統衣装シン(巻スカート)の正装を着ていたため、スッタボン大使をはじめとするラオス人館員もとても喜んでいました。
 スッタボン大使はラオス首相の代行として勲章を渡し、また、渡辺さんのラオスにおける人材育成への努力に感謝の言葉を述べ、「協力隊の素晴らしいところは、日本人の若者がラオス語をきちんと使って、ラオスの人たちと同じ視線で新しい技術指導してくれることです。普通のラオス国民にとって、協力隊は一番身近な日本人といえると思います」と挨拶しました。すると渡辺さんは「私が農業大学で教えたこと以上に、私は同僚の先生や学生からラオスの文化や人間関係、伝統的農業からたくさんのことを学びました。日本では見られなくなった優れた農法がまだ多く残っており、安全で美味しい食糧がつくられていました。新しい技術を導入することも大事ですが、独自の優れた農業技術を持っていることを、ラオスの人たちにもっと誇りに思って欲しいと思います。」と答えました。式に同席した人たちはこのやり取りにとても感動しました。
 式が終わると、サンドイッチと果物を囲んで、アジアで最も美味しいといわれるビール「ビアラオ」を飲みながら、2時間にわたって楽しいおしゃべりの時間が続きました。
 赤絨毯もテレビカメラの放列も無い質素な式でしたが、出席した人たち全員の心があたためられた立派な叙勲式でした。


 ◇◆ [New!!] ODAホームページ新着情報 ◆◇ 

◆アフガニスタン支援の調査団報告会

 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/chiiki/afghanistan/0210_houkoku.html

◆東ティモール便り~国造りの現場から(第6話 天の恵と人の汗)

 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/hanashi/g_report/report_6.html

◆平成15年度ODA政府予算

 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/yosan/seifu15/index.html

◆ODA新聞 第8号発行

 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/news/news_2/news_no8/index.html
ページの掲載は終了致しました。

◆ODAタウンミーティング in 金沢(議事概要)

 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/tm/kanazawa_mg.html


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