ザンビア

基礎データ
英語名称:  Republic of Zambia
首  都: ルサカ(Lusaka)
面  積: 75.3万km2
人  口: 919.6万人(人口増加率3.3%)
言  語: 英語(公用語)、ベンバ語、ニャンジャ語、トンガ語
民  族: 73部族(トンガ族、ニャンジャ族、ベンバ族、ルンダ族)
宗  教: 大部分が原始宗教、その他都市部でキリスト教
略史:1964年独立(旧宗主国英国)。1973年第二共和制(一党制)。1990年第三共和制(複数政党制)。1991年チルバMMD党首大統領就任。
政 体: 共和制
元 首: フレデリック・チルバ(Frederick Chiluba、大統領)
大統領: フレデリック・チルバ(Frederick Chiluba、大統領)
外 相: ローレンス・シンバ(Lawrence Shimba、外相)(96年12月就任)
軍事力: 総兵力21,600人(陸20,000、空1,600)96年予算4,200万ドル
G N P: 32.1億ドル[一人当たり350ドル]
経済成長率: ▲ 3.9%(1995年)、▲ 3.0%(1994年)、 6.4%(1993年)
物価上昇率:  34.5%(1995年)、 53.3%(1994年)、187.1%(1993年)
失 業 率: n. a.
通   貨: クワチャ(1ドル=1,250クワチャ)
対日輸入: 60百万ドル・自動車、バイク等
対日輸出: 202百万ドル・銅、コバルト等
我が国の政府開発援助: 78.49百万ドル(1位)
    無償資金協力: 34.28百万ドル
      技術協力: 27.26百万ドル
     政府貸付等: 16.45百万ドル
日本からの直接投資: n. a.
在 留 邦 人 数: 264名

 96年は、91年に「アフリカにおける民主化のモデル」とまで称賛された複数政党制選挙により誕生したチルバ複数政党制民主主義運動党(MMD)政権が、5年の任期を終え、国民の審判を仰ぐための総選挙(大統領・国民議会選挙)が実施された年であった。
 過去5年間は、経済再建の柱として推進してきた構造調整計画が所期の成果を生んでおらず、さらに、政府上層部による汚職、腐敗や麻薬取引関与疑惑などに国民の失望感が広まっており、政権維持に意欲を燃やすMMD政権にとり、この総選挙は決して楽観できるものではなかった。政府は、最大野党である統一国民独立党(UNIP)の党首に選出されたカウンダ前大統領の大統領選出馬を阻止するため、野党や市民団体の反対を押し切り、5月、国民議会において憲法改正法案の採択を強行し、同前大統領から大統領候補資格を剥奪した。また、政府は、UNIPの主要党員を反逆容疑で数か月間投獄した。野党側は、憲法問題、選挙プロセスなど種々の問題について政府との対話を要求したが、政府が応じなかったため、これに抗議してUNIPを含む野党数党が選挙をボイコットした。11月18日、選挙が実施され、結果はMMDの圧勝に終った。民主政治5年目の総決算である今回の選挙は、自由かつ公正に行なわれたとは言い難く、ザンビアの民主化プロセスは大幅に後退したと言える。
 こうしたMMD政権の民主化に逆行する動きに対し、主要援助諸国は不快感を示し、国際収支支援を停止した。また、南部アフリカの近隣諸国も、MMD政権に対し与野党間の対話及び選挙の延期を勧告したが、ザンビア政府はこれを無視し選挙を強行したため、これら諸国との関係は悪化した。
 日本は、ザンビアの主要経済援助国であり、従来、二国間関係は極めて良好に推移してきた。96年に入り、日本は、主要援助諸国の動きと協調し、ザンビアの民主化努力を促すためにザンビア政府との粘り強い対話を行なっている。