象牙海岸共和国

基礎データ
英語名称:  The Republic of Co^te d' Ivoire
首  都: ヤムスクロ(Yamoussoukro)
面  積: 32.2万km2
人  口: 1,378万人(人口増加率3.6%)
言  語: 仏語(公用語)各部族語(バウレ、セヌフォ等約60の部族語より構成)
民  族: バウレ族、セヌフォ族等約60の部族より構成
宗  教: 伝統的宗教(60%)、イスラム教(30%)、キリスト教(10%)
略史:1960年8月仏より独立し、同年11月初代大統領にウーフェ・ボワニ氏が選出され、93年12月死去するまで連続7選を果たした。95年10月大統領選挙で暫定大統領であったコナン・ベディエ氏が正式に選出された。
政 体: 共和制
元 首: アンリ・コナン・ベディエ(Henri Konan Bedie、大統領)
首 相: ダニエル・カブラン・ダンカン(Daniel Kablan Dancan)
外 相: アマラ・エシィ(Amara Essy)
軍事力: 総兵力ε13,900人(陸6,800、海ε900、空700)96予算9,600万ドル
G N P: 70.7億ドル[一人当たり510ドル]
経済成長率: 7.0%(1995年)、 1.8%(1994年)、▲0.2%(1993年)
物価上昇率: 14.3%(1995年)、26.0%(1994年)、 2.1%(1993年)
失 業 率: n. a.
通   貨: CFAフラン(1ドル=523.7CFAフラン)
対日輸入: 103百万ドル・自動車、タイヤ、自動車部品等
対日輸出: 15百万ドル・実綿、コーヒー、カカオ脂等
我が国の政府開発援助: 54.24百万ドル(3位)
    無償資金協力: 37.96百万ドル
      技術協力: 9.11百万ドル
     政府貸付等: 7.17百万ドル
日本からの直接投資: n. a.
在 留 邦 人 数: 237名

 95年の大統領選挙及び国民議会議員選挙での与党の勝利を受け、1月24日、第二次ダンカン内閣が成立した。2月に行われた地方選挙でも与党が圧勝し、8割以上の地方を制した。12月末に実施された国民議会及び地方の補欠選挙では、野党の若干の進出が見られた。ベディエ大統領は、「静かな民主主義」の目標を掲げつつ、10月の与党大会では、野党に対する政府参加を呼びかける余裕を見せるなど自信を深めており、安定した国家運営に取りかかっている。
 経済面では、ダンカン首相が中心となり、投資促進や民営化など積極的な構造調整を進めた。IMFは、94-97年の中間評価で象牙海岸経済に高い評価を与え、成長率が93年の-0.8%から今後2000年までは最低5%以上との予測を立てている。2月、政府は、大規模土木事業による国土整備計画をまとめた「アフリカの象・12の大事業」を発表した。その実現のために今後民間投資を十分活用できるかが注目される。
 対外関係では、仏が多額の援助供与(94年は6.5億ドル)などを通じて対外関係の軸にあるが、国内経済の活性化のため、成長が著しいアジアにも注目しており、シンガポールとの外交関係を樹立し、在韓国大使館を開設したほか、ダンカン首相が日本、中国、韓国を訪問した。また、同首相は、米加両国を訪問し、投資促進を働きかけた。ベディエ大統領は、仏アフリカ首脳会議などの場を通じて西アフリカの盟主としての発言力を強める努力を続けた。リベリア紛争仲裁に積極的に動いたほか、11月にはシェラ・レオーネ和平協定署名をアビジャンで行った。
 日本との間では、5月、ファデイカ鉱物・石油資源大臣及びキプレ国民教育・基礎教育大臣が訪日した。また、12月にはダンカン首相らが日本の投資促進を目的として訪日した。経済協力は、西アフリカの重点対象国の一つとして、無償資金協力を中心に拡大の方向にある。7月には、アフリカ開発会議のフォローアップとして、「西部中部アフリカ・リージョナル・ワークショップ」が開かれた。