イラク

基礎データ
英語名称:  Republic of Iraq
首  都: バグダッド(Baghdad)
面  積: 43.8万km2
人  口: 1,995万人(人口増加率2.9%)
言  語: アラビア語
民  族: アラブ人、クルド人、その他
宗  教: イスラム教、キリスト教、ユダヤ教
略史:1932年英国の委任統治よりイラク王国として独立。1958年軍事クーデターにより共和制となり、1968年7月バアス党が政権を掌握。
政  体: 共和制
元  首: サッダーム・フセイン(Saddam Hussein)
首  相: サッダーム・フセイン(Saddam Hussein)
外  相: ムハンマド・サイード・カーディム・アル・サッハーフ(Mohammed Said Kadhim Al-Sahhaf)
軍事力: 総兵力382,500人(陸ε350,000、海ε2,500、空30,000)96年予算n. a.
G N P: n. a.
経済成長率: 2.0%(1995年)、 1.0%(1994年)、n. a.(1993年)
物価上昇率: 50.0%(1995年)、60.0%(1994年)、75.0%(1993年)
失 業 率: n. a.
通   貨: イラク・ディナール(1ドル=0.31イラク・ディナール)
対日輸入: 国連制裁下にある
対日輸出:    同上
我が国の政府開発援助: 0.05百万ドル(15位)
    無償資金協力: ----百万ドル
      技術協力: 0.05百万ドル
     政府貸付等: ----百万ドル
日本からの直接投資: n. a.
在 留 邦 人 数: n. a.

 96年中も、亡命先のジョルダンから帰国したフセイン・カーメル前工業・鉱物相とその弟の殺害事件(2月)、イラク軍の北部イラク侵攻(8月)と米軍のイラク南部防空施設攻撃及び飛行禁止区域拡大(9月)、大統領長男ウダイ襲撃事件(12月)などの事態の際、サッダーム・フセイン政権の安定性が問われたが、フセイン大統領は持てる限りの策を駆使し国内掌握をはかった。3月には湾岸戦争以来行われなかった国民議会選挙が実施され、定数250議席のうち北イラクを除く220議席が選出された。
 90年以来課されてきた対イラク経済制裁は、物価高騰、保健・衛生面の劣悪化、犯罪の増加等の現象を招き、一般国民特に給与生活の中間層は経済・社会的困難にあえいでいる。
 北部イラクでは、8月末、イラク軍がクルド民主党(KDP)武装部隊とともにクルド愛国同盟(PUK)支配地域に侵攻し、その後PUKは巻き返し作戦を展開した。10月、米国の仲介により両勢力は停戦と政治的対話の継続に合意した。
 イラク政権は、95年4月の安保理決議986を主権の侵害として全面拒否してきたが、96年初頭に国連事務局との協議開始の意向を示し、協議を重ねた結果、5月20日、実施に関する了解が成立した。11月に手続上の条件受諾を表明し、12月10日に決議は発効した。他方、石油禁輸措置の全面解除の早期実現を最優先課題として、国連特別委員会(UNSCOM)との一定の協力関係を保ちつつも、査察立ち入り拒否(3月と6月)、ミサイル部品国外検証阻止(11月)の問題を起こした。
 日本との関係では、在イラク日本国大使館は、91年以来その館員を引き揚げているが、在日イラク大使館は臨時代理大使レベルでの活動を継続している。日本は、イラク人道支援のため世界食糧計画(WEP)に対し食糧供与経費の一部として100万ドル拠出を行った。