リビア

基礎データ
英語名称:  Socialist People's Libyan Arab Jamahiriya
首  都: トリポリ(Tripoli)
面  積: 176万km2
人  口: 522万人(人口増加率3.6%)
言  語: アラビア語(公用語)、英語も通用
民  族: アラブ人(92%)、ベルベル人(5%)等
宗  教: イスラム教(国教、スンニー派97%)等
略史:1951年リビア連邦王国として独立。1969年9月1日革命、カダフィ大尉(当時)によるクーデター、リビア・アラブ共和国に改称。1977年社会主義人民リビア・アラブ国に改称。
政 体: ジャマヒリーヤ(人々の共同体制の意)体制
元 首: ムアンマル・アル・カダフィ(Muammar Al Qaddafi、大佐)
首相格: アブドル・マジード・ガウード書記(Abdul Majid Qaoud)
外相格: オマル・モンタセル書記(Omar Montaser)
軍事力: 総兵力ε65,000人(陸ε35,000、海8,000、空22,000)96年予算14億ドル
G N P: n. a.
経済成長率: ▲1.1%(1995年)、▲0.9%(1994年)、 0.1%(1993年)
物価上昇率: 10.0%(1995年)、 17.0%(1994年)、23.0%(1993年)
失 業 率: n. a.
通   貨: ディナール(1ドル=0.365リビア・ディナール)
対日輸入: 189百万ドル・自動車、電器製品等
対日輸出: 0.07百万ドル・
我が国の政府開発援助: 0.08百万ドル(3位)
    無償資金協力: ----百万ドル
      技術協力: 0.08百万ドル
     政府貸付等: ----百万ドル
日本からの直接投資: n. a.
在 留 邦 人 数: 31名

 カダフィ政権は、リビア東部での政府軍と反政府原理主義者との衝突が西側報道筋より報じられてはいるものの、基本的に96年度もその安定を維持した。9月の革命27周年記念には、大人工河の水が首都トリポリに到達し、国民の熱狂的な歓迎が見られた。また、96年後半には石油収入の直接分配が行われ、カダフィ政権は長年の懸案であった公約を果たした。しかしながら、92年以来続く国連制裁は外貨事情を悪化させ、政府は外貨統制のための種々の制約を設けている。特に、輸入物資の管理を厳しくしたため、いたるところで輸入に頼っていた基礎食料品などの不足が生じ、これに伴って商品の値段が上昇し、高率のインフレが進行した。このような経済事情及び国民生活の悪化をよそに、国内に出回る闇ドルを利用して利益を稼ぐ商人が存在したが、政府はこれら商人に対する徹底的な取締りを始めている。
 96年はリビア外交最大の課題である国連制裁解除に向けての活発な外交が展開された。まず、アラブ諸国との関係では、6月にカイロで開催されたアラブ・サミットに参加のため、カダフィ大佐は飛行機でカイロを訪問した。これは国連制裁違反であったが、エジプトを始めとする大部分のアラブ諸国はリビアの立場を支持した。また、10月に行われたカダフィ大佐のテュニジア訪問では、国連制裁に関するテュニジアのリビア支持を取付け、アラブ・マグレブ連合(AMU)の結束を促すなどの活発な外交活動を行った。一方、リビアに大きな経済的利益を有する欧州諸国は、米国による対リビア制裁法(ダマト法)を拒絶する発表を次々と行った。特にリビアと仏の関係改善には目をみはるものがあり、二国間の懸案であったUTA事件では司法的解決で協力するなどの成果が見られた。
 日本との間では、6月、日本人乗組員4人等が乗る台湾船籍の漁船が領海侵犯の疑いで拿捕され、リビア裁判所一審、二審で有罪判決が出された。