モロッコ

基礎データ
英語名称:  Kingdom of Morocco
首  都: ラバト(Rabat)
面  積: 45.9万km2
人  口: 2,649万人(人口増加率2.2%増)
言  語: アラビア語(公用語)
民  族: ベルベル人(64%)、アラブ人(30%)、ユダヤ人他
宗  教: イスラム教
略史:1912年仏の保護領となる。1956年3月に独立。1961年2月ハッサン2世国王が即位。1992年には憲法改正、地方選挙、1993年には国会議員選挙が行われた。
政 体: 王制
元 首: ハッサン2世国王(Hassan II)
首 相: アブデラティフ・フィラリ(Abdellatif Filali)
外 相: アブデラティフ・フィラリ(Abdellatif Filali、外務協力大臣)
軍事力: 総兵力194,000人(陸175,000、海6,000、空13,000)96年予算13億ドル
G N P: 303.3億ドル[一人当たり1,150ドル]
経済成長率: ▲6.9%(1995年)、11.5%(1994年)、▲1.1%(1993年)
物価上昇率:  6.1%(1995年)、 5.1%(1994年)、 5.2%(1993年)
失 業 率: 15.9%(都市部のみ、1993年)
通   貨: ディラム(1ドル=8.80ディラム)
対日輸入: 116百万ドル・輸送機器、一般機械等
対日輸出: 215百万ドル・魚介類、燐鉱石等
我が国の政府開発援助: 24.95百万ドル(4位)
    無償資金協力: 4.75百万ドル
      技術協力: 15.96百万ドル
     政府貸付等: 4.23百万ドル
日本からの直接投資: n. a.
在 留 邦 人 数: 255名

 国内政情は、5月頃より賃上げを要求する労働争議が頻発し、6月には一部の地方都市において騒擾事件が発生したものの、経済事情が改善したこともあり、全体としては安定して推移した。96年初めには、密輸・麻薬取締並びに汚職摘発を中心とした浄化・刷新が強力に遂行された。
 9月に国民議会を衆議院、参議院の2院制とするための憲法改正法案が国民投票に付され、圧倒的多数で可決された。次いで、ハッサン国王は、地方分権と地方経済の活性化を図るための地方改革法案を国会に提出した。こうした動きは、いずれも民主化をより進めるものとして野党側からも歓迎されている。これら選挙関連法案と地方改革法案の国会採択は翌97年に持ち越された。今後の政局の焦点は、衆・参両議院議員選挙の結果と、この選挙を受けて国王がこの2年来目指してきた政権交替が実際に実現するか否かに移っている。
 経済面では、96年は、降水に恵まれ農業生産が大幅に改善した結果、10%以上の経済成長が見込まれている。財政赤字及び貿易赤字は改善し、インフレ率も95年を下回った。また観光収入も増加した。他方、対外債務や失業率については、目立った改善が見られなかった。
 対外関係では、ハッサン2世国王が仏を公式訪問したほか、アズナール・スペイン首相、コール独首相、マリ、セネガル、ブルキナファソ、ギニア、赤道ギニアの各大統領がモロッコを訪問し、二国間関係を強化した。旧ユーゴ和平問題では、IFORに1,200名の要員を派遣した。西サハラ問題は、国連住民投票のための有権者認定作業が暗礁に乗り上げる中、ポリサリオとの間の直接接触が行われたものの進展は見られなかった。アラブ・マグレブ連合(AMU)については、アルジェリアとの関係改善の兆しがみられた。
 日本との関係では、高円宮同妃両殿下が公式訪問され、友好・親善関係が強化された。経済・技術協力は引き続き活発に実施され、対モロッコ投資誘致セミナーが東京で開催された。文化交流も活発に行われた。