バハレーン

基礎データ
英語名称:  State of Bahrain
首  都: マナーマ(Manama)
面  積: 706.5km2
人  口: 54.8万人(人口増加率3.7%)
言  語: アラビア語
民  族: アラブ人
宗  教: イスラム教
略史:18Cにアラビア半島から移住したハリーファ家がバハレーンの基礎を作る。1932年には石油の生産を開始、その後近代化を進め、1971年8月英国より独立。
政 体: 首長制
元 首: シェイク・イーサ・ビン・サルマン・アル・ハリーファ(Sheikh Isa Salman Al-Khalifa、首長)
首 相: シェイク・ハリーファ・ビン・サルマン・アル・ハリーファ(Sheikh Khalifa Bin Salman Al-Khalifa)
外 相: シェイク・ムハマンド・ビン・ムバラク・アル・ハリーファ(Sheikh Muhammad Bin Mubarak Al-Khliha)
軍事力: 総兵力11,000人(陸8,500、海1,000、空1,500)96年予算2.7億ドル
G N P: 41.1億ドル[一人当たり7,500ドル]
経済成長率: 1.2%(1995年)、2.3%(1994年)、8.2%(1993年)
物価上昇率: 3.1%(1995年)、0.4%(1994年)、2.1%(1993年)
失 業 率: 15%(1991年)
通   貨: バハレーン・ディナール(1ドル=0.38バハレーン・ディナール)
対日輸入: 128百万ドル・家電製品、機械・輸送機器等
対日輸出: 339百万ドル・アルミ製品、石油製品等
我が国の政府開発援助: 1.33百万ドル(1位)
    無償資金協力: ----百万ドル
      技術協力: 1.33百万ドル
     政府貸付等: ----百万ドル
日本からの直接投資: 3,000万ドル
在 留 邦 人 数: 311名

 政権の指導体制は安定している。民主化要求及び失業問題を背景とする騒擾事件が主要ホテルなどで断続的に発生したが、政府による取締り強化もあり、事態は平穏裡に推移した。民主化要求に対しては、諮問評議会の権限拡大や評議会委員数の増大など、民意の反映に努めた。
 国内経済は、過去数年続いた財政困難により、主要開発プロジェクトは中止ないし延期の状態にあったが、4月にサウディ・アラビア政府が、両国共同油田の原油量のバハレーンへの全面割り当てを決定したことや、国際的な石油価格の上昇もあり、財政状況は好転した。
 GCC諸国との関係では、国境問題やバハレーン反体制派グループのカタル・メディアでのインタビューなどをめぐり、カタルとの関係が悪化した。バハレーンは、カタル側の姿勢に対する不満を表明するために、12月にカタルで開催されたGCC首脳会議を欠席した。また、バハレーン政府転覆計画へのイランの関与問題を巡り、バハレーン側が外交関係を臨時代理大使レベルに格下げしたため、イランとの関係が一時悪化したが、シリアの仲介努力もあり、それ以上の関係悪化は回避した。
 バハレーン政府は、湾岸地域の安全保障に積極的に協力するとの従来からの政策を堅持し、9月の米軍による南部イラク攻撃の際には、米軍戦闘機部隊の配備を受け入れた。またイラクの大量破壊兵器の廃棄に関する国連特別委員会(UNSCOM)の活動に対しては、これまでの全面的な協力姿勢を維持する旨を表明した。
 中東和平に関しては、6月のカイロにおける拡大アラブ・サミットにイーサ首長が出席し、「領土と平和の交換」の原則に基づく和平プロセスの促進及びイスラエルとレバノン、シリアとの和平の必要性を訴えた。
 日本との間では、第2回日本・GCCビジネスマン会議が、97年11月に当地にて開催することが決定された。12月には当国石油・工業省の協力により、中東協力センター及び湾岸工業化機構(GOIC)の共催により、当地で「工業促進セミナー」が開催された。