ジョルダン

基礎データ
英語名称:  The Hashemite Kingdom of Jordan
首  都: アンマン(Amman)
面  積: 8.9万km2
人  口: 422万人(人口増加率5.2%)
言  語: アラビア語、英語も通用
民  族: パレスチナ人(約6割)、ベドウィン系ジョルダン人
宗  教: イスラム教(93%)、キリスト教等(7%)
略史:16世紀からオスマントルコの支配下。1919年英の委任統治領。1923年トランス・ジョルダン王国建国。1946年トランス・ジョルダン王国として独立。1950年ジョルダン・ハシェミット王国と改称。
政  体: 立憲君主制
元  首: フセイン・ビン・タラール(Hussein Bin Talal、国王)
首  相: アブドゥル・サラーム・マジャーリ(Abdul Salam Majali)(97年3月19日以降)
外  相: ファーイズ・タラウネ(Fayez Tarawneh)(97年3月19日以降)
軍事力: 総兵力ε98,650人(陸90,000、海ε650、空8,000)96年予算5.37億ドル
G N P: 58.5億ドル[一人当たり1,390ドル]
経済成長率: 6.4%(1995年)、5.9%(1994年)、5.9%(1993年)
物価上昇率: 2.4%(1995年)、3.5%(1994年)、3.3%(1993年)
失 業 率: 18.8%(1994年)
通   貨: ディナール(1ドル=0.71ジョルダン・ディナール)
対日輸入: 122百万ドル・機械機器、金属品、繊維製品等
対日輸出: 25百万ドル・燐鉱石等
我が国の政府開発援助: 184.23百万ドル(1位)
    無償資金協力: 23.76百万ドル
      技術協力: 18.72百万ドル
     政府貸付等: 141.75百万ドル
日本からの直接投資: 1,340万ドル(1994年)
在 留 邦 人 数: 174名

 2月に組閣されたカバリーティ内閣にとり、内政上の最大の課題は、IMF・世銀との協議に基づく経済構造調整政策の実施であったが、野党、国民には不評であり、8月にはカラクなど南部の都市でパンの値上げを発端として暴動が発生し、軍・治安部隊が出動する事態に発展した。暴動は速やかに沈静化されたが、国内には依然貧困層が多く、民衆の生活を直撃する経済政策の実施が困難であることが改めて証明された。
 貿易・経済面では、湾岸諸国との関係改善が徐々に進み、今後の貿易量の増大、湾岸諸国からの出稼ぎ収入の増加が期待される一方、中東和平の停滞による情勢への不安定感から、重要な収入源の一つである観光産業は不振に陥っている。国内的には、依然として高失業率、対外債務等の構造問題を抱えているものの、経済構造調整プログラムに基づく経済立て直しの努力が徐々に成果を上げている。
 外交面では、ネタニヤフ新政権の成立と同政権のパレスチナへの対応が、94年10月の平和条約締結以来順調に進展していたジョルダンとイスラエルとの関係正常化に悪影響を与え、特に9月のエルサレムのトンネル事件は、フセイン国王のネタニヤフ政権への信頼感を大きく損なった。フセイン国王は、和平プロセスへのジョルダンのコミットメントを繰り返し表明したが、事態が継続すれば和平そのものが崩壊するとの警告も発している。サウディを初めとする湾岸諸国との関係改善は重要課題の1つであり、フセイン国王のサウディ等訪問が実現するなど、関係修復が進展した。イラクとの間では、95年夏以来の反サダム基調に変化がみられ、議会は9月の米軍のイラク攻勢を非難した。
 日本はジョルダンにとって最大の援助国であり、96年も両国間の関係は引き続き良好であった。6月には高円宮殿下及び同妃殿下を迎えて日本週間が両国共催で開催され、学術・文化交流が促進された。8月には池田外務大臣が訪問し、フセイン国王、ハッサン皇太子等と会談を行い、中東和平につき意見交換を行った。