クウェイト

基礎データ
英語名称:  State of Kuwait
首  都: クウェイト(Kuwait)
面  積: 1.8万km2
人  口: 165.1万人(人口増加率▲0.5%)
言  語: アラビア語
民  族: アラブ人
宗  教: イスラム教
略史:18世紀アラビア半島中央部から移住した部族がクウェイトの基礎をつくった。1899年英国の保護国となる。1983年に大油田が発見され、1961年6月19日英国から独立。
政  体: 首長制
元  首: シェイク・ジャビール・アル・アハマド・アル・ジャービル・アル・サバーハ(Sheikh Jaber Al-Ahmed Al-Jaber Al-Sabah、首長)
首  相: シェイク・サアド・アル・アブダッラー・アル・サーレム・サバーハ(Sheikh Saad Al-Abudullah Al-Salem Al-Sabah)
外  相: シェイク・サバーハ・アル・アハマド・アル・ジャービル・アル・サバーハ(Sheikh Sabah Al-Ahmed Al-Jaber Al-Sabah)
軍事力: 総兵力15,300人(陸11,000、海ε1,800、空ε2,500)96年予算29億ドル
G N P: 314.3億ドル[一人当たり19,040ドル]
経済成長率: 1.6%(1995年)、0.2%(1994年)、48.6%(1993年)
物価上昇率: 1.0%(1995年)、2.3%(1994年)、 0.4%(1993年)
失 業 率: n. a.
通   貨: クウェイト・ディナール(1ドル=0.30クウェイト・ディナール)
対日輸入:  686百万ドル・機械、金属品、繊維製品等
対日輸出: 2,515百万ドル・石油等
我が国の政府開発援助: 0.31百万ドル(2位)
    無償資金協力: ----百万ドル
      技術協力: 0.31百万ドル
     政府貸付等: ----百万ドル
日本からの直接投資: 45.1万ドル(1986年)
在 留 邦 人 数: 161名

 湾岸戦争後約6年が経過し、クウェイトは同戦争前の安定と繁栄を取り戻しつつある。クウェイトはGCC諸国中、唯一民選による国民議会を有し、10月に戦後2回目の選挙が行われた。その結果イスラム系議員が躍進したものの、全体的には親政府系議員が過半数を占めた。選挙後の組閣では、主要ポストは従来どおり首長家出身者が占め、従来路線を踏襲した堅実なものとなっている。治安は概ね安定し、96年を通じて大規模なテロ事件は発生していない。政府の高福祉政策及び国民議会の存在とも相俟って、サバーハ家による統治体制は基本的に安定している。
 経済面での最大の課題は財政赤字問題である。政府は財政健全化のための歳出削減、公共料金引上げ、新税導入等を検討しているが、財政の健全化を含む5か年計画の審議は国民議会で止まっており、国民の新たな負担を伴うこれら施策を今後いかに進めるかが注目される。
 対外関係では、イラク問題が引き続き最大の懸案事項である。クウェイト人抑留者の解放、略奪財産の返還・賠償問題等、90年のイラクのクウェイト侵攻に起因する全ての国連安保理決議の履行をイラクに求めるとのクウェイトの立場に変化はない。9月の北イラクのクルド人問題に起因する米軍の南部イラク攻撃の際は、GCC諸国中唯一米軍の行動に完全なる理解を示し、ステルス戦闘爆撃機および米軍の増派を受け入れた。湾岸戦争時の敵対国との関係正常化も懸案の一つであるが大きな進展はなかった。対イラン政策は現実路線で良好な関係維持に努めている。
 クウェイトにとって日本は米国に次ぐ第2位の貿易相手国であり、他方日本にとっては第5位の原油輸入国である。96年には第2回日本・クウェイト・ビジネスマン会議が東京で開催され、民間レベルでの経済関係の進展につき協議が行われた。環境分野では、日本と湾岸地域海洋環境保護機関(ROPME)との共催による第3回セミナーが東京で開催された。また日本の石油公団とクウェイト科学研究所(KISR)の間で、石油増進回収技術の共同研究開発に関する取決めが結ばれた。