オーストリア

基礎データ
英語名称:  Republic of Austria
首  都: ウィーン(Vienna)
面  積: 8.4万km2
人  口: 792万人(人口増加率0.5%)
言  語: ドイツ語
民  族: ゲルマン系(クロアチア人など少数民族あり)
宗  教: カトリック(約78%)、プロテスタント(5%)
略史:1918年第一次世界大戦敗北によりハプスブルク帝国崩壊、オーストリア共和国成立。1938~45年、ドイツにより合併。1955年、連合国との国家条約により独立回復。1995年、EU加盟。
政  体: 連邦共和制
元 首: トーマス・クレスティル(Dr. Thomas Klestil、大統領)
首 相: ヴィクトア・クリマ(Viktor Klima)
外 相: ウォルフガング・シュッセル(Wolfgang Schuessel、副首相兼任)
軍事力: 総兵力55,800人(陸51,500、空4,300)96年予算21億ドル
G N P: 1,974.8億ドル[一人当たり24,950ドル]
経済成長率: 1.8%(1995年)、3.0%(1994年)、0.4%(1993年)
物価上昇率: 2.1%(1995年)、3.4%(1994年)、3.4%(1993年)
失 業 率: 3.6%(1994年)、4.3%(1993年)、3.7%(1992年)
通   貨: オーストリア・シリング(1ドル=10.95オーストリア・シリング)
対日輸入: 1,318*百万ドル・自動車、テレビ用部品、オートバイ等
対日輸出:  822*百万ドル・スキー、タイヤ、鉄道保守車両等
我が国の政府開発援助: ---百万ドル
    無償資金協力: ---百万ドル
      技術協力: ---百万ドル
     政府貸付等: ---百万ドル
日本からの直接投資: 3,395万ドル
在 留 邦 人 数: 1,605名

 内政面では、95年秋、予算編成をめぐる社会民主党、国民党の連立与党間の協議が決裂し、95年12月には、解散、総選挙に至った。その後再び両党間で約3か月に及ぶ連立交渉が行われ、3月に第5次フラニツキー内閣が成立した。オーストリアにとり初めての欧州議会選挙は10月に実施され、国政レベルで第1党の社民党が後退し、国民党が最多の議員を送り出すこととなり、また、野党の自由党が連立2大政党に迫るまで躍進した。12月に至り、国内第2位の市中銀行クレディット・アンシュタルトの政府保有株の売却先を巡り社民・国民両党間の不一致が表面化し、連立政権の行方にも不透明感を与えている。
 経済面では、緊縮予算による政府支出の伸びの鈍化、建設投資の減少等により、GDP成長率は0.8%(95年は1.8%)へ低下した(オーストリア経済研究所見込み)。貿易については、主要貿易相手国通貨(特に伊)に対しシリング安となるなどの理由により、輸出の伸びが輸入の伸びを上回り貿易赤字が減少した。物価はEU加盟効果により安定しており、消費者物価上昇率は96年は1.9%(95年は2.1%)とさらに安定した。
 外交面では、EU加盟2年目にあたる96年は、対EU外交に中心がシフトし、伝統的に関係の深い中・東欧諸国との関係は依然重視されているが、EUの一員としてどこまで自らの独自性を打ち出せるかが課題と言える。98年後半のEU議長国としての役割は、政府部内で大きな試金石とされ、既に大がかりな準備が始まっている。NATOを含む将来の欧州の安全保障のモデルを巡る議論が欧州において進む中、中立国としての立場と、欧州の安全保障への参加のあり方が活発に議論されている。
 日本との関係は良好で、7月には池田外務大臣が、9月には土井衆議院議長が来訪した。また両国有識者による日墺21世紀委員会が活動しており、95年の第2回会合に続き、97年1月には第3回会合が行われている。なお、96年はオーストリア建国1千年に当たり、日本からウィーン市に千本の桜を寄贈することとなり、4月に最初の植樹を行った。