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略史:1707年にスコットランド議会がイングランド議会に合併され、連合王国が成立。1952年、エリザベス2世女王が即位。1979年にサッチャー内閣が成立以来、保守党政権が継続中。現第2次メイジャー内閣は1992年に成立。 | ||||||||||||||||
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内政面では、与党保守党が野党労働党に対し、世論調査の支持率で大幅な劣勢の状態が続いている。欧州問題を巡る保守党内部の対立は再び顕在化し、メイジャー首相は、単一通貨問題では欧州懐疑派の圧力にさらされながらも、通貨統合自体については選択肢を保持する方針を維持しているが、英国産牛肉製品禁輸問題等では欧州懐疑派寄りの強硬な姿勢を余儀なくされた。労働党は、全党員投票による選挙綱領策定作業を推進し、総選挙に向けた態勢を整えつつある。このような中、10月の党大会以降、与野党間の支持率の差も一旦は縮小傾向に転じたかに見えたが、11月の97年度予算発表以降、一部では再び支持率の差が拡大し、さらに、補欠選挙や議員の離党、死亡等により、保守党が17年ぶりに議会での過半数を失う事態となった。このため、97年5月1日に実施される総選挙の結果が注目される。 国内経済は、引き続き低インフレ下の安定成長を持続し、景気回復は5年目に入った。個人消費は、雇用情勢の改善、実質可処分所得の増加、住宅市況の回復等を背景に、堅調に推移している。他方、生産は、在庫調整の影響が出て、95年夏頃から概ね横ばいの水準が続いている。その影響から、投資は全体として力強さが欠けており、94年から95年前半にかけて伸びた製造業の設備投資は、設備稼働率がピークアウトしたことを背景に95年秋以降低迷している。失業率は、ピーク時の10.6%(92年末)から6.9%(96年11月)まで低下し、雇用情勢は改善している。 輸出は、非EU諸国向けを中心に堅調な伸びを続けているが、96年夏以降のポンド高が今後英国の輸出競争力に悪影響を与える可能性がある。輸入は、堅調な内需を背景に増加傾向を維持している。その結果、貿易収支の大幅な改善には至らないものの、好調な投資収益により貿易外収支が改善しており、96年の経常収支赤字縮小が見込まれる。 こうした状況を背景に、10月、政府は1年8か月振りに政策金利を引き上げた。また、11月の予算演説(97年度予算)では、所得税減税を含むものの間接税の一部引き上げや歳出抑制を打ち出すなど、財政・金融両面で若干の景気引き締め策を講じている。 外交面では、米国との歴史的・文化的な絆に基づく緊密な関係及び英連邦諸国との関係を維持しつつ、G7メンバー並びに安保理常任理事国の立場を生かして、グローバルな観点からその外交に取り組んでいる。欧州統合の深化に対しては、主権に関わるような統合深化への動きには慎重な立場を維持しており、これまで欧州委員会や統合推進派の独、仏等との対立がたびたび表面化した。5月には英国産牛肉製品禁輸問題をきっかけとして対EU非協力政策がとられた。マーストリヒト条約見直しのため開催されている政府間会合(IGC)は97年6月に終了する予定であるが、意思決定方式の改善等の争点を巡り総選挙後の政府が他のEU諸国との間でいかなる政治的解決を図るかが注目される。また、97年はEUの通貨統合への動きも加速すると予想されるが、通貨統合への参加・不参加の選択肢を保持している英政府がいかなる決断を行うかが注目される。なお、EUの加盟国拡大については、欧州全体の安定に資するものであるとの判断から積極的に支持している。 アジアでは引き続き英連邦諸国等との良好な関係が維持されたほか、英国企業の対アジア投資も盛んであった。香港については、9月の国連総会の際の英中外相会談において、97年の香港返還式典の実施方法につき合意が見られたが、中国による臨時立法会設立の動きについては、香港のスムーズな移行を害しかねないものとして強く非難している。 また、旧ユーゴー問題を冷戦後の欧州における最大の問題の一つと位置付け、その解決に向け積極的に貢献しており、12月にボスニアに関する閣僚レベルの和平履行会議を主催した。 日英両国は貿易・経済面に加えて、政治・安全保障及び、文化面においても緊密な協力関係を築いており、その協力関係は二国間に止まらず、グローバルな広がりを有している。1月には、リフキンド外相は特に日英関係に焦点をあてたスピーチを行い、その中で両国関係を「特別なパートナーシップ」と呼んだ。また9月の同外相訪日時には、ボスニア復興、PKO活動、対アフリカ援助等を含む種々の分野における今後の具体的協力事項を示した「新日英行動計画」が発表された。要人往来も活発で、英国からは王室からのエドワード王子(4月)、ケント公(11月)に加え、ポーティロ国防相(1月)、ラング貿易産業相(4月)や上記のリフキンド外相(9月)を含む多数の閣僚が、日本からは10月に清子内親王殿下が御訪英されたほか、塚原通産大臣、亀井運輸大臣、倉田自治大臣、中川科学技術庁長官、高村政務次官等の訪問があった。 経済関係では、英国は、日系の製造業者や金融機関の活発な活動を、雇用、技術、競争力をもたらすとして歓迎している。日本の対英投資は96年度上半期には再び増加に転じている。また、英国は、94年4月より「アクション・ジャパン」と銘打ち、重点10分野(95年からは11分野)に絞り、更に具体的な対日進出に取り組んでいる。経済協力面における協力関係も良好であり、96年には単に援助政策に関する協議にとどまらず、具体的な協調案件で進展がみられたほか、援助協調を進めるための枠組みも設定された。具体的には、ケニア、タンザニア、ジンバブエ、ザンビア及びパキスタンを援助協調重点国とし、現場における協議・協力を推進している他、ボスニアの送電システム復旧プロジェクトについても協調プロジェクトが実施された。 英国における対日世論は一般的には好意的であるが、元戦争捕虜問題、捕鯨問題、動物愛護問題等が一部に報道され、対日批判が見られた。元戦争捕虜問題については、元戦争捕虜の一部から日本政府による補償を求める訴訟が日本国内で提訴されている。日本は戦後50周年の機会に内閣総理大臣談話を発表し、相互理解と相互信頼を構築していくための平和友好交流計画を英国においても実施している。 |