ルーマニア

基礎データ
英語名称:  Romania
首  都: ブカレスト(Bucharest)
面  積: 23.8万km2
人  口: 2,274万人(人口増加率0.2%)
言  語: ルーマニア語
民  族: ルーマニア人(89%)、ハンガリー人(7%)等
宗  教: ルーマニア正教(87%)、カトリック、プロテスタント等
略史:1877年ルーマニア独立宣言。1947年ミハイ国王が退位し、ルーマニア人民共和国成立。1965年ルーマニア社会主義共和国に改称。1989年共産主義政権が崩壊し、国名をルーマニアに改称。
政  体: 共和制
元 首: エミル・コンスタンティネスク(Emil Constantinescu、大統領)
首 相: ヴィクトル・チョルベア(Victor Ciorbea)
外 相: アドリアン・セヴェリン(Adrian Severin)
軍事力: 総兵力22.8万人(陸13.0万、海1.9万、空4.8万)96年予算7.5億ドル
G N P: 279.2億ドル[一人当たり1,230ドル]
経済成長率: 6.9%(1995年)、 3.9%(1994年)、 1.3%(1993年)
物価上昇率: 32.3%(1995年)、136.8%(1994年)、256.0%(1993年)
失 業 率: 8.0%(1995年)、 8.2%(1994年)
通   貨: レウ(1ドル=4,035レウ)
対日輸入: 58百万ドル・電気機械、精密機械等
対日輸出: 33百万ドル・鉄鋼、アルミニウム等
我が国の政府開発援助: 8.31百万ドル(4位)
    無償資金協力: 0.50百万ドル
      技術協力: 7.81百万ドル
     政府貸付等: ----百万ドル
日本からの直接投資: 220万ドル
在 留 邦 人 数: 116名

 96年、ルーマニアにおいては、6月の地方選挙に続き、11月に議会選挙(上下両院)及び大統領選挙が行われた。議会選挙の結果、民主コンベンション(CDR)を中心に社民同盟とハンガリー人民主同盟の三者による連立内閣が12月初めに発足し、またCDRより立候補したコンスタンティネスク元ブカレスト大学学長が、89年末の政変以降一貫して内政上の頂点にあった現職のイリエスク候補を破って新大統領に就任した。
 経済面では、95年実績が予想を上回る顕著な成長を見せたため、96年はさらに意欲的な目標を持って出発した。しかしながら、選挙を控え、農業補助、国営企業の赤字補填などに大幅な財政支出が行われた。7月には、これまで抑制していたエネルギー価格の大幅値上げを実行した。このため経済指標は96年後半急速に悪化し、96年は財政赤字の拡大、インフレ、経常収支の悪化などが顕在化し、今後の対応が迫られている。市場経済移行に関しては、大衆民営化は9月末に一応終了し、今後の焦点は有償民営化や外国投資の促進に移った。
 対外関係では、NATOやEUなど欧州・大西洋機関への統合を最重要課題とし、積極外交を展開した。こうした立場は、新内閣においても、近隣諸国との友好関係推進というもう一つの重要課題とともに継続されている。また、96年は、ハンガリーとの政治基本条約が署名・批准された。
 日本との間では、8月、ルーマニア側ニッポニカ協会及び日本側日ルーマニア協会の主催により第一回の日本文化週間がルーマニアで開催され、日本大使館他もこれに協力し、数多くの文化行事が開催され好評を博した。これに先立ち、羽田元総理大臣(日・ルーマニア協会会長)が来訪し、イリエスク大統領及び5月に訪日したメレシュカーヌ外相と会談した。従来よりルーマニア側は日本との経済関係の拡大を望んでおり、コンスタンティネスク新大統領とチョルベア新内閣の誕生による対外イメージの改善並びに新内閣の経済改革努力の進捗とともに国内の投資環境が整備され、民間ベースの協力関係が拡大することが期待される。