(新ユーゴー)

基礎データ
英語名称:  (Federal Republic of Yugoslavia)
首  都: ベオグラード(Beograd)
面  積: 102万km2
人  口: 1,052万人
言  語: セルビア語
民  族: セルビア人、アルバニア人、モンテネグロ人
宗  教: セルビア正教
略史:6~7世紀スラヴ人が移住。1878年セルビア王国として独立。1918年スロヴェニア、クロアチアとともに「セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア王国」樹立。1944年ユーゴスラヴィア社会主義連邦人民共和国の構成共和国となる。1992年ユーゴスラヴィア連邦共和国樹立
政  体: 連邦共和制
元 首: ゾラン・リリッチ(Zoran Lilic´)
首 相: ラドイェ・コンティッチ(Radoje Kontic´)
外 相: ミラン・ミルティノヴィッチ(Milan Milutinovic´)
軍事力: n.a.
G N P: n.a.
経済成長率: ▲ 3.0%(1995年)、▲ 8.2%(1994年)、▲ 8.4%(1993年)
物価上昇率: ▲16.1%(1995年)、▲122.6%(1994年)、▲334.5%(1993年)
失 業 率: n. a.
通   貨: ディナール(1ドル=5.54ディナール(97年2月26日))
対日輸入: n.a.
対日輸出: n.a.
我が国の政府開発援助: ---百万ドル
    無償資金協力: ---百万ドル
      技術協力: ---百万ドル
     政府貸付等: ---百万ドル
日本からの直接投資: 460万ドル
在 留 邦 人 数: 46名

 95年11月にデイトン合意が成立しボスニアの戦争が終息したことに伴い、新ユーゴーに対する制裁も停止された(10月解除)。これにより各国との関係正常化が進捗し、貿易が再開され、疲弊した経済もわずかながら上向きに転じた。しかしながら、新ユーゴーが、旧ユーゴーとの継続性の問題で特別の地位を主張し(新ユーゴーは国連における旧ユーゴーの議席をそのまま引き継ぐ権利を有するなど)、他方、国際社会はこうした主張を認めていない(旧ユーゴーから分離独立した他の国と同様新たに国連加盟申請すべしとの態度である)ため、新ユーゴーの国際社会への復帰は、制裁解除後も大幅に遅れるところとなっている。さらに、米国は、アルバニア人が多数を占めるコソヴォにおける人権の尊重(自治権の回復)などを要求しており、こうした問題が解決されない間はIMF・世銀を初めとする国際金融機関への新ユーゴーのアクセスを阻止するとの方針である。
 内政面では、旧共産党系の社会党を基盤とするミロシェヴィッチ政権は、このような困難の中でともかくも社会的安定を維持し、インフレを抑制し、市民の暮らしも徐々に正常化に向かっているかに見えた。しかし、11月の地方選においてベオグラードを初めとする10余の主要都市で野党側が勝利したにもかかわらず、与党側の画策によりこれら諸都市の選挙結果が無効とされたため、ベオグラードを始め各地でデモや集会など連日大規摸な抗議行動が発生し、96年末まで続いている状況である。
 OSCEはゴンザレス前スペイン首相を団長とする調査団を派遣し(12月21日)、その報告に基いて上記諸都市における野党の勝利を認めるよう勧告しているが、こうした国際社会からの圧力への対応如何で、新ユーゴーが再び国際的孤立を余儀なくされる可能性もあろう。
 日本は未だ新ユーゴーを承認していないが、制裁の停止に伴い、民間の経済ミッションが相互に訪問するなど、主として経済面における接触が活発になりつつある。