ベルギー

基礎データ
英語名称:  Kingdom of Belgium
首  都: ブリュッセル(Brusselles)
面  積: 3.1万km2
人  口: 101万人(人口増加率0.2%)
言  語: オランダ語、フランス語、ドイツ語
民  族: ゲルマン系、ラテン系
宗  教: キリスト教、カトリックが大勢
略史:1814年~ウィーン会議によりオランダの支配下。1830年独立宣言(仏の7月革命の影響)。1839年オランダのベルギー独立承認。第一次、第二次対独戦による占領。1944年9月独の占領により解放。
政  体: 立憲君主制
元 首: アルベール2世(Albert II)
首 相: ジャン・リュック・デハーネ(Jean-Luc Dehaene)
外 相: エリック・デレイケ(Eric Derijcke)
軍事力: 総兵力4.6万人(陸3.0万、海0.3万、空1.2万)96年予算32億ドル
G N P: 2,310.5億ドル[一人当たり22,920ドル]
経済成長率: 1.9%(1995年)、2.2%(1994年)、▲1.6%(1993年)
物価上昇率: 2.1%(1995年)、2.6%(1994年)、 4.1%(1993年)
失 業 率: 9.3%(1995年)、9.7%(1994年)、 8.2%(1993年)
通   貨: ベルギー・フラン(1ドル=32.01ベルギー・フラン)
対日輸入: 5,354*百万ドル(ルクセンブルグとの合計)・自動車等
対日輸出: 2,173*百万ドル(ルクセンブルグとの合計)・ダイヤモンド等
我が国の政府開発援助: ---百万ドル
    無償資金協力: ---百万ドル
      技術協力: ---百万ドル
     政府貸付等: ---百万ドル
日本からの直接投資: 3億5,798万ドル
在 留 邦 人 数: 5,039名

 欧州統合の積極的推進国として通貨統合参画のための緊縮財政実現を最大の課題としていたデハーネ政権は、97年予算案に関わる政府に対する包括的委任を7月の国会で取り付けることに成功するなど、順調かつ安定した推移を見せていた。しかしながら8月以降、連続幼女誘拐殺人事件の被疑者逮捕を端緒に、元副首相暗殺事件への関与容疑による元大臣の逮捕、汚職事件の摘発等により、政治、司法・警察制度に対する国民の信頼感が揺らぎ、デハーネ政権は、厳しい財政運営に加えて、司法改革等により国家機構に対する国民の信頼を回復する必要性に迫られることとなった。経済面では、緊縮財政のもとで、自由な経済政策を採ることが制約されている状況にあるも、雇用情勢については、失業者数は減少傾向にあり、経済成長率にも若干の回復傾向がみられている。
 対外関係では、EU諸国との協調に基づく欧州統合推進政策を最重要課題の一つとしている。また、NATO、西欧同盟(WEU)の一員としての西側諸国との協調安保政策を引き続き堅持しており、95年に引き続き96年も旧ユーゴにおけるボスニア安定化部隊(SFOR)、東スラヴォニア国連暫定行政機構(UNTAES)に派兵する予定である。10月に発生したザイール東部ツチ族の反乱による難民危機及びザイール領土保全問題に際しては、中部アフリカ地域の旧宗主国として、国連、EUに協力するとともに、独自の人道援助を展開しつつ、ザイールとの関係修復に努めている。
 日本との関係では、10月には、アルベール国王、パオラ王妃が国賓として訪日し、両国の友好関係は更に一段と盛り上がりを示した。アルベール国王が93年の即位後に欧州以外の国を訪問するのは日本が初めてであり、両国の緊密な関係を改めて浮き彫りにしたものといえる。両国の間には、政治的な懸案が全くなく、順調に進んでおり、経済面でもベルギーから日本への輸出が着実に拡大し、貿易インバランスも縮小傾向にある。さらに、ベルギーとしては、日本からの投資増加を期待している。