ブルガリア

基礎データ
英語名称:  Republic of Bulgaria
首  都: ソフィア(Sofia)
面  積: 11万km2
人  口: 881.8万人(人口増加率▲0.2%)
言  語: ブルガリア語
民  族: ブルガリア人及びごく少数のアルメニア人、ロシア人、ユダヤ人等
宗  教: ブルガリア正教及びカトリック、プロテスタント、回教等
略史:1878年オスマン・トルコより解放、翌年第3次ブルガリア王国成立、1944年共産党によるクーデタ、46年王政廃止、人民共和国の宣言、47年共産主義憲法採択、89年共産党独裁終焉、90年国名を「ブルガリア共和国」に改称、91年民主的新憲法採択。
政  体: 共和制
元 首: ペータル・ストヤノフ(Petar Stoyanov、大統領)(97年1月22日以降)
首 相: ステファン・ソフィヤンスキー(Stefan Sofiyanski)(97年2月12日以降)
外 相: ストヤン・スタレフ(Stoyan Stalev)(97年2月12日以降)
軍事力: 総兵力10.4万人(陸5.2万、海ε6.1万、空2.0万)96年予算4億2,800万ドル
G N P: 102.6億ドル[一人当たり1,160ドル]
経済成長率: 2.6%(1995年)、 1.8%(1994年)、▲ 1.5%(1993年)
物価上昇率: 62.1%(1995年)、96.0%(1994年)、 72.8%(1993年)
失 業 率: 11.1%(1995年)、12.4%(1994年)、 16.4%(1993年)
通   貨: レヴァ(1ドル=1,900レヴァ(97年2月26日)*)
対日輸入: 18*百万ドル・一般機械、乗用車、事務用機器等
対日輸出: 29*百万ドル・アルミニウム及び同合金、魚介類等
我が国の政府開発援助: 10.14百万ドル(2位)
    無償資金協力:  0.51百万ドル
      技術協力:  9.63百万ドル
     政府貸付等: ---百万ドル
日本からの直接投資: n.a.
在 留 邦 人 数: 126名

 民主体制と市場経済導入をめざして7年目、ヴィデノフ社会党政権成立以来2年目を迎えたブルガリアでは、国営企業、農業等の民営化が遅々として進まず、多数の銀行の倒産が生じ、経済・金融は破綻寸前の状態に追い込まれた。このような経済・金融上の危機状態は1月初旬に1ドル=約70レヴァだったブルガリア通貨が12月には1ドル=約500レヴァまで下落したことに象徴的に表れた。その結果、ヴィデノフ内閣に対する信頼は失われ、11月に行われた大統領選挙で野党支持のストヤノフ候補が大勝する一方、経済・金融の再建を計るために7月にIMFと第4次スタンド・バイ取極を締結したが効果が上がらず、11月にはIMFは通貨準備委員会の設置を要求するようになった。このような状況下で、ヴィデノフ内閣に対し党内からも不満が生じ、12月には臨時党大会を開催したが、ヴィデノフ首相はこの党大会開催直前に辞表を提出し、議会はこれを受理した。
 対外関係面では、西欧への接近、ロシア、CIS各国との政治・経済関係の再構築、バルカンの安定を目標とする外交を進め、EBRD総会(4月)、バルカン外相会議(7月)、欧州諸国運輸大臣会合(11月)をソフィア市で開催することに成功したものの、内政の不安定もあり、目立った外交的成果は見られなかった。
 日本との関係では、9月に清子内親王殿下が政府招待によりブルガリアを訪問され、ソフィア市を始め各地を視察し、各界指導者、市民と親しく接せられ両国の友好親善関係の推進に貢献された。経済技術協力でもインフラ、環境整備を中心として著しい進展が見られ、また、青年海外協力隊派遣でも成果をあげた。