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略史:1958年第5共和制成立、ド・ゴール大統領就任。1969年ポンピドゥー大統領就任。1974年ジスカール・デスタン大統領就任。1981年ミッテラン大統領就任。1995年シラク大統領就任。 | ||||||||||||||||
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ジュッペ内閣は、95年末の大規模ストライキの後も、財政赤字削減のための社会保障制度改革、税制改革に優先的に取り組む方針を継続した。97年度予算においては、所得税減税を行いつつも、大幅な歳出の切り詰めを行い、一般政府赤字のGDP比を、欧州通貨統合の第3段階移行のための基準の一つである3%以下に抑えている。他方、失業問題は依然として改善の兆しは見られず、11月には12.7%と過去最高値を記録した。 このような状況の中、シラク大統領及びジュッペ首相に対する支持率は低迷しているが、シラク大統領は現在の財政赤字削減重視の政策を堅持する方針を表明している。 公務員ストについては、96年は労働組合の間の足並みが揃わなかったことなどから、95年のように大規模化することなく鎮静した。 他方、コルシカ解放戦線によるテロが激化、12月にはパリ市内の駅構内での爆弾テロ事件が発生し、約1年間沈静化していたイスラム原理主義過激派によるテロ事件が再発した。 仏経済は、95年度央以降、減速し、深刻な失業問題を抱えているが、政府の経済見通しは、今後景気は緩やかに回復するとしており、96年の実質GDPの政府見通しは1.3%、97年は2.3%を見込んでいる。貿易収支に関しては、96年も93年以来の好調が継続し、上半期貿易黒字は約560億フランを計上、96年全体では1千億フランを越える見込みである。これはエアバスの好調な売り上げに代表される仏企業の足腰の強化及び最大の貿易相手国である独の景気回復に起因する輸出の伸びによるものである。 対外関係については、シラク政権は、仏独協調による欧州統合の推進、欧州の安全保障上の役割強化、アフリカを初めとする開発途上地域との関係及び国連等のマルチの枠組み重視など、従来の基本路線を引継ぎつつも、NATOへの再接近、アジア、中東の重視に示されるように、96年を通じ仏外交に多元化、積極化の傾向が見られた。また、輸出市場獲得や外資導入などの経済外交がこれまで以上に重視された。 仏外交にとり最優先の課題である欧州統合については、仏は政府間会合(IGC)の取り進めに際して、累次にわたり独と共同書簡を発出するなど、仏独間の緊密な協調を誇示しながら統合推進にイニシアティブを発揮した。具体的には、EU拡大を視野に入れ、EU諸機関の機構改革、共通外交・安全保障政策の強化、域内の治安対策の改善等をIGCの主要課題としている。経済・通貨統合に関しては、99年1月よりの通貨統合に向けて懸案となっていた「安全・成長協定」の原則が12月のダブリン欧州理事会にて仏独間の合意を経てまとまった。 安全保障分野では、仏は欧州のアイデンティティを強化する形でのNATO改革を主張し、NATO閣僚理事会での議論に積極的に参加した。NATO拡大に関しては、欧州内に新たな亀裂が生じないようにロシアなどへの配慮を主張している。なお、旧ユーゴ問題に関しては、デイトン合意により設置された平和実施部隊に1万人の兵員を送り軍事面で主要な役割を果たし、また民生面でも9月のボスニア選挙実施を踏まえ、向こう2年間の安定化計画を提唱した。 欧州以外の地域との関係では、伝統的なアフリカ重視に加え、対アジア、中近東外交が積極化した。シラク大統領は、3月のアジア欧州会合(ASEM)参加の直前にシンガポールで対アジア政策に関する演説を行い、アジア重視の姿勢を打ち出した。また10月にシラク大統領は中東和平関係諸国を歴訪し、和平プロセスに積極的に関与していく方針を示した。対米関係では、シラク大統領が2月に米を公式訪問し、首脳レベルでの良好な関係を確認する一方、96年を通じ中東、アフリカ、NATO、国連等の場で仏米間の意見が対立する局面も見られた。 当初、96年5月末まで8回と発表されていた仏領ポリネシアでの核実験は、1月末の6回目をもって終了した。2月、シラク大統領は地上発射核兵器の全廃を含む核軍縮措置を発表するとともに、CTBT交渉等の国際的な核軍縮努力に積極的に参加し、6月末のリヨン・サミットまでには核実験の後遺症はおおむね払拭された。 日本との関係では、仏の核実験を巡り、日仏両国の国民レベルでぎくしゃくした関係が見られ、日仏関係は一時的に停滞したが、核実験終了後、3月のASEMの際の日仏首脳会談を経て、6月のリヨン・サミットでは両首脳の確固とした協力関係が確認された。また、リヨン・サミット直前にドゥ・シャレット外相が訪日し、2年振りの日仏外相定期協議が開催された。11月、シラク大統領が国賓として訪日し、両首脳間で「21世紀に向けての日仏協力20の措置」と題する文書が署名された。これにより、首脳会談を初めあらゆるレベルで協議を緊密化し、様々な分野での二国間協力を強化し、また国際的な課題の解決に向けて共同作業を進めていくこと等、日仏関係の抜本的な強化が謳われた。 日仏経済関係は、良好に推移した。92年以来、輸出促進キャンペーン「ル・ジャポン・セポシブル」の下、仏の対日輸出は順調な伸びを見せている。また、シラク大統領は経済成長の新たな中心をなすアジア地域との交易拡大を経済の重要課題の一つと定め、11月に訪日した際には日本市場参入の決意を示し、日仏間経済関係の進展に前向きである。 文化交流面では、奈良興福寺の国宝を集めたパリ展覧会が9月から12月まで開催された。また、6月のリヨン・サミットの際のリヨンにおける日本文化事業を初め、各地で様々な文化事業が実施された。両国首脳が署名した「21世紀に向けての日仏協力20の措置」においても両国文化交流の活発化が唱えられている。97年には日欧交流の新たな場となるパリ日本文化会館が開館するほか、日本の文化・科学・技術をフランス全土で紹介する「フランスにおける日本年」が予定されており、また98年には「日本におけるフランス年」が実施される予定である。 |