エクアドル

基礎データ
英語名称:  Republic of Ecuador
首  都: キト(Quito)
面  積: 28万km2
人  口: 1,122万人(人口増加率2.3%)
言  語: スペイン語
民  族: 白人・インディオ混血80%、黒人・インディオ混血10%、白人10%
宗  教: カトリック
略史:1533年インカ帝国滅亡と同時にスペインの統治下におかれる。1822年ヴェネズエラ、ヌエバ・グラナダと共にグラン・コロンビア共和国となる。1830年同共和国より分離独立。
政 体: 共和制
元 首: ファビアン・アラルコン・リベラ(Fabian Alarcon Rivera、暫定大統領)
暫定大統領: ファビアン・アラルコン・リベラ(Fabian Alarcon Rivera、暫定大統領)(98年8月まで)
外 相: ホセ・アヤラ・ラッソ(Jose Ayala Lasso)
軍事力: 総兵力57,100人(陸50,000、海4,100、空3,000)96予算2億ドル
G N P: 147.0億ドル[一人当たり1,310ドル]
経済成長率: 2.3%(1995年)、 4.3%(1994年)、 2.0%(1993年)
物価上昇率: 23.0%(1995年)、27.3%(1994年)、45.0%(1993年)
失 業 率: 7.1%(1994年)、 8.3%(1993年)、 8.9%(1992年)
通   貨: スクレ(※1ドル=3,333スクレ)(10月)
対日輸入: 361百万ドル・車輌、化学製品、工業機械等
対日輸出: 118百万ドル・石油、バナナ、えび、コーヒー等
我が国の政府開発援助: 36.95百万ドル(1位)
    無償資金協力: 24.23百万ドル
      技術協力: 13.14百万ドル
     政府貸付等: ▲0.42百万ドル
日本からの直接投資: 2.2万ドル(1993年)
在 留 邦 人 数: 427名

 ドゥラン・バジェン大統領の任期満了を前に、5月19日、大統領選挙及び国会議員選挙を含む総選挙が実施された。大統領選では、7月7日の決選投票を経て、貧者の味方とのイメージを売り込んだブカラン候補(エクアドル・ロルドス党)が当選した。国会議員選挙では、キリスト教社会党、エクアドル・ロルドス党、人民民主党が躍進した一方、左翼民主党及び与党であった保守党は惨敗した。ブカラン新政権は、社会政策の充実を目玉に掲げたが、いかに財源を確保するかが注目された。(その後、ブカラン大統領は、同人自身及びその取り巻きの無軌道振りもあり、97年2月国会により解任され、新たにアラルコン国会議長が暫定大統領に任命された。)
 経済面では、天候不良に影響された農産物の収穫量の減少及び各月ごとのガソリン価格値上げ等によるインフレ率の上昇、ペルーとの武力衝突及びダヒク元副大統領の汚職疑惑により引き起こされた高金利による生産部門の停滞の継続、原油価格の上昇などによる貿易黒字幅の拡大が主な特徴であった。
 対外関係では、ペルーとの国境問題が最重要課題である。ブカラン大統領は、9月にボリヴィアで開催された第10回リオ・グループサミットにおいてフジモリ・ペルー大統領と会談を行い、97年1月13日にペルーを公式訪問することで合意した(予定通り実施)。また、10月にチリで行われた両国外相会談では、残存する諸問題の解決のため12月20日からブラジリアで話し合いを開始することに合意したが、在ペルー日本国大使公邸占拠事件でペルー外相が人質となり延期されることとなった。
 ドゥラン・バジェン前政権は、日本を含む太平洋地域との関係を重視し、要人往来等を通じて日本との関係の緊密化に努めた。6月にエクアドルの提案に基づき、東京で第1回日本・リオグループ経済ハイレベル会合が開催され、日本・中南米経済関係について意見交換が行われた。第2回会合は97年にキトで開催される予定である。