ボリヴィア

基礎データ
英語名称:  Republic of Bolivia
首  都: ラパス(La Paz)
面  積: 109.9万km2
人  口: 723.7万人(人口増加率2.2%)
言  語: スペイン語
民  族: インディオ(55%)、混血(32%)、欧州系(13%)
宗  教: カトリック
略史:1825年、スペインより独立。1982年、民政移管。1993年に、サンチェス・デ・ロサーダ民族革命運動党政権成立し、現在大衆参加政策(地方分権化)、資本化政策(民営化)、教育改革等を推進中。
政 体: 立憲共和制
元 首: ゴンサロコ・サンチェス・デ・ロサーダ(Gonzalo Sanchez de Lozada、大統領)
大統領: ゴンサロ・サンチェス・デ・ロサーダ(Gonzalo Sanchez de Lozada)
外 相: アントニオ・アラニバル・キロガ(Antonio Aranibar Quiroga)
軍事力: 総兵力33,500人(陸25,000、海4,500、空4,000)96年予算1.5億ドル
G N P: 56億ドル[一人当たり770ドル]
経済成長率: 3.8%(1995年)、4.2%(1994年)、4.1%(1993年)
物価上昇率: 10.2%(1995年)、7.9%(1994年)、8.5%(1993年)
失 業 率: 3.6%(1995年)、3.1%(1994年)、6.0%(1993年)
通   貨: ボリヴィアーノス(※1ドル=5.16ボリヴィアーノス)(11月)
対日輸入: 174百万ドル・自動車、機械等
対日輸出: 4百万ドル・亜鉛鉱、木材等
我が国の政府開発援助: 93.28百万ドル(1位)
    無償資金協力: 56.86百万ドル
      技術協力: 31.21百万ドル
     政府貸付等: 5.21百万ドル
日本からの直接投資: 23.6万ドル(1988年)
在 留 邦 人 数: 2,646名

 96年、ボリヴィアは、政治的には概ね安定を保ち、経済的には着実な成長を遂げた。政府による構造改革の諸政策に反対する労働組合のスト、コカ葉栽培農民による減反反対デモ、鉱山を占拠した労働者と警官隊との衝突による流血事件等はあったが、95年のような戒厳令の発動を必要とする事態は生じなかった。経済的には年間成長率4%を達成し、インフレは政府公約の8%を僅かに下回った。またコカインの原料となるコカ葉の減反は7500ヘクタールを達成し、米国を満足させその援助継続を確実にするとともに、2000年には栽培面積をゼロとする目標に向かい大きく前進した。政府は97年の経済成長率は5%を超えると予測している。
 サンチェス・デ・ロサーダ政権は、施政4年間の最後の年に入り(連続再選不可)、公約である各種構造改革を強力に推し進めた。6大国営公社の民営化は、電力、電話に続き、96年には国営鉄道、航空公社につき実施された後、懸案の石油公社の探査・輸送部門についても実施された。この他、政府は地方分権化法を1月より施行し、また農地改革法案、年金法案等を次々に成立させた。9月にはブラジルとの間に天然ガス売買、パイプライン建設契約が調印された。これら改革により、政府は「種まきの時期は終わり、数年後には収穫の時期を迎える」と年末の白書で楽観的見通しを述べている。なお、97年6月に大統領選挙と国会議員選挙が行われるため、97年は与党・野党間で激しい選挙運動が展開されよう。
 対外関係では、96年はリオ・グループ議長国として活躍し、9月のリオ・グループ首脳会議や12月の「持続的開発のための米州首脳会議」など、各種国際会議を開催したことが特筆される。後者の会議には、米州34か国の大部分の首脳が参加し、開発と環境及び貧困につき討議した。
 日本との関係では、11月のサンチェス・デ・ロサーダ大統領の訪日が特記される。日本の経済協力は96年も着実に進められ、ボリヴィア官民による評価は高く、有力紙の実施したアンケートで、世界で最も信頼できる国として日本が第1位を占めた。